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夢より淡く、幻覚より深い

 まだ17時は明るいけれど、このごろ18時はもう暗い。

 そのうち17時から薄暗い季節になるはず。


 暑い方がみんなビールを飲みたくなるけれど。

 寒くなれば燗の注文が増える。


 それにカフェより居酒屋にフラッと入るのも、避暑より温まりたいイメージ。


 日も早く落ちれば、その分飲酒への心理的ハードルも下がる。


 気がする。

 プロじゃないからよく分かんない。


 とにかく日本は四季の国。

 食材も味覚も季節によって移りゆく。


 だから料理人(アマチュア)として、暮れゆく太陽と空気の肌触りには敏感でいたい。


 なんて思いながら。

 窓から差し込む、昼と夕方の隙間の西日を浴びつつ。


 私は厨房にて寸胴鍋と向き合っている。



「夢、だったのね」

「そうだね」



 向かいのカウンター席には花恭さん。

 花鹿ちゃんはまだ学校。そのうち帰ってくるでしょ。











 前回の荒唐無稽、頭が痛くなるような展開。


 見ている最中は気付かないもんだけど、

 起きてみれば当然夢で。


 ただ、最後に


『無事かい』


 と顔を覗き込んできた花恭さん。


 あれだけは現実だった。






 話は今朝に遡る。

 本日『はる』は定休日。


 花鹿ちゃんは普通に学校があるし、起きて朝の準備をしてあげたんだけど。


「牛乳牛乳にゅっにゅにゅ〜。あ、コップにお茶入ってる」


 花鹿ちゃんは冷蔵庫の中に緑茶を発見。


「小春さーん、これ飲んでもいいですかー?」

「え、あー、いいよー」


 そのとき私はお弁当にだし巻きを焼いていた。

 だからロクに確認もせず、生返事してしまったんだよね。


 むしろ『朝からお茶なんて優雅じゃないの』なんて思ってたら、



「え゛あ゛あ゛あ゛あ゛」



「花鹿ちゃん!?」


 どうやら昨日花恭さんが作るだけ作って飲まなかった、

『麦焼酎の緑茶割り』

 だったようで。


 未成年の未経験な喉に、割っても10度以上のアルコールが不意打ち。


「え゛う゛ー! え゛う゛ー!」

「大丈夫!? その、その悲鳴大丈夫なヤツ!?」


 結論から言うと未成年飲酒以上の問題にはならなかったけど、大騒ぎ。


「なんなの、朝から……」

「大体アンタのせいですよ」

「なんなの……」


 結果花恭さんは起きてしまい、



「行ってきまーす」

「行ってらっしゃーい」

「車撥ねないようにねー」

「逆じゃないですか?」


 花鹿ちゃんが学校に行ってから


「じゃあ小春さん。僕らも出掛けようか」

「えっ」

「たまにはどっか遊びに行こう。小春さんの行きたいとこでいいから」

「せっかくの休みなのに……」


 遠出する羽目になった。






 で、どうしたかっていうと、


「こんなときまで仕事?」

「趣味です」

「そうまでして節約するんだ」

「別にお店で使うワケじゃないから」


 海まで磯釣りに来た。


 花恭さんは釣りをしない

 というか、着流しの裾が濡れるのが嫌だったみたい。


 しばらくは離れた位置で見物していたけど、


「小春さん、僕向こうでコーヒー飲んでるよ」

「はーい」


 シーサイドカフェを見つけて、そっちへ行ってしまった。

 まぁ夏のぶり返しみたいな日差しだったもんね。


 にしても、


「久々の一人時間だなぁ」


 思えば花恭さんと同棲してから、24時間のほとんどを人と過ごしている。


 別に悪くはない。

 ずっと実家暮らしだったし、孤独は身に沁みる。

 賑やかにしてもらって助かってる。


 でも人にはこういう時間が必要なのよ。


 誰にも邪魔されず、一人何に気を遣うでも向けるでもなく。

 ただボーッと、水平線でも眺めながらこの星と一つになる。

 大気のようになって無と統合される。


 自分だけの、否

 この世の全てから切り離された時間。


 あぁ、深い



 なんて思っていたら。


 深かったのは意識の底。



 知らないうちに意識を失ってたみたい。



 とまぁ、最初は溺れたか日射病と思ってたんだけど、











「まぁ厳密には夢というより幻覚だな」


 時と場所は戻って『はる』のカウンター。

 花恭さんが()()()の徳利を摘んで揺らす。


 中身は山廃(やまはい)の日本酒。

 切れ味よりは()()()()な味わい。

 温めることで、芳醇な香りがより膨らんでいる。


「幻覚ねぇ」



「『蜃気楼』っていうでしょ?」











 また時間軸が前後してごめんね。


 釣りの最中に気を失って、例の意味不明な夢を見て。


 私が目覚めたとき、場所は病院でも元の磯でもなく、

 いや、磯ではあるんだけど、


「ん……ここは……



 ぶえぇ!?」



 巨大なハマグリの中だった。



 上の殻に穴がぶち開けられている。

 花恭さんが入ってきた痕跡みたい。


「なになになにコレ!?」


 もしかしてハマグリのギネス記録見つけちゃった!?

