逃避
あまりのことに呆然としていると、
「小春さん」
「あっ、えっ」
花恭さんが椅子から立ち上がっている。
「代金ここ置いとくよ。お釣りは次飲みに来たときから引いて」
「は、はい」
彼は1万円札を伝票に挟むと、
「じゃあまた」
お店を出て行ってしまった。
「花恭くんが途中で帰っちゃうなんて、めずらしいわね?」
「いつも看板までいるもんな」
「初めてじゃないかしら?」
私からすれば花鹿ちゃんのことの方がビックリだけど、
(予定がないことは知っているし、帰る家はここだ)
常連さんたちからすれば、花恭さんの方が驚きな様子。
ある意味カモフラージュにはなってはいるからいいけど、
「花鹿……」
予想外に取り残された花猪さんの、ポツリとしたつぶやき。
なんと言っていいか、何か言っていいのか。
でも、急な用事とも言ってたし。
花恭さんまで出て行ったんだ。
(あの、花恋さん)
(何かな)
もう一人の分かる人に聞いてみる。
(妖怪でも出たんですか?)
でも、ハツを受け取った彼女は山椒をかけながら、
(何も感じないけどなぁ。私が悪酔いしてないかぎりは)
いかにも素面どころか、
無感情なくらいの様子で答えた。
それから花猪さんは1時間くらいお店で妹を待ってみたけど。
どうやら鯨でも馬でもないみたい。
さすがに飲み食いの限界が来て、
でも注文せずに席を占めるのも悪いということで、
「お勘定をお願いします」
「えっ」
「今日はもう帰りますね」
「そうですか」
ホテルへとお帰りになった。
妖怪狩りではないので、ウチには泊まらないみたい。
各個撃破の対象じゃないけど、大丈夫かな。
「じゃあ私送ってくよ」
一応道中は花恋さんが付いていてくれるらしいけど。
ちなみに彼女の方はウチに泊まるらしい。
2階に入るかな?
今度は逆に私が一人になってしまったんだけど、
その後は何事もなく営業が終了した。
つまり、花鹿ちゃんと花恭さんは帰ってこなかった。
時刻は深夜、3時半を回っている。
花恋さんは2階で爆睡。
私も片付けやお風呂を済ませて、あとはもう寝るだけ
の段階から
「明日の仕込み、明日の仕込み。今日やっておけば明日が楽になる」
なんて言い訳をして、延々里芋の皮を剥いている。
せっかく洗いものも済ませたのに。
お肌にもよくない。
「イカと煮込んだり、フライにしてもおいしいよねぇ」
真夜中に独り言言いながら作業する女子大生。
芸大生でもなければ異様な光景を振り撒きながら、皮が剥けたら寝ればいいのに、
「この量なら、鍋はコレでいっか」
下茹でまで取り掛かろうとしていると、
カタ、と引き戸が音を立てる。
来た!?
我ながら、作業中にも関わらず意識取られすぎだね。
はともかく、
続けてガラリと開く引き戸。
そこに立っていたのは、まさしく花恭さんと花鹿ちゃんだった。
「あ! お帰りなさい!」
「なんだ、まだ起きてたの」
花恭さんは呆れた表情を浮かべたけど、
「ま、小春さんの勝手か。お風呂湧いてる?」
「はい、花恋さんが入りましたし。でも追い焚きした方がいいかも」
「じゃあぺこちゃん先入ってきな」
安心した表情にも見えた。
一方花鹿ちゃんは、
「はい」
声が小さいのは、夜中だからとかじゃないと思う。
疲れ切った無表情で、そのまま奥へ上がっていく。
姿が見えなくなって、お風呂場の引き戸が開く音がしてから
「ふう」
花恭さんはため息ひとつ、カウンター席に腰を下ろす。
「お疲れさま。なんか飲みます?」
「ホットウイスキーがいい。あとはんぺん板わさみたいにして食べたい」
「はいはい」
正直マリアージュも何もない組み合わせだけど、
深く飲みたい気持ちとあっさり食べたい気持ちがあるんだろう。
精神的にキてそうな。
バーボンを徳利に入れて、すぐ出た方がいいだろうしレンチン。
そのあいだにはんぺんをスライス。
「どうぞ」
「どうも」
花恭さんは無言ではんぺんをかじる。
硬さがない食品だから、咀嚼の音もしない。
無言の空気に耐えかねて、悪いとは思うんだけど
「何があったんですか」
思わず聞いてしまう。
彼は間合いを取るみたいに、ゆっくりバーボンを一口。
ふう、とひと息ついてから、お箸持ってない右手をひらひら振る。
「パトロールだよ、パトロール。妖怪探しだね」
「なんだって急に」
「昼ニュースやってたでしょ? 鉄骨泥棒。
小春さんも『妖怪かも』とか言ってたじゃん。
だから現場を確認に」
「そうじゃなくて」
いやまぁ、それも気になってはいたけど。
先に聞きたいのはそこじゃない。
でも、明らかにはぐらかすみたいな話題の選び方。
聞かない方がいいのかも。
いや、でも
「私もですね。同居人で協力者なんです。
聞く権利と知っておく義務があります」
「なんだ、急に重たい言い方」
花恭さんはじっと私を見る。
もう呆れとか誤魔化しじゃない。
目が語っている。
『踏み込むのか』
と。
いいとかダメとかじゃなくて、ただ問うている。
分かってるよ。
でも、今この場で花恭さんだけが抱えているのも苦しいだろうし。
私も花鹿ちゃんも今後、接し方接され方が迷子なのもキツいだろうし。
「なんで今日、花鹿ちゃんは逃げ出したんですか」
花恭さんはじっと私を見る。
私も逸らさない。
ここで引いたら、きっと踏み込む資格を失う。
数秒そうしたあと、
花恭さんは頬杖を突き、箸を置く。
「あの子はね」
その瞬間、
ガララッとお風呂場の戸が開く音がした。
花恭さんの肩が少し跳ねて、ハッとした表情になる。
結果、目を逸らしたのは彼の方だった。
「僕が言えるわけないだろ」
そのまま彼は一気に残りのウイスキーを飲み干すと、
「ごちそうさま。はんぺんは冷蔵庫入れといて」
席をたって、奥へと引っ込んでしまった。
少しだけ眠れた翌朝。
花鹿ちゃんの弁当を作らねばと厨房へ出ると、
「あ」
カウンターにメモ書きが。
『今日は学校の当番で早めに出ます。
なのでお弁当はいりません。
昨日のうちに言っておくべきでしたね。
わざわざ早起きしてくださったのならごめんなさい』
「なんだろう。朝の掃除当番とか? 部活は入ってないしなぁ」
まさか日直でここまで早くはないはず。
しばらく寝起きのぼんやりした頭でのんきに考察してたけど、
頭が少し回ると、なんか妙な予感がする。
2階に戻ろう。
女性陣の寝室、2階。
そっと引き戸を開けて、隙間から中を覗くと
花恋さんが寝ている。
花鹿ちゃんはいない。
ただ、
「やっぱり」
通学用のサッチェルバッグが、置き去りになっている。
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