17。唄はどこで?
こんなに大きな声で歌を唄うのは久しぶりで、呼吸が乱れた。深く呼吸をとり、落ち着かせる。
目を閉じて、ふーっと最後に一際大きく深呼吸をした。目を開けて、瞬き数回する。
目の前にいた暖さんは、いつのまにか元の人の姿になっていた。そして、こちらに近づいて来た。
『初めてにしては、上出来だ』
「ありがとう、ございます?
あの、いまの唄ってなんですか? 自分で歌っておきながら、この質問はおかしいですが……」
私のもとに来て、手の中にあった自鳴琴時計を取り左袖にそっと仕舞った。
そして、顎で野狐を指す。そこには先ほどまであった黒い霧は晴れていた。
『あ、あれ? 俺たちは何してた?』
『分からないよ〜?』
(ん? なんだか既視感。ああ、私が律さんのお店で全く記憶がなかったときみたい。)
『だんさん、おわった?』
『ああ』
暖さんは、小さい声で聞いてきた子供の頭を優しく撫でた。その顔は、愛おしそうに目を細めて微かに微笑んでいる。
子供の頭を撫でたあと、私の頭にもぽすんと手を載せられる。
びっくりして目を白黒とさせた。私のその反応を想定していなかったのか、乗せたまま暖さんも固まってしまった。
向こう側にいた野狐たちは、私たちに気付いたようだ。その声にようやく2人は、動いた。
私の頭から離れた手は、袖の中に突っ込まれた。そして、腕を組んだ。
私は、声のする方へ顔だけ向けた。
『あれ! 暖さん! ここに何か御用でしたかい?』
『いや、特にない。
だが、ひとつ質問がある。俺がここに来る前誰か来たか?』
野狐たちは、皆顔を合わせて確認をしあった。みな顔を横に振って、否定をしている。
『いえ、普段どうり過ごしておりましたが?』
『……そうか。邪魔して悪かった』
踵を返して、帰ろうとした。そこに、ひとりの狐がやって来た。暖さんの顔を下から覗き込み、背中をバシバシと叩いた。
『まあまあ! わざわざここまで来たんです! 宴でもどうです!』
『いや、帰……』
『こちらですよ!』
暖さんの "帰る" の言葉は、野狐の言葉によってかき消された。そして、また背中を叩かれていた。
絡まれ方が、宴会の時のおじさんだ。とその光景を見ながら考えていた。
そんな余計なことを考えていた。そのせいで私の肩をガシッと掴まれて揺らされるまで、近づいて来ていたことに気が付かなかった。
『あなたが、暖さんの! 奥方!』
「いえ! 私は……」
『これは大きくやらんとなあ!』
暖さんの時と同じように、私の声もかき消された。私たちが話す言葉に被せて、彼等に話を遮られてしまった。
私たちふたりをポツンと置き去りにされて、野狐たちは宴の準備に行ってしまった。
子供達は輪になって、野狐と私たちの顔を見比べてどうするべきか困っているようだ。子供というのは時に不思議なもので、雰囲気を察するらしい。
「み、みなさん、お話を聞いてくださらないのですね」
『野狐たちは、自由で宴好きなんだ』
(自由、というのか。なんというか。)
私は腕を組んで、呑気なことを少し考えていた。近くにいたはずの暖さんを見た。つもりだったが、目の前にはいなかった。
周りをキョロキョロとすると、暖さんは私の背中側にいた。
「ええ、そのようですね。 ……って、暖さん?」
『なんだ』
「その地面の時計の絵って、もしかして?」
『帰るが?』
隣にいた暖さんはここにきた時のように、地面に時計の絵を描き終えていた。そして、さぞ当たり前のようにサラッと答えた。
(いや、人のこと言えないでしょ。 ”帰るが?” じゃないでしょ? マイペースというのか、なんというのか。)
私は思わず額を抑えてしまった。
「私の頭は溶けてしまいそうです」
『溶けない。それで? 恋坡は、ここに残るのか?』
暖さんは首を傾げでいた。
「残る残らないでは、なくですね!