 なんて思いもしたけど。


 花恭さんは先に外へ出て、


「ん」


 手を伸ばして私を引っ張り上げる。

 穴から出て改めて見ても、やっぱり大きなハマグリの上。


 中に私が入れていた時点で相当なのは分かっていたけど。

 改めて見ると、電車の車両1台くらいの幅がある。


 それが磯に鎮座。

 気付かなかった私って……。


 彼はブーツのつま先でタンタンと殻を踏む。



「コイツは『(しん)』だ」



 れっきとした妖怪みたい。











「蜃気楼は古来より、この


『蜃が吐いた息の上に現れる幻の都市』


 と信じられてた」

「へぇー」

「で、元々は龍だったらしく。街に迷い込んだ者をそのまま腹の中に収めてしまう、とも」

「それが巡り巡って、人喰いハマグリになったんですか」

「『水を司る霊獣』とハマグリが、どっちも


(みずち)


 て呼ばれてた結果の混同やだと言われてるね」


 で、私を食べようとした人喰いハマグリはというと、


 逆に今、寸胴鍋の中でグツグツと煮られている。


 身も殻ほどじゃないにしろ巨大だからね。

 細かく刻んでも大きい鍋じゃないと入らない。

 今日はお店も休みだから、ちょうど寸胴が空いている。


「いい匂いがしてきたな」

「貝出汁っていうのがありますからね。これだけ身が入ってると、そりゃ抽出量が段違い(ダンチ)です」


 で、この貝出汁っていうのがまた。

『アサリの酒蒸し』なんてのがあるように、酒飲みの舌に合う風味なのです。


 だから他の出汁は鰹節と昆布を薄く引いて、

 調味はしょうゆをほんの少し。

 あとは塩で細かく調整して、ミツバをひと摘み散らしたらば


「はい、



『蜃のお吸いもの』」



「おおー、ハマ吸い!」


 ハマグリのお吸いものは正月やひな祭りに食べる風習がある。

 特に京都で色濃く残っているみたい。


 花恭さんにとっても、馴染み深い味のはず。


「香りだけで酒が進むなぁ」


 湯気や液体でお酒飲んでるって思うと、飲まない人からするとビックリするかも。

 でも世の中には『出汁割り』とかあるくらいで。

 酒飲みは出汁と縁が深く、業も深い。


「あぁー」


 たっぷり香りを楽しんでから、ついにひと口。

 熱い汁ものを飲んだ人類は、誰だってこの声が出る。


「お上品。だけど決して薄くない。

 研ぎ澄まされた貝のうまみと()()()な磯の香りが、しみじみするよ」


 次にミツバをひと口。

 熱が加わって適度にシャキシャキした歯応えが、見ているだけでも伝わってくる。


「磯の香りも草の香りも、それだけ聞いたらいい印象ない言葉なのに。

 どうしてこう清らかになるもんだ」


 本場の舌もご満足いただけているようで。


 私も()に食われた()()があるってものよ。


 ……いや、ない。

 無理矢理ダジャレにしたけどないわ。


 勝手に心の中でやって、勝手に恥ずかしくなったので。

 誤魔化しに適当な話題を出しておく。


「それにしても、夢じゃなくて幻覚ですか」

「どっちでもいいけどね」

「でも内容の意味不明さは『THE・夢』だったな。

 幻覚ならもうちょっとストーリーの通った、甘いもの見せてくれてもいいのに」

「やらしいヤツ?」

「セクハラで訴えますよ」


 話題間違えたかもしれない。


「あ、そうだ」


 気マズいのを察したワケじゃないだろうけど。

 花恭さんは違う話に移ってくれるらしい。


「どうしたんですか」

「今度ね、



 花恋さんがこっち来るって」



 花恋さん?

 そういえば蜃気楼の最後は……



 やっぱり夢、予知夢なのでは?











               胡蛤の夢 完

お読みくださり、誠にありがとうございます。

少しでも続きが気になったりクスッとでもしていただけたら、

☆評価、ブックマーク、『いいね』などを

よろしくお願いいたします。

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