俺の秘密
今の声は、俺以外には聞こえていない。
俺は、この声の主に言われてわざわざこの集落に戻ってきた。
『私の事、哀れだと思ってる?』
俺は、首を左右に振る。
『嘘つき。本当は、来たくなかったくせに……』
ニッコリと笑ったその唇は真っ赤に染まっている。
『人がいたら、話せないんでしょ?そんなのわかってるわ』
無言の俺にイライラしながら、彼女は言う。
全員が会場に入って行くのを見届けてから俺は口を開く。
「確かに、ここは苦手だよ。両親が亡くなった場所でもあるからね」
『そうよね。自殺だったわよね』
「ああ」
『こうなるまで、私も村重君が本当にそんな人間だって気づかなかった』
「大抵、死んでからみんなそういうんだよ」
そう。
俺の仕事は、死者の言葉を伝える事。
……ではない。
俺は、亡くなった人の最期の約束を叶える手助けをするだけ。
『死ぬまで、私も村重君は偽物だと思っていた。ごめんなさいね。小学生の頃、村重君を嘘つきだなんて言って』
「いいんだよ。もう済んだことだ。今さら、気にしてなどいない」
『村重君みたいな人と居たら違ったのかな?』
「俺が、告白した時。断ったのは、君の方だろ?」
『よしてよ。そんな昔の事。小学生の頃じゃない』
「そうだけど……。俺には、もう一度告白しようって勇気はわかなかった」
『わかってる。それに、あの後。村重君は都会に引っ越したじゃない』
「それは……」
『わかってる。ご両親が亡くなったのだから……。仕方ない事ぐらい。もう、大人よ。ちゃんとわかってるわ』
「そうだよな……。だけど」
「遠矢ーー」
俺は、その声に黙ってしまう。
「ひ、久しぶり」
「何しとるん?時間通りに来たなら、入らなアカンやろ?」
「あ、あぁ。そうだな」
俺に声を掛けてきたのは、優馬だった。
「やっぱり、遠矢も許せんかったんか?」
「えっ?」
「山城。不倫しとったやろ?梓ちゃんとの最後の約束を守らんで」
俺は、優馬の言葉に黙ってしまう。
「こっちにおらんかったし。遠矢は、しらんよな」
「あ、あぁ」
「山城。梓ちゃんが病気なってから、ずっとゆってたんやで。俺には、梓しかおらん。梓以外と付き合ったりする事なんかないってな……。せやけど。人間って弱いよなーー。梓ちゃんの病気が進行していくにつれて、山城は梓ちゃんとおられんようなってしもてな」
優馬の言葉に、俺はさっきまで話していた人を見た。
そう。
さっきから、俺がずっと話しているのは、山城梓。
『叶えて……』
山城梓の口元が、ハッキリとそう動く。
「ほんで。死に間際の梓ちゃんに山城がな。あっ!もう、行かなアカンわ。遠矢、行こう」
「あっ、うん」
俺は、優馬に引っ張られて連れて行かれる。
死者からの(叶えて)という言葉を言われると……。
あいつがやって来る。
俺は、必ずその望みを実行しなければならない。
それが、俺の仕事だからだ。
優馬に連れられて、チャペルにはいる。
「うわーー。すごい人やな」
「確かに……」
会場には、この集落のほとんどの人がいるのがわかる。
「後ろやな」
「うん」
俺と優馬は、山城のご両親のいる列の後ろに入る。
タタタターーン。
俺達が、並んだ瞬間。
大きなパイプオルガンが鳴り響く。
『おお。これは、これは、おめでたいねぇーー』
俺と優馬しかいないはずの列で、声が聞こえて振り返る。
『あーー。幸せとはなんて儚い蜜の味。そう思うだろう?遠矢君』
黒のスーツに杖を左手に引っ掻けて、満面の笑みで拍手をするそいつは俺に話かける。
俺は、その言葉を無視した。
『遠矢君。無視するのは、よくないなぁーー。私は、君の雇い主だよ』
優馬の後ろに立っていたそいつは、いつの間にか俺の隣にやってくる。
(ちけーーよ)
『そうそう。口を動かさなくても話せるんだから。会話をしなくちゃ駄目だろ?』
銀髪のロングヘアーが、空調の風でさらさらとなびくのがわかる。
(紳士なふりして現れて、俺に何の用だ?)
