特に恵みではない雨
雨はよろしくない。
大変よろしくない。
なんでって、客足が遠のくから。
「でも開店まで4時間あるじゃん。それまでには止むかもしれないよ?」
13時。まだ仕込み中の、しとしと雨で薄暗い店内。
ぼやく私の正面、カウンターを挟んで花恭さんが応える。
めずらしく励ましてくれてる?
「そうじゃないんです。雨だと気圧が下がるでしょ? それで頭痛起こすでしょ? 『今日は飲みに行くのやめとくか』ってなるんです」
「いるねぇ、気圧で死にそうになる人。生きるのつらそう」
そういう彼は気圧で体調を崩さないタイプらしい。
アジの南蛮漬けで日本酒を飲んでいる。
「どう?」
「この吟醸系と合わせる分には絶品だね。でも料理単体で考えたら、もうちょっと酸っぱくてもいいかな」
仕込みの邪魔だった昼間の来店もこのとおり。
味見をさせれば役に立つ。
犬とハサミは使いよう、これが発想の転換よ。
借金も減って一石二鳥。
でもせっかくいい小アジが手に入ったのに、あいにくの天気。
「ぜひ常連さんに食べてほしい、最高の一品なのに」
「酒飲みは南蛮漬け好き多いもんね。僕も好き♡」
一人も客が来ない、ってことはないだろうけど。
残念ながらほとんどは、花恭さんの胃の中に消えるかもしれない。
「困ったなぁ。ここのところ、客の入りが少し落ちてるのに」
「なんでだろうねぇ」
「いやオマエだ」
元凶は露骨に目を逸らす。
「僕のせいじゃないよー」
「直接の理由じゃないけど遠因ですよ」
その直接の理由とは。
先日の河童トンコツラーメン。
結局あの異臭が営業時間までに落ちず
というか数日消えず。
衛生管理を疑われたり、単純に飲み食いの気分じゃなくなったり。
客足が少し離れてしまった。
こんなヤツに妖怪料理など作らされなければ!
被害はそれだけじゃない。
「寸胴だって買い換えですよ。妖怪なんか煮込んじゃったら」
すると彼は視線をこっちに戻す。
「それには及ばないよ」
「はぁ? 河童煮込んだ鍋でもつ煮はダメでしょ。お腹壊しますよ。最悪河童が感染する」
「河童が感染するかは知らないけど。妖力がこびり付いた、ってのが気になるのは分かる」
花恭さんは着流しの懐に手を入れ、何やらゴソゴソ。
本当にそこに物を収納する人っていたんだな。
ちょっと感動。
というのはさておき、
「ほら、これあげる」
彼が取り出したのは、青い市松模様の小さな茶巾袋。
「なにこれ」
「僕特製の、清めのお塩」
「清めの……」
「コレを使えば、妖力も穢れも一発ノックアウト、キレイキレイなるよ!」
花恭さんはドヤッと胸を張る。
だけどそういう問題じゃない。
「いや、実際どうとかじゃなくてですね。こう、気持ち的にえんがちょっていうか」
正論100パーセント、何も間違ってはいないはず。
なのに彼はカウンターに頬杖ついて、
「はぁ〜」
呆れを隠さないため息。
「なんだよ」
「キレイにしたのに汚いって? だったら人間なんてみんな、その手で夜な夜な」
「ノーッ!? ストーップ! ヤメテーッ! ソレとコレは別でしょ!? やめろよ!」
「何が違うんだい」
何がって言われると困るけど、認めるわけにはいかない。
でないと今後、対人サービスを受ける場面で落ち着いていられない。
夫婦で営んでいる料理屋なんかもう入れない。
下手に何か口にしたら、時空を超えた強制3P参加みたいになってしまう。
おのれ花瀬花恭!
うら若き乙女にセクハラしやがって!
もうイヤ。
そもそも褒められた会話内容じゃないし、話題転換にテレビをつける。
『続きまして、今世間を騒がせている新宿区連続猟奇殺人事件ですが』
「ふーん、東京は怖いなぁ」
といっても、この時間はワイドショーか、BSで古い刑事ドラマくらいしかやってない。
キャスターかタレントかいまいち分からないオジサンが、大きなパネルの前にいる。
元々は『お客さんがナイター中継でも見るかも』っておじいちゃんが設置したテレビ。
でも今はもっぱら、仕込み中の作業用BGMにしか使われていない。
まさか巨人の四番より、スーツのオジサンばかり映すことになるとは。
だけど普段ニュースかバラエティか分からない番組も、今日は神妙な顔をしている。
『被害者はみんな頭部を切断されている、ということで。警察は同一犯の犯行と見て捜査をしているとのことです』
『しかもこれが、被害者が発見されるのは決まって雨の日かその翌日。ということで、ネットやSNSではこちら』
オジサンがボードのシールを捲る。
『「雨の首狩り族」、というあだ名で呼ばれているんですねぇ』
……やっぱりそんなに神妙じゃないかもしれない。
「あー、コレ、週刊誌にも載ってた。『雨の食人族』」
「なんか今おかしかったですね」
まぁワイドショーなんて、それでちょうどいいのかもしれない。
見てるのが昼間からお酒飲んでるエブリデイ食妖怪族だし。
「週刊誌なんて読むんですね」
「京都にいたころは読まなかったけどね。東京来たら読みたくならない?」
「いえ、まったく」
「だって東京だったら結構な数のネタが、おんなじ街で起きてる話なんだよ?
『僕が今歩いている交差点のビルで、記事に載る何かが起きているかも』
とか思ったら、親近感湧かない?」
「湧かない。芸能人なんて、至近距離にいても別世界すぎます」
「ふーん」
花恭さんはつまらなさそうに、残った薄切りのタマネギをつまむ。
かく言う彼も私からすれば、非日常側の住人なんだけどね。
それが毎日のようにご飯食べに来てる。
よくよく考えたら、非日常が私の日常になろうとしている?
なんか変な汗出てきた。
救いを求めるように、清めの塩を寸胴やオタマに振るけど、
そもそもコレだって、あの人がくれたもの。
「……ぅぉぉぉおお……」
「どうしたの、急に」
頼む!
頼むからこれ以上私の日常を侵食しないでくれ!
私はただの小料理屋の大将代理でいたいんだ!
非日常なんてせいぜい、吉田類がテレビ番組で来るくらいでいいんだ!
口には出さねど、念を花恭さんへ送ってみると、
「ふーん、だったら」
もしかしたら妖怪食べるだけあって、エスパーなのかもしれない。
思いが通じたか、彼は椅子から立ち上がる。
「小春さん、散歩行こうよ」
「この雨の中を?」
「この雨だから」
「えぇ……」
この男、ニタリと笑う。
絶対思いが通じていない。
あるいは通じたうえで無視されてる。
ちなみに河童トンコツに使った食器は
普通に匂いが取れなくて買い換えとなった。
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