猪であってイノシシではない
小鉢の中に入っているのは、
粘度があるピンク色のソース。
「何コレ」
「処女が【自主規制】したとき出る【自主規制】と出された【自主規制】が混ざったヤツ?」
「花恋さんは無期出禁ね」
「そんなぁ」
ウチは飲食店だよ。営業妨害です。
お酒入ったら下ネタ喜ぶ人はいるけど、その枠は二人もいらない。
ていうか、元祖下ネタの枠の花鹿ちゃんがドン引き。
ソースを遠ざけようとする。
君ねぇ。君もねぇ。
とにかく、この人たちを放置してると最悪の昼食になりかねない。
早く話を本筋に戻そう。
「これはオーロラソースです」
「オーロラ?」
「『Wind◯ws』のロゴですか?」
どうしてそうなるの。
オーロラソースっていうのはフレンチのソースで、
『ベシャメルソースに裏漉しトマトとバター』
っていうのが本来だけど。
日本で一般的に『オーロラソース』と言われるのは、
「ケチャップとマヨネーズを1:1で混ぜたものです」
「なんか、悪ふざけで作ったみたいだね」
悪ふざけって。
でも実際、子どものころにノリで混ぜた人はいるんじゃないかな。
いつでも家庭にある材料で、簡単に作れる。
ちなみに、隠し味にウスターやマスタード、コショウもアリ。
でも少量にしないと調和が崩れるから慎重に。
「でもコレ、単色ピンクじゃない。どこがオーロラなワケ?」
「フレンチでいう『ソース・オロール』の『オロール』は、『曙』なんです。
本来のソース・オロールはオレンジで、明け方の空に色が似ている」
「へー」
「みんなが北欧とかでイメージするオーロラとは、語源が一緒だけど別物です」
「夜のイメージですけど曙なんですね」
「『光を司る曙の女神アウロラ』だから、別々の要素が繋がったんだろうな」
さすが、少しでもオカルトや宗教が混ざると花恭さんが持っていってしまう。
まぁそれはいいや。
カツがサクサクのうちに召し上がっていただこう!
だけど、
「あ、コレさぁ」
ソースを箸先に取って舐めた花恋さんが首を傾げる。
「イカリングとかエビフライとか。魚介系に付けるヤツじゃないの? カラオケで出た」
すると花恭さんも頷く。
「僕も日本中ぬらりひょん追ってるうちに、あちこちでトンカツ食べたけど。確かにイメージないな」
「ですよね」
「作っといて『ですよね』って」
実際それはそう。
使われるのはいつも魚介系。
トンカツはトンカツソースで食べた方がおいしい。
じゃあなんで今回そうしたかと言われると、
「ま、食べたら分かりますよ。冷めないうちにどうぞ」
「ふーん」
まさか毒を盛ったワケじゃない。
それは向こうも分かってる。
花恭さんは素直にカツを箸で持ち上げる。
「別に普通かな」
「食べたら分かりますって」
「へぇ」
「花鹿ちゃんもどうぞ」
「はぁ」
花鹿ちゃんも続いて、
「わーっ!」
声を上げる。
「おっ、どうかした?」
「さすがにコレはヒドいですよ!」
彼女はカツの断面を私に向かって突き出す。
花恭さんと花恋さんも覗き込むと、そこには
「あーっ、生だぁ!」
真っ赤な断面に華恋さんが口元を覆う。
「春ちゃんナマはダメよぉ」
「花恋さんは来世も出禁ね」
「逆にそこまでお店続いてなくない?」
花恋さんは(どうでも)いいとして、
「コレはさすがに料理人としてのプライド案件だろ」
花恭さんは呆れ顔。
「まぁまぁ落ち着いて」
「じゃあ小春さんが食べてみなよ」
「まぁいいですけど、
それホントに生ですか?」
「はぁ?」
『あまりフザけてたらカツにするぞ』
って目で睨まれたけど、
「あ」
しばし黙って見てた、花鹿ちゃんが事実にたどり着く。
「豚肉って、生でもこんなに赤くないですよね?」
「そう! それ!」
「うわビックリした」
言われて花恭さんも断面を再確認。
豚肉は生だとピンク色をしているはず。
でもこの禍カツは、
牛肉のように赤い。
「なんだ、レアカツで食べても大丈夫だって言いたいのかい」
花恭さんの視線はなお鋭い。
当然ではあるよね。
「それはさすがに。見た目はイノシシ寄りですし」
その答えは
「あれ?」
「どうしたの」
「小春さん、これ、
マグロですか?」
「そのとおり!」
「またビックリした」
いつも花恭さん用と人間用で具材は分けるんだけど。
今回人間用は豚肉じゃなくてマグロにした。
理由は単純。
「マグロは鉄分が豊富なの。常に泳ぎ続ける魚だから、酸素を多く運ぶ必要がある」
「ヘモグロビンとかああいうヤツな」
「たまに鉄の味するマグロいるよネ」
それは処理が悪いんだけどね。
でも花恋さんの言うとおり。
マグロには鉄のニュアンスがあるし、
「つまり、
鉄ばかり食べてる禍も似たような味がする、
ってこと?」
「そう思いまして」
「なるほど?」
花恭さんはニヤリと笑い、
「確かにマグロカツだったら海鮮、オーロラソースもアリかもしれないね?」
カツをソースに漬ける。
個別の皿だから何度漬けしてOK。
そのまま一口。
ザクリと小気味よい音は、大成功の証。
しっかり噛み締めてから、まず飲み込む。
「読みどおりマグロとかに近い味だね。だからオーロラソースにも合う。ただ」
それから噛み切った残りをパクリ。
「歯応えはマグロと違って肉だな。
だから噛み締めると、肉汁も魚より溢れてくる。
それが下手したら鉄臭さを滲ませるかもしれないけど。
オーロラソースは甘味や酸味が強いから、上手に隠してくれるね」
ここで、グラスをガシッとつかむ!
そりゃもう、カツといったら白米かコレですよ!
花恭さんはアゴをあげて一気飲み。
喉をグッグッと動かすと、
「あーっ! その味濃いのばっかりなところを、ビールで流してまうってことだな!」
グラスを勢いよくカウンターへ。
お酒飲みの鑑みたいなリアクションだけど、ヒビ入れないでね。
その様子を終始見ていた花恋さんが手を挙げる。
「いいなぁ! 私にもビールちょうだい! 私は生ジョッキ!」
「みんな昼間っから飲んで」
この人たちにそこを説いても意味ないか。
サーバーからビールを注いでいると、
「……」
花鹿ちゃんもじっと花恭さんの方を見ている。
「花鹿ちゃんもなんか飲む?」
「あっ、いえ」
声を掛けると、ビックリしたように背を伸ばす。
思った以上に、思索に集中していたのかもしれない。
「どうかしたの」
「いえ、なんでもありません。ただ」
彼女はまた、花恭さんのカツに視線を戻す。
「やっぱりイノシシには思うところがあるな、って」
pig ironは本来脆い 完
コンテスト応募作品に専念するため、本作はここで一時完結といたします。
再開は未定です。
お付き合いくださり、誠にありがとうございました。