人の気持ちを知らないのですか? ……人じゃなくて妖ですが!」
キョトンとして、何を言っているのかわからないといった表情で私を見てくる。
『何を怒る必要がある?』
その言葉にどうしようもないと感じて、首を振った。
「なんと言えばいいのか。せっかくですね、私たちのために準備を……
いえ、せっかくですし! 楽しみましょう? 暖さん!」
『いや。俺は帰……』
「さあ! みなさんのところに行きましょう!……ね! みんなも行きたいよね!」
私は、満面の笑みで暖さんの腕を引いて野狐のところに向かう。暖さんの周りの子供達も、楽しそうに声を上げた。
『やったぁ!』
私の足取りは、ここの世界に来て初めてとても軽やかに動く。
『フゥ。お前もはなしを聞かないじゃないか。』
渋々だが、暖さんは私についてきてくれた。
(そんなこと言って、暖さんも楽しそう。
怖い妖だとか思い込んで、すみません。子供達と接してる姿をみると……優しいのかも。)
『さあ! うたげを!』
その言葉に狐たちは、各自楽器を持ち寄って音楽を奏で始めた。
焚き火を焚き、その周りを小鼓を肩にかつぎながら踊ったり。時には、胡弓の哀愁漂う曲になったり。
子供達も、踊ったり歌ったりと楽しそうに過ごしているようだ。途切れなく常に音楽が鳴り続けた。
『奥方、ここのお酒は美味しいんですよ。』
そう言っておちょこを持たされ、トクトクと注がれてしまった。
(まだ、未成年なので飲めません。なんて言ってもいいのかな。彼らのおもてなし、だろうし無下にはできないよな……)
どう言えばいいのか、口をぱくぱくとさせるしかなかった。そんなことを悩んでいたら、隣からひょいっと手が伸びてきてかっ攫われた。
『恋坡はまだ酒は、飲めない。』
『ま、そうでしたか! それは、失礼しました!
奥方は、こちらのブドウを絞った飲み物はいかがですか?』
「それなら、飲めます! ありがとうございます!」
暖さんのおかげで、上手く断ることができた。新しいカップからは、ブドウの芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
「暖さん、気配りありがとうございます!」
『特別なことはしてない。』
そう言って暖さんは、残りのお酒を煽った。
しばらく無言の中で、お互い空を見上げる。
黒いキリは晴れ、太陽がすっかり沈み暗くなった空を見つめた。キラキラと星が輝いていた。
そんな無言の空間に、子供達がやってきた。
『もう、ねむたい〜』
そう言って、私たちの座っていた敷物の上に寝そべって寝はじめた。
冷たい風が頬を撫でた。
「暖さん、私さっきの唄なんですけど。知らないはずなのに、自鳴琴時計を手にした時に頭痛がして。
そうしたら、頭の中にあの唄が流れ込んできたんです。」
『それは、御霊の加護を持っているからだ。』
「あの唄が、御霊の加護ですか?」
『あの唄は、加護。御霊は、自鳴琴を動かす鍵』
「鍵も私の中に、あるんですか?」
『時音様が、まだ力が弱いと言ってた。いまはまだ取り出せる時では、ない。』
「あの神様、時音様というのですね。
あ、だから! 時音稲荷神社!」
『は? 今さら……』
(すみませんね。神様の名前すらも知らなくて!)
「そ、それと、黒いキリ! あれは、なんだったのでしょう?」
『あの黒いキリは呪縛。それを解呪をする必要がある。』
「それが、時音様が話していた力を強くする方法ですね!」
『そういうことだ。』
(ここでこういう問題を私は解決をして、鍵を取り出せるようにしないといけない。私を必要としてくれているなら、それに応えたい!)