36。湯上がりどころには!?
私は、そうして先に上がってきた。たくさんの自分の想いを考えたことで茹で上がるほど、心も体も熱くなっていた。
湯上がりどころの洗面台の上には、うちわが置かれている。それをあおいで涼もうと考えた。手にかけた時、私はどこからか声をかけられる。
「お客さま〜。あたしが仰ぎますから〜。髪も乾かしてしまいましょう〜」
キョロキョロと周りを見渡しても誰もいない。聞き間違えかと、うちわに目を落とすとそこには瞬きをする一つ目に舌が出ている口がついていた。
まさかうちわから声が、したと思わず驚いて手を離した。落ちていく間に手足が伸びて、上手に着地をした。
本当に驚いた時というのは、声がでないのだ。
「驚かせました〜。すいません〜。さあ、座ってください〜」
「あっはい、お願いします」
うちわは、るんるん気分で踊るように自らの体を動かして風を送ってくれる。程よい風に、目を細める。私の周りを回って、涼みつつ髪もしっかり乾いていく。下手をすると、温かい風のでるドライヤーよりも早いかもしれない。涼しい風に心地よいほどの風量なのに、すぐに乾くのはこのうちわの妖力のおかげなのかもしれない。
(私って、暖さんのこと好き? ……いやいや、私のことを気にかけてくれる人が今までいなかっただけで。暖さんは人じゃないけど。
そんなことより、こんな想いに辿り着いたら顔合わせずらい!)
好きとは? を自分の中で悶々と考える。でも、恋なんてしたことがない。考えたところで、答えは出ないしそれ以上に自意識過剰だとも思えてくる。
「は〜い、おしまいです〜」
「あ。ありがとうございました」
自分の仕事を終えると、うちわは先ほど置かれていたように洗面台の上に登って横になった。最初の時のような、ただのうちわに戻る。先ほどの踊るうちわは、夢だったのかと思える。いま目の前に置かれているうちわは、妖だとは思えない。
(これだけ普通のうちわなら、気づかないよね。本当にびっくりした。
それにもびっくりだけど、自分の思考にもびっくりだよ。自分の考えが恐ろしい)
ここへきて何度も着付けをされて、見よう見真似で自分で着てみる。なぜだか紐が一本余ったが、どうするのがいいのかわからず諦めることにした。
椅子に座って足をぷらぷらさせて、二人が上がってくるのを待った。一人で部屋に戻るのは寂しいからでもあるが、もしこれで暖さんに会ったらどうしたらいいか分からなかった。
羊でも数えよう。そうすると落ち着くはず。と自分に言い聞かせ、羊の数を数えはじめた。
(羊の数を数えるのは、眠れない時だったかな。まあいいや。とりあえず、気持ちを落ち着かせないと)
そうこうしていると、二人のはなし声が聞こえてきた。湯上がりどころに戻ってきて、和さんはうちわに声をかけた。そうして、うちわは私にしたように踊るように風を送っている。
「明日、おにのところに行くけど。絶対に、恋坡ちゃんは無理しないこと!」
和さんは、私の元にきて着物を着せ直してくれた。やはり、着方がおかしかったようだ。私が着たときには、余ってしまった紐もしっかり体に仕舞われた。
「和さん、私にできることはないのでしょうか」
決して、今の和さんの言葉が足手纏いだから発したものではないことは理解している。それでも、自分にできるものすらやらなければ今の居場所を失いそうで怖くなった。楽しい場所。一度知ってしまったこの場所が、無くなってしまうかもと思うと怖くなってしまった。
一度でもその場所を知ってしまうと、昔に戻れなくなる。人間というのは、強欲だ。
「あるよ。大丈夫。和だけじゃなくて、みんなが恋坡を必要としている。
もちろん私もね、恋坡がいないだけで寂しいんだよ。それは、恋坡を必要としているから」
花さんは、吊り目の瞳を下げるような優しい笑みを浮かべた。なんだか自分を必要としてくれる、というのはくすぐったい。
それも、花さんの今の言葉はただいるだけでもいい。何かをしてもらうために、必要としているわけではないと言われているように感じた。




