歩兵の駒
花恭さんはもう一度コーヒーを飲む。
今度はもう一気飲みだった。
スプーンが顔に当たるのも気にしていない。
グラスをテーブルに置くと、私の目を見つめる。
オチまでは言ってないけど、大体の顛末を察せるまでは進んだ。
だから反応を見ているんだろう。
でも困る。
私はなんて言ったらいいの?
言いたいことは山ほどあるけど、どれから切り出せば。
受け止めて背負うはずだったのに、なんて情けない。
「じゃあ、それで生まれたのが」
「花鹿だ」
なんの気の利いたコメントもできないから、ただ事実確認しかできない。
あるいは、
「で、でもおかしくないですか?
花鹿ちゃんは16でしょ? 花猪さんはもう成人してる、お酒が飲めます。
ご当主に言われたわりに、結構間隔空いてます」
花恭さんがウソつくはずもないのに。
この後に及んで、起きた事実を否定しようとしている。
そんな逃げの姿勢に天罰か。
「あのね小春さん。
生まれた子がみんな大きくなるとはかぎらないよ」
「うっ」
聞かなければ聞かずに済んだかもしれない、重い言葉。
「でもですよ。花猪さん、花鹿ちゃん、花蝶ちゃん。『猪鹿蝶』でしょ? 順番じゃないですか!」
あぁ、またそんな、性懲りもない悪あがき。
自分の発言で、嫌な現実に気付く。
そういうつもりで、『花猪』なんて女性におかしい名前付けたんだな。
花形への決意表明。
自分の名前、姉の名前。
親からの最初の贈り物で、一生使う『自分』を表すものに
剥き出しのそういう予定が
呪いみたいな宿命が刻まれていると知ったとき
彼女は何を思っただろう。
もう痛い。
勘弁して。
あの子のために背負うんじゃなかったら、とっくにリタイアしてる。
それを見越しているのか、
「そうだね。でも、
『花鹿』が生まれて次の子が生まれるまでにいなくなったら、
別に『花鹿』で被らないしいいんじゃない?」
逃げない相手はいたぶり放題だ。
今の私もだけど、
生まれた家からはもっと逃げられない。
「そんな、番号みたいな、物みたいな」
「親は親で、娘のために屋形にまで逆らったほどだ。
そうでもしないと、やってられないだろ。
耐えられないぞ。また愛してしまったら」
つまり、
「愛しもしなかったんですか。物ほども」
「さてね。普段の家庭の様子はよく知らないし、包帯の下に虐待の痕があるでもないし。
なんだったら花猪さんの態度的に、そこそこ普通に扱ってはいたんじゃないか?
ただ、本人も言ってたよ。
『だから“将棋の歩”なんです』
『大駒の身代わりで死ぬのが役目です』
『たとえ立派な金将になっても、もともと歩なので扱いはそんなものです』」
背もたれに沈む私は、さぞ頼りないことだろう。
「なんで」
「別にいいんだよ。『いい言葉が見つからない』っていうのは、相手の痛みを尊重しているからだ。
誰も真に他人の痛みと同化することはできない。
だから適当なことは言えない。
『この言葉なら助けになる』って、勝手に測ったりしない」
「お見通しですか」
「見たんじゃない。なった」
そっか、花恭さんも過去にこの話を聞いて、何も言えなかったんだ。
「ま、小春さんほど『私が受け止める!』ってイキったりはしなかったけどね」
「グフッ! そのうえでフォローまでされてる私……」
情けなくも天井を見上げると、
新しくなって白い天井に、花鹿ちゃんの顔が浮かぶ。
記憶の中で一番多い、優しい明るい笑顔。
そこにいつか見た、寂しい微笑みが重なる。
あれは確か、『学校に行こうよ』なんて説得した日だったっけ。
ぐったり、力が入らなくなっている体。
今度は急に、じっとしていられなくなる。
「花恭さん」
「なんだい」
椅子から立ち上がる。
花恭さんはじっと私を見ている。
「今回の鉄泥棒、妖怪なんですよね? 出そうな場所も目星ついてるんですよね?」
「そうだけど?」
「教えてください。
花鹿ちゃんを探しに行かないと」
急な話にも驚いたりしない、今度こそ見透かしてたような表情。
小さく微笑んでいる。
「まだ現場には行かずに、潜伏してると思うよ?」
「でも探しに行かないと。近くにはいるはずだから」
「見つけてどうするの」
「どうもしません。
『いなくなったら探す』
当然でしょ」
「……そうだね」
花恭さんはゆっくり頷いて、
「3ヶ所ほどあってね」
椅子から立ち上がる。
と同時、
「じゃあ朝ごはんは道中、コンビニとかで買ったらいいのかな?」
また角から姿を現したのは
「花恋さん」
壁に背中を預けて
「や☆」
腕組み状態から人差し指を立てる。
ベ◯ータかよ。
「ずっといたのかい」
「いやいや、上の階にいたけどさ。お腹空いたのよん。で、ごはんどうするの?」
字面だけ見てるとダメな夫だけど、空気を柔らかくしてるんだろう。
輪を掛けて態度デカい旦那みたいな花恭さんがフフンと笑う。
「そんなことしないでも、すぐ食べれるものが山ほどあるのがこの家のいいところさ。前日の残りとか」
「オッホウ☆」
「お米に煮込みでも掛けて食べてください」
食事は勝手にさせといて、私は先に表へ出る。
玄関に札を掛けて、SNSでも告知する。
内容は
『本日臨時休業』
普段は花恭さんに振り回されて、いやいや出してる文言だけど
「よし」
今日だけは、なんとも思わない。
別に誇らしく思うことでもない。
仕事より当然に、やるべきことをやりに行くだけだから。
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