『ハハハ。紳士なふりって!私は、ちゃんと紳士だよ。遠矢君』
(そうか?俺には、そういう風には見えない)
『君は、私と数多くの仕事をしてきたというのに。いまだに、納得がいかないというのか?』
(当たり前だ。俺は、あんたに脅されたんだ!両親の死の真相を知りたいなら、手伝えってな)
『脅されたなんて、人聞きが悪い。ちゃんと生活出来るだけのお金だって渡しているだろう?いや、それ以上か……。君は、世の中の誰よりも成功者なんだよ』
(成功者?笑わせんな。人から気持ち悪い目で見られてるだろうが)
俺は、そいつを睨み付けてからすぐに山城を見つめた。
「それでは、誓いのキスをお願いします」
誓いのキスが、交わされる瞬間。
『村重君。叶えて』
俺の視線を遮ったのは、深森だった。
いや、今は山城か……。
いや、そんな事はどうでもいい。
『彼女の最期の約束を叶えてやらないのか?』
俺は、その言葉に固まった。
【死者は、最期の約束を叶えられないと成仏する事が出来ない】
俺の考えがわかっているように、隣にいるそいつは肩を叩いてくる。
『遠矢君。彼は、今も暗闇のトンネルを彷徨い歩き続けている。それは、彼が望んだ事かも知れない。でも、あの時……。遠矢君が彼に、その事をきちんと説明していたら違ったのではないか?』
そいつは、笑いながら、首から下げている小さな望遠鏡を覗き込む。
『あの場所は、生きるよりも地獄だよ。夏は、1000℃にもなるらしいからね。あちこちに、皮膚の焦げた匂いが漂い。いったん、骸骨になって。また、構築される。そして、冬になれば、マイナス1000℃になり……。寒くて、ガタガタと震え上がり。あちこちに血の雨が降る。彼らは、その苦痛を何千年も味わう事になる。だって、あの場所では生まれ変わる事は出来ないから……。残りの季節は、真っ暗なトンネルをひたすら歩く。足元には、無数の棘やガラス片が散らばり。痛みと苦痛しかない。君は、そんな場所に山城梓を送りこむのか?』
俺は、そいつの言葉に心臓がギュッと掴まれるのを感じた。
(あーー。わかったよ、やるよ)
ノーとは言えるはずはなかった……。
俺が断れば、深森が行く場所は、あの世とこの世の狭間にあるトンネル。
長く暗く続く、その場所で深森は何千年も成仏出来ずに彷徨い続ける。
俺は、その場所を知っている。
その場所の痛みも苦しみも知っている……だから。
『遠矢君。叶えて』
深森が、差し伸べてきた手を握りしめる。
『ハハハ。今日は、素晴らしい日だ!契約成立だ。おめでとう』
そいつは、大きな拍手をする。
「村重!!急に何だよ」
「あっ、ごめん」
深森の手を掴んでいたはずの俺は、山城の腕を握りしめていた。
「いや、大丈夫だよ。気にすんな」
山城は笑いながら、奥さんと出て行く。
大きなパイプオルガンが、二人を祝福する為に奏でられている。
だけど……俺には呪いをかける音楽のように聞こえていた。
「披露宴会場の方に移動をお願いします」
その声に従い、みんないっせいに動き始める。
「ようやるわ。気色悪かったなぁーー」
「満面の笑みで、キスしよってからになーー」
「ほんまに、ようやるでな」
出て行く人達の言葉が耳に流れてくる。
「遠矢、行こうか」
「あっ、うん」
「みんな祝福なんかしとらんで。それでも、呼ばれたら来るだけや。相場よりやっすい祝い金で、うまい料理が食えるしな」
優馬は、ポケットに手を突っ込んで歩き出す。
『叶えて……』
はっ?
俺は、優馬の隣にいる女の人と目が合ってしまう。
誰だ……?
「一樹は、一人で生きてるってのに、ほんまにあり得んわ」
優馬についていると思った女の人は、その声と一緒に消えていく。
一樹……。
さっきから、その名前をいろんな人が口に出していた。
「みんな、すぐに一樹と比べよるなーー」
「あのさ、優馬。その一樹って人と……」
「おい!優馬。遅かったやんけ」
「あーー。悪い。遠矢、後でいい?」
「あっ、うん。大丈夫」
「じゃあ、後でな」
声をかけてきた、黒渕メガネの男と一緒に優馬は喫煙所に消えていく。
「渚。ほんまに、その格好で出るってな」
「うるさい。うちの事なんか山城は眼中になかった」
やっちゃんと海藤が二人で並んで歩いている。
「あの子や、あの子」
「あーー。例の看護婦さんやな」
「せや、せや」
俺の周りにいる人達が、海藤とやっちゃんを見ながら話していた。
『どうするんだ?さっきの人をすぐに探すか?』
俺の隣にあいつが並ぶ。
(こんな人数の中、探せるわけないだろう)
式に参加している人数は、ざっと見積もって800人はいる。
それだけで、この集落の3分の1はやってきているのがわかった。
「1000人は呼んだみたいやけど。来んかった人もいるんやよ」
「えーー。ここいらの人間やったら珍しいわねぇ」
「せやろ。やっぱり、梓ちゃんの方がみんな好きやったんよ」
『ずがあがって、さが下がる』
梓ちゃんと呼ぶイントネーションに引っ掛かったのか、いきなり話してくる。
『関西とは違う。別の場所のようだ』
(ここは、いろんな人が集まって出来た独自の集落だからな)
俺は、そいつを見ないままに答えた。
「披露宴会場の準備が出来ましたので、皆様。中へお入り下さい」
披露宴会場の扉が大きく開き。
現れた女性がみんなに声をかける。
『村重君』
披露宴会場にみんなが入っていくのを見つめながら深森が俺に声をかけてきた。
『大地を殺して!!』
俺は、深森の言葉に体が強ばるのを感じる。
死者と生者が最期に交わした約束の言葉……。
それが、今の言葉だというのか?
『私達が最期に交わした言葉を……知りたいんでしょ?』
俺は、深森を見つめていた。
『それが、どんな言葉でも村重は叶えてくれる』
深森は、俺の頬に優しく手を当ててくる。
それが……。
どんな願いでも……。
俺は、叶えなきゃいけない。
それが……。
俺の仕事だから……。




