62。廓ことば!
私の隣のおかあさんも花魁もふたりして、私が言い返すと思っていなかったようで、目を見開き驚きを隠せない様子だ。
ここまで言ったなら、もう怖いものはない。私だっていう時は言えるのだ。
「あの! こんなことしても、暖さんは振り向いてくれませんよ。それに、並ぶべき人はあなたみたいな綺麗な人なのかもしれませんが…… 私、好きって言われたんです!」
花魁は、私の言葉に白目を向いて後ろに倒れる。すぐ背中に壁があり、壁にもたれるようになって固まってしまった。
隣に座るおかあさんも、人形のように瞬きもせず微動だにしない。ハッとなり、おかあさんが口を開いた。
「……今は、暖さんはどちらに?」
「神在月で、ここを離れています」
そういえばそんな物があったという表情で、おかあさんは頷いている。
妖たちは、あまり時間や季節を気にしないのかもしれない。はじめに和さんのところで着物を選んだ際にも、季節が違っても気にしないと言っていた。
妖たちは、生きる時間が長いので、やはり今が何月かは気にならないのだろう。
いまだに、花魁は白目をむいて壁に背を預けた状態で、魂が抜けているようだ。白目のままぶつぶつと念仏のように何かを唱えている。
おかあさんは、花魁に目を向ける度にため息を漏らす。終いにおかあさんは、席から立ち上がって少し背筋を伸ばしてストレッチをしはじめた。
ストレッチをして少しリラックスが出来たのか、私の方へまっすぐ見えるように座り直した。
「今回のことは、ごめんなさい。人間界との時間のずれで2、3日もあれば戻ってくると思う。きっと、暖さんならここにいることはすぐ分かるでしょうけど」
私は、攫われてここへ連れてこられた。誰にもここに来ることは言っていない。
化け猫が来ていたので、もしかしたらここにいることが分かるかもしれない。
しかし、化け猫は猫の姿になりさっとどこかへ逃げていった。
(化け猫が、花魁と繋がっていなければ……?)
そうすれば、私がここにいることは分からないかもしれない。しかしその前に、律さんたちが一緒にいたのだから探し出そうとしてくれるはずだ。
「なぜ、私がここにいると分かるのでしょう?」
先程まで白目を剥いていた花魁が、机に手をついて全く気品のカケラもない立ち方をした。机は思いっきり手をつかれて、驚いて少し飛び上がる。
「あんた、そんなことも知らないの? 暖さんは、妖力が多いから誰がどこにいるのかぐらい分かるの!」
今まで廓ことばで、花魁らしい話し方をしていたのに感情的になり普段の言葉になっている。
彼女には無いはずのオニのツノが、見えてきそうなほどの怒りの表情だ。目を吊り上げ、顔が赤くなるほど怒りに満ちている。
(これこそ、オニだ。女の敵は女ってやつか)
「花魁」
お母さんのその一言で、花魁は冷静さを少し取り戻したようだ。何度か瞬きをして、大きく深呼吸をとりゆっくり腰を下ろした。
おかあさんというのは、やはり皆をまとめるだけの人物なのだろう。
「主さんよりここのこと、暖さんのことを理解しているのはあちきの方でありんす」
冷静さが戻り廓ことばで話し始めた。花魁の目定めるような瞳に言葉が吸い込まれてしまう。
噛み付かれるほどの視線を放たれて、視線を逸らしたくなるのをグッと堪える。
見る人によれば、睨み合っているようにも見えるだろう。実際には、花魁の虎のような眼光で見下ろされているだけだ。花魁がふいっと視線を逸らして、寂しい表情に変わった。
「認めとうないけど、しかたねえことでありんすか?」
茶色の猫が天井から降ってきた。先ほどの化け猫だ。花魁の膝の上に飛び乗って、顔を擦り付け花魁の顔を舐めた。膝の猫を優しく撫でて、化け猫の毛を濡らした。
「あちきと律さんとは、腹違いの兄弟でありんす。暖さんと同じ半妖。でもあちきには、全く妖力がありんせん。人間と同じなようなものなら、あちきでもいいと思って……」
おそらく暖さんは、幼馴染である律さんの妹だから気にかけていたのだろう。花魁ならそれをわかっていそうだ。それでも好きという気持ちには勝てないのだろう。
流れる涙は、美しい。化け猫がその涙をなめて励ましているように見える。花魁は、声を殺してただ涙を流している。今までの獰猛な肌を刺す雰囲気は消えて、ただの恋する乙女のようだ。
「恋坡さんと言った? 稲荷神社に送って行きたいのはやまやまなのだけど…… 今から見世がはじまるから、鳩に手紙を届けさせて迎えに来てもらうのでもいい?」
おかあさんも私が一人で帰るというのは、危ないと考えているようだ。私も、ここまで狙われ続けたら嫌でも危険だと感じる。二つ返事で、おかあさんの意見に賛成をした。




