命くらい大事なっていうか店の命
「うう〜ん」
昨晩と今朝はよく寝られた。
台風はガタピシ鳴ってて、花鹿ちゃんは
「家がどうとか関係なく学校行きたくないです」
と寝不足だったけど送り出し、予定どおり11時まで二度寝。
やっぱり頭に引っ掛かってることが落ち着くと、スッキリするもんだね。
実際昨日の話し合いじゃ、何が解決したわけでもないけど。
頭の中だけから取り出すのは大事。
そんな清々しい気分で、換気のために玄関を開ける。
うーん、台風一過の空は私の気分のよう。
今日も世界は美しい。
ちょっと外に出て深呼吸でもしてやろうか
ってところで、
「ん?」
なんだか違和感が。
なんだろう。
いつもと見えてる光景が違う?
「あ、そうか」
分かった。
青空がよく見えてるんだ。
いつもは玄関開けただけじゃ、ここまで空は見えない。
別に屋根や庇が出っ張ってるわけじゃないんだけど、
いつもはのれんがあるから、視界遮られてるんだよね。
え? 営業時間じゃない朝は片付けてるもんじゃないのか、って?
それがねぇ。
おじいちゃんが、しまわない方針だったのよ。
曰く、
『お客さん入れない時間でも、人自体は店の前を通る』
『だから
「今日はお客さまじゃないけど、ご縁に名前だけでも売らせてください」
ってごあいさつしなきゃイカンのよ』
とのこと。
私もそれに倣って出しっぱなし。
やってるかは『仕込み中』のスタンド看板で判断してもらってる。
で、
そののれんはどこ行ったの?
「まさか、昨日の台風で!?」
それはダメ!
アレはくたびれてもほつれても創業以来使ってるらしい、大切な……!
もあるし、普通に他所さまの家の窓ガラス割ってたらトンデモない!
せめて近くに落ちてないかな。
慌てて飛び出して、キョロキョロ見回すと、
「あ、なぁんだ」
のれんはちゃんと、店内テーブル席の上に置いてある。
そうだったそうだった。
昨日は『さすがに台風は話が別』って、特別に取り込んだんだった。
「ふぅ〜。のれんや看板はお店の顔、お店の魂。これを失うなんてことがあっては……
ぎぃやああああああ!!??」
「なんだい、朝から騒いで」
絶叫から花恭さんが起きてくるまで数分。
そのあいだ私は、路上で腰を抜かしたままだった。
「あ、あ、おはよう」
「おはよう」
「朝って、もう昼まえですよ」
「僕が今起きたんだから今から朝だ。
で、何があったの。またチャリにでも撥ねられた?」
「いや、そんなんじゃないですけど……」
混乱のあまり、うまく言葉が出てこない。
代わりに問題の箇所を指で示す。
ただ、花恭さんの位置からは見えない。
彼は素足のまま私の隣まで来た。
「で、なんなの」
「ほ、ほら、あれ」
花恭さんの視線が、誘導する先
普段のれんがある箇所の少し上を向く。
そこには、
いつもの『小料理屋 はる』の看板が、
「『Love Hotel Je t’aime』になってる!!」
「うわぁ、最悪だ」
私の! おじいちゃんのお店が!
大変なことになってる!
一応小洒落た感じのおかげで高級フレンチに見えなくもないけど!
『ショート:3,000〜
ご休憩:4,200〜
サービスタイム:4,900〜
宿泊:5,500〜』
のせいで、なんか食べ放題みたいになってる!
「まぁでもいいじゃん。たいして変わらないでしょ。女子高生がセーラー服でお酒の接待してくれる店だし」
「違うわ! 違わないけど!」
そのサービスタイム(?)は昨日、基本廃止の方向で決めたでしょ!
「なんだ心配して損した。妖怪に襲われたのかと。はぁアホらしい。眠」
花恭さんは目を擦っている。
まだちょっと寝起きが抜けきってないっぽい。
じゃないと素足で出てこないよね。
「どうせ常連はいちいち看板なんか見てないって。
どうしても嫌だったら、外して空白にしとけばいい。のれんにも『はる』って書いてある」
「そうはいかないの!
アレはおじいちゃんが人から、開店祝いに贈ってもらったものなの!!」
サラリーマン時代の同僚のツテで、宮崎から飫肥杉の大きな板材を取り寄せ!
上司さんの奥さんのツテで、有名な書道家に一筆いただいた!
美術品とも言えるものなのに!
「誰よ、こんなイタズラしたヤツ!」
「道場破りでしょ」
「まさか転売とかされてしまうの!?」
「文字入ってるし、割って薪にされるのが関の山かな」
「NOOOOOOO!!」
そっ、そのようなことが許されていいはずががっががが!
目の前が真っ暗になってきた。
気も遠く……呼吸してるのに酸素が入ってきてない気がする……
たぶん私今、泡吹いてる……
きっと瀕死の人間を憐れんだんだろうね。
「まぁ大丈夫だって。そんなのされないし、探せば見つかるよ」
花恭さんは私の肩を叩きながら、雑に励ましてくれる。
でも辛いうえにどうしようもないときは、根拠のない優しさが唯一の特効薬。
「ありがとうございます。ちょっと気休めにはなりました……」
「はっはっはっはっ」
花恭さんは腰に手を当てて笑っていたけど、やがて
「まぁそれはそれとして。いつまでも地べた座ってないで。バッちぃよ。
ん」
すっと手を差し伸べてくる。
「素足の人に言われても」
「ホントだ」
なんか優しい、優しすぎて。
思わず照れ隠ししながら引っ張り上げてもらうと
「でね、小春さん」
その柔らかい表情が
「こんなことしたヤツに、復讐したいと思わないかい?」
一転イジワルそうにニヤリと歪む。
「そりゃしたいですけど。犯人分かってるんですか?」
「まぁね。で、したいんだね?」
「あー、まぁ」
どうせ看板は戻ってこないんだ。
正直どうでもいいから、テキトーに返事していると
「じゃあ、
千葉行こうか」
「はい?」
生返事の代償には、結構重いワードが飛び出した。
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