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不空羂索観音

 ガソリンは掛かっていないにしても。

 汗とかかいて湿っていたとしても。


 あれだけの火力を前に、引火しないわけがない。


 しかも包帯の材質は綿とかポリウレタンとか。

 燃えやすかったり空気を含みやすかったり。


 悪い条件ばかり重なっている。


 言ってる間にも、


「は、早く!」



 明らかに包帯に沿って、炎の筋が花鹿ちゃんへ伸びている。



 危険だ。


「どうせ焼き切れて拘束なんかできないよ! 包帯を!」


 それでも彼女は放さない。

 いったいなんの意地を張っているの!?


 ただ、



 禍の方も動かない。



 もがいているけど、一歩も進んでない。


 包帯はとっくに燃え尽きていると思うけど。

 弱りきっちゃったのかな、


 なんて思って包帯へ目を向けると、



 強力な炎の中。

 かろうじて細い線のシルエットで見えていた包帯はもうない。


 その代わり、



 空中に文字が浮かんでる。



 包帯があった場所をなぞるように。


 一つ一つがピッタリくっ付いているわけじゃない。

 適度に隙間はある。

 そこを見えない糸で繋いでいるような。



 視線を、花鹿ちゃんへ迫る炎の先端へ向ける。


 包帯が見る端から焼け焦げて、ちぢれて、灰になって崩れていく。

 だけどその場に、


 やっぱり文字だけが残っている。

 よく見えないけど、漢字でもアルファベットでもない。


 梵字だと思う。


 そういえば、あの包帯は裏面にお経か何かが書いてあるって聞いたけど。



「オン・ハンドマダラ・アボキャ・ジャヤデイ・ソロソロ・ソワカ……! オン・ハンドマダラ」



 花鹿ちゃんは苦しげに、精いっぱい、真言を唱えている。

 私にはなんなのか分からないけど、



「『不空羂索観音ふくうけんさくかんのん』!」



 花恭さんが答え合わせしてくれる。

 いや、そんなことしてる場合じゃないんだけど。


「なんですかそれ!?」

「要点だけ話すとね。


 羂索っていうのは、動物を捉える綱のことだ」


 なるほど、それはこの状況にピッタリだね。

 でも、


 それだけにしては、花恭さんが妙に焦ってる気がする。


「で、見た目は8本の腕を持ち、シカの毛皮をまとった観音さまと言われている」

「それが?」

「別にそれだけだったら、ただありがたい仏さまの一人さ。でも」



「ジャヤデイ・ソロソロ・ソワカ! オン」



『ブオオオオオ!』



 綱引きはまだ続いている。

 完全な拮抗状態


 どころか、徐々に、数センチずつ、

 禍は川から引き剥がされていく。


 有利に()()が運んでいる。



 それを示すように。

 花鹿ちゃんの翼はより大きく、より強く光を放っている。



 それでも花恭さんの表情は晴れないし、花恋さんも歯を食いしばっている。


「それをあの子が、


 花鹿()が唱えるとどうなると思う?」


「え?」



「『シカの毛皮を観音さまに捧げ、その権能を存分にお借りする』」



「まさか!?」


 言われたことを国語で理解するより先に、雰囲気で察する。



「我が身を引き換えに観音さまを勧請(かんじょう)する。

 そういう『呪』に早変わりだ」



「そんな」


 花鹿ちゃんに視線を戻す。


 彼女の翼はますます光を増して、いや、



 もう体全体が光を放っている。



「あれは……」


 いつか、どこかで見覚えがある。


 そうだ。


 あの晩、



 ぬらりひょんが店まで私を襲撃して、

 花恭さんが助けに来てくれたときだ。



 あのときの彼も髪や袖を逆立てて、全身から光を放っていた。

 青と黄色の違いはあるけど、同じシチュエーション。



 花恭さんも捨て身だったのかは分からない。

 ぬらりひょんを前に、あるともないとも言えない。


 ただ、



 今回の花鹿ちゃんは確実に。



「オン・ハンドマダラ・アボキャ・ジャヤデイ・ソロソロ・ソワカ オン・ハンドマダラ・アボキャ・ジャヤデイ・ソロソロ・ソワカ オン・ハンドマダラ・アボキャ・ジャヤデイ・ソロソロ・ソワカ」



