73。瞳の中の私!
至近距離の暖さんの顔に、瞬きを繰り返して瞳の中に映る自分を見つけてしまった。
その瞳から離れようとして、腕の力を緩めた。離さないと、腕の力が強まる。力任せではない手加減をされている力で、私の心をギュッと掴まれる。揺れる自分の瞳に、暖さんの強い視線の雨が降りかかる。
「大丈夫」
心地の良い暖さんの低い声が、体に響く。脳内が痺れるように、この世界には私たちふたりきりだと勘違いを起こす。先ほどまでの凍える寒さは一変して、今度は暑いぐらいに頬に熱が集まる。
片手を離して、私の頬をさらりと手の甲で撫でて輪郭をなぞるように顎の先を指先がなぞる。
その艶かしい指の動きに耐えられず、再度暖さんの胸におでこをつけた。ぐりぐりと顔を押し付けて、私の赤く染まった顔を隠す。
「暖さん…… ありがとうございます、離してもらえますか?」
苦しさから解放をしてもらっておいて、こんなことを言うのはおかしいのは理解している。
しかし以前は、薄暗くて全て見えてなかった安心感もあった。でも今は、月光のあかりに照らされてまつ毛の一本一本さえも見えてしまいそうだ。
顔を下向けたとしても、耳まで赤いはずなのでバレていそうだが、どうしても正面から見られたくない。しばらく静かな時間が流れて、私は顔を上げようかと思った。
その時、私の頭の上にずしっと重さが加わった。抱きしめたままの体制で、暖さんの顎が乗せられた。心地の良い重さを感じる。離れたくは、私もない。抱きしめられたまま、目を閉じて少しづつ繋がる思考回路を結ぶ。
「あの、なぜここに連れてきたのでしょうか?」
そもそもここに連れてきた理由があるだろうが、私の緊張感によって話を聞くことができなかった。理由なくここに連れてきたとは、到底思えない。
頭に乗せられた重さが消えて、腕も離れていく。目を開いた私を、少し首を傾げて顔を覗き込まれる。私の表情がいつも通りになったことを確認して、優しく微笑む。私の前に手を差し出されて、こちらのペースを伺っているようだ。
私は、暖さんの手に自分の手を重ねるように手を取った。エスコートをするように手を引かれて、桜の木の側に足を進める。先ほどまでの重たい足が、少し重さが取れて動き出す。
幹のそばに来て、私のことを振り返って伏目になり私とは目が合わなくなる。
「妖界では数日で、人間界の6月になってしまう。この秋の収穫祭でさえ、ここでは毎年行われているが…… 人間界だと、数年に一回と言ったところだろう」
人間界と妖界での時間の流れが違うと、何度も聞いてきた。やはり、数日で人間界で ”狐の嫁入りまつり” となるのだろう。
「時差があるのですよね。理解しています」
こくりと暖さんは、頷いた。体を真っ直ぐに私に向けて、視線がバチっとあう。
「人間界の ”狐の嫁入りまつり” は、黒狐と白狐だけが人間界へ行き毎年行っている。あのふたりは、時差を受けない力をもっている。
人間界からここへ来て自鳴琴時計に鍵を差し込んで音を鳴らす」
ついに、はじめに話されていた九尾の狐がここで誕生するというのだ。視界いっぱいに広がった真っ赤な桜の花びらが、暖さんの髪の青と白を強調している。
私の唇を呼吸と共に薄く開く。
「先にここに来ても良かったのでしょうか?」
暖さんはふっと笑って、一瞬瞼を閉じながら緩く頷いた。




