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言うほど敏腕じゃなかったのかもしれない

 梅雨が明ければ雨が降らない、なんてことはない。

 気温が高ければ水は蒸発するし、雲が増えて雨が増える。

 夏はまだまだ雨の季節。そのうち台風も来る。


 それ自体は分かっていれば、そう困るものでもない。

 傘さえ常備しておけば、困るのは洗濯物や食器が乾かないくらいのもの。


 そう、傘さえ常備しておけば。


 そうでない場合は。











「あーもう! 予報じゃ夕方まで晴れだっつってたじゃん!」


 彼は30代保険営業マン。

 若手が多い営業所では中堅どころにしてエース。

 今日も忙しく10時から小一時間、顧客とのアポをこなしたところ。


 というわけで、営業先にデカいコウモリ傘を持っていっても邪魔になる。

 折りたたみは妻に貸して以来帰ってこない。


 そんなわけで、傘を営業所に置いてくればこの始末。

 予報は大外れ、バケツをひっくり返したようなザザ降りである。


 こんなことなら社用車に乗ってくればよかった。

 アポ先が住宅地ということ、


 より細かく言えば、駐車場がなく駐禁を取られかねない。

 なおかつ古い宅地にありがちな、ただでさえ曲がり角が多く運転しにくい

 対向車が来たらすれ違えない道幅。


 そういった兼ね合いから、電車で来てしまった。


「クソクソクソ! スーツこのまえクリーニングに出したとこなんだぞ!」


 彼は頭上に書類カバンを掲げるも、肩やボディ、足元はカバーできない。


 これも住宅地の弊害。

 大通りではないため、道ゆくタクシーをパッと捕まえることはできない。

 かといって営業先のお宅で雨宿りも印象が悪い。


 仕方なく雨の中飛び出し、駅まで急いでいる次第である。


「完全にミスった! 午後のアポまでに乾くか?」


 しかし、目の前の顧客に気を遣いすぎた。

 次の顧客の家にズブ濡れで向かうことになりかねない。


「あー! 全部あの気象予報士が悪い! 許さねぇぞ!」


 革靴なので、スニーカーみたいに靴下にまでは冷たさを感じない。

 だが逆に、そうなったら完全にアウトな気もする。


 男が雨に混じって、焦りの冷や汗を流していると



「ん?」



 視界に()()()()が映る。


 それは、ゴミ捨て場でもない電柱の陰



 そっと立て掛けてある、コウモリ傘だった。



「おお!」


 彼が今一番欲しいもの。

 濡れ具合でいったら手遅れかもしれない。


 だが安心は手に入る。

 セコいことを言えば、傘を持った状態で戻れば


『傘で防げないほどの雨だった』


 ということにして、同僚に笑われるのを阻止できる、かもしれない。

 後輩の憧れたる敏腕営業マンとして、イメージは大事なのだ。


 それをこの1本の傘が与えてくれる。



 しかし、もちろんこれは彼の傘ではない。


 誰かの不法投棄か忘れものかは知らないが、

 持っていったら当然、窃盗もしくは占有離脱物横領である。


 誰も見てやしないし、通報されることもないと思うが。


 倫理観・良心としての問題はある。



 どうすべきか。

 いや、もちろん人として迷う要素はない。

 ないのだが


「うぅ〜む」


 彼は立ち止まって傘を見つめる。

 見つめてしまう。


 しかし、そうしているあいだにも雨は降り注ぐ。

 身体中がどんどん濡れる。


 迷っている時間がもったいない。

 敏腕営業マンの決断は、



「ええい! ままよ!」



 傘をつかむことだった。


 広げてみると、というかまず開く。

 穴も開いていなければ、折れても曲がってもいない。

 懸念点だった『使いものにならない』要素は見当たらない。


 なぜこんなところに放置されていたのかは疑問だが、


「日頃の行い、天の(たす)け!」


 そういうことにしておく。


 そのまま彼は傘を頭上に掲げる。

 書類カバンなんかより、よっぽど雨は落ちてこない。


「よしっ!」


『据え膳食わぬは』ではないが。

 ここまでお(あつら)え向きなものが用意してあるなら、使わない手もない。

 彼は意気揚々と駅へ向かって急いだ。


 読者の皆さまは滑ると危ないので、ゆっくり歩こう。





 さて、男は転ぶこともなく、もうすぐ住宅地を抜けようというところ。

 大通りに出れば駅はすぐである。


 傘のおかげか関係ないかは知らないが。

 靴下はやられずにここまで来られた。


 ここまでくれば一安心。


「いや、ホント助かったよ」


 機嫌をよくした彼は、ガラにもなく傘に声を掛ける。


 捨てられ傘も何かの縁。

 せっかくだし、このまま家に持って帰ってしまおうか、とも思う。


「どうだ? オマエうちの子になりたいか? ん?」


 ふざけて無益な問い掛けまでしたそのときだった。



 ミシ……と

 返事をするように、傘の骨が軋むと



「え?」



 バキッか、メキッか。

 ひとつ言えるのは鈍い嫌な音。



 傘は勢いよく閉じ、男は内側に挟み込まれた。











 これが、『雨の首狩り族』と世間を騒がせた猟奇事件の幕開けである。



 ただ、その場から



 ピョンピョンと跳ねるように立ち去る傘がいるのを



 誰が知っているだろうか。

お読みくださり、誠にありがとうございます。

少しでも続きが気になったりドキドキしていただけたら、

☆評価、ブックマーク、『いいね』などを

よろしくお願いいたします。

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