「やめてーっ!! そんなことしちゃいけない!!」


「しっ!」


 花恭さんが仕込み刀を上段に構えて、包帯へ飛び掛かる。


 きっといくら叫んでも、花鹿ちゃんはやめないはず。


 図書館で前向きな話をしたのに、とは思うけど

 やらなきゃ町も、人々も、


 私たちも終わってしまいかねないから。


 だから無理矢理やめさせるには、



 包帯を切って綱引きを、

 あの真言を唱える意味自体を奪わないといけない。



 だけど、


「くあっ」


 たどり着けない。

 発する光がすごいどころか、そこへ触れるまえに弾き飛ばされ戻ってきた。


「花鹿ちゃん!」


「オン・ハンドマダラ・アボキャ・ジャヤデイ・ソロソロ・ソワカ

 オン・ハンドマダラ・アボキャ・ジャヤデイ・ソロソロ・ソワカ」


 正確には今あの子の周りで、中で、何がどうなってるかは分からない。


 でも下手したら、包帯から引火して燃えるより先に

 彼女の何かが燃え尽きてしまいかねない。


「花鹿ちゃん!!」


 叫ぶしかできない。

 叫ぶしかない。


 ただ、声が命を繋ぎ止めるみたいな、おとぎ話を信じるしかない。


 ひたすら声を張り上げていると、



『ブワアアアアァァ!!』



 状況に大きな変化が訪れる。



 包帯から伸びる炎と、花鹿ちゃんから伸びる光がぶつかる。


 そのまま両方が混ざり合って、見分けが付かなくなる。

 下手したら光が炎を引き延ばして、花鹿ちゃんの全身まで包んでいるかも。


 割とそうかもしれない。

 見えている包帯は、彼女の腕に巻き付いている分まで燃え尽きた。



 ただそれ以外の服や体は、一切燃える様子がない。


 いや、厳密にはスカートの裾が焦げたりはしてる。

 でも思った以上に広がらない。

 ていうか今までの炎と違って、内側の様子がよく見える。


 で、花鹿ちゃんがそういう状況ってことは、



 逆に禍の方も。


 燃え盛る黄金色の光に包まれて



『ガアアアアアア!!』



 今までの雄叫びとは明らかに違う。


 天を仰いで断末魔をあげる。


 今まで一番の咆吼。

 もう何度目の近所迷惑かも考えられないでいるうちに、



 それが最後の力だったんだと思う。



 禍はゆっくり、地面へ横に倒れ伏した。



「わぁ!」

「やった!」


 ついに長い戦いが終わった!

 強敵を仕留めた!


 なんて喜ぶのも束の間。



 黄金色の光が、炎ごとまとめて霧散する。



 禍の死体以外、何もなかったかのように静まり返ると、



 パキン、と何かが割れる音がする。



 花鹿ちゃんの翼が砕け散ったんだ。



 そのまま彼女は空中で、ふらりとバランスを崩し



 ゆっくり地面に向かって落ちていく。



「花鹿ちゃん!」



 重力に任せた自由落下じゃないのが救い。

 私の脚でもじゅうぶん落下地点に間に合った。


 それを見越してか、花恭さんと花恋さんは動かなかったから、


「おっ、と」


 私がそのまま、花鹿ちゃんをキャッチした。


 他意はないけど自然とお姫さま抱っこのかたち。

 でも気にしている場合じゃない。


「しっかり! しっかりして! 花鹿ちゃん!!」


 腕の中で目を閉じる少女を、力任せに揺さぶると



「小春さん」

「花鹿ちゃん!」



 寝起きのようにゆっくり、目と口を開いて答えてくれた。


「まったく! なんて無茶するの!」

「ふふ」


 花鹿ちゃんは力なく微笑む。

 だけど、



「ちょっと、疲れましたね」



 ちゃんと、はっきりした温度がある。

お読みくださり、誠にありがとうございます。

少しでも続きが気になったりドキドキしていただけたら、

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よろしくお願いいたします。

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