ツバメの羽と思いきや
ある夜、20時すぎのこと。
オートロック付きのタワーマンション。
その27階という、一般人には想像もできない領域にて。
「いらっしゃい。待ってたわ」
一人のアラフォーに見える女性が、部屋のドアを開ける。
チェーンをせず、顔見知りを受け入れる態勢で開かれたドアの前。
立っているのは、
「いや、遅くなってすまない」
長身、色白、爽やかで甘いマスク、落ち着きのある低音ボイス。
およそ男に備わる美において、理想的なまでに全てを兼ね備えた、
スーツの若い、白人男性。
「ずっと待ってたのよ?」
「いやなに、仕事が長引いてしまってね。お詫びと言ってはなんだが、君の家には花瓶があっただろう?」
「あらまぁ! とにかく上がってちょうだい」
彼は胸にバラの花束を抱えている。
これでもかというくらい、自然のものには嘘くさいくらいに真っ赤なバラ。
女性に対して『急に花をプレゼントするのは迷惑』とも言われるが。
相手が花瓶を持っていることと、飾るスペースがあることを把握していれば。
案外そう邪険にされることもないのかもしれない。
少なくとも、今回の彼女にはご満足いただけたようである。
女性は小躍りするかのような動きでリビングに入る。
男も続く。
「お詫びだなんて、気にしなくていいのよ? もちろんこれはうれしいけれど」
彼女はウキウキと棚から花瓶を取り出す。
ちょうど気温計の赤い灯油が入っているガラス部分のような形。
細長い首と丸い下部分を持つ。
「そう言ってくれるとうれしいよ」
男はようやく寛ぐように、ジャケットを脱いで椅子の背もたれに掛ける。
「あ、もう。ハンガーに掛けるから、こっちに渡して」
「あぁ、ごめん。ありがとう」
彼はネクタイを緩め、シャツのボタンを3番目まで外す。
「っ」
適度に男性的な首筋、鎖骨、胸板の造形美。
女性は思わず体が熱くなる。
それを誤魔化すため、何か適当に話題を振るのだが、
「ね、ねぇ。ご飯は『遅くなるから食べてくる』って言ってたわよね? じゃあもうお風呂に入る? お酒でも飲む?」
何だかむしろ、いかがわしい急かし方になってしまった気がして。
女性はクローゼットへ逃げ込むように、スーツのジャケットをしまう。
すると、
「あぁ、それなんだけどね」
男性の声が背後から触れる。
普段より0.9倍速、と言えば大差ないようにしか思えないかもしれないが。
「実は食べそびれてしまってね」
声が少し大きくなる
のではない。
こちらへ近付いてきているのだ。
艶のある声。
それをゆっくり、鼓膜へ染み込ませるような語り口は
一つの感情を示し、一つの感情を煽っている。
ドクンと女性の心臓も主張する。
「だから、満たしたいところだったんだ。身も心も」
背後からそっと、首元へ腕が回される。
心臓が破裂しそうになるその瞬間を掻き回すように、
体の向きをくるりと変えられる。
振り返るとそこにある
優美な若い男の顔。
女性は一転、心臓が止まるかと思った。
女としての喜び
ではない。
「あ、な、え?」
なぜなら、見慣れたはずの
男の瞳孔が、真紅に染まっているから。
「ひっ!」
いつも『ライオンのたてがみの色』と愛していたものはどこにもない。
彼女が思わず逃れようとするより一歩早く
「きゃあっ!」
恐るべき腕力で抱え上げられてしまう。
そのままもがく暇もなく、ベッドへ放り込まれる。
高反発のマットレスが静まる間もなく、
男が一気に覆い被さってくる。
「いやっ!」
と最後まで叫べたかどうか。
彼女が最後に見たのは
異常に大きな犬歯を剥いて迫る、男の獣のような表情だった。
翌朝。
『いつまで経っても社長と連絡が取れない』
ということで秘書がマンションへ。
くだんの女性、女社長が
ベッドで真っ青な顔をして死亡しているのが発見された。
死因は失血死。
しかし不思議なことは、まず外傷が首筋に開いた2つの小さい穴のみなこと。
そしてベッドはおろか、室内にも一切の血液が落ちていなかったこと。
何より
女性の死亡推定時刻以降、
防犯カメラに、マンションを出る人物が映っていなかったことである。
どころか部屋のドアにすら鍵が掛かっており、
27階の窓が開いているのみだったという。
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