3-3 カラオケトーク(2) - 主人公パーセント
「あんたのそれは、自己紹介じゃない」と彼女は言った。
「え」
「そいつはあんたが巻き込まれたトラブルで、あんたが何者かっていうのは別だろ」
「はあ」
「わたしはストーリーじゃなくて、スキルやアビリティを訊ねてる。あんたには何ができるんだ?」
これなら向かい合わせで座った方が良かった、と聴谷は思った。
何も自分から彼女の隣を選んだわけではなく、歌い終わった乃木が勝手に来たのだ。
息もかかる距離。
その一息すら採点されてるような気分になった。
バイトの面接かよと聴谷は思ったが、アルバイトの面接はここまで距離が近くないだろうな、と思い直す。乃木は今にも聴谷の後の壁を叩きそうな勢いだ。橙色の前髪が、聴谷の前髪と交わる感覚があった。
「ふうん、そういう目の色なんだ」
「別に」視線を逸らしながら、聴谷は「普通の色ですよ」と言う。
それほどまでに、顔が近い。
美少女特有の輝度が熱かった。
挨拶でキスをするという天津の言葉が現実味を帯びてきた。魔法少女が皆この距離感なら、唇くらい触れるだろう。
「わたしには何もできませんよ」と彼女は答えた。感情を打ち明けたと言った方が正しい。「あなた方みたいな魔法少女と違って――」
「そこなんだよな」と彼女は苦笑して、ソファを押し、距離を取る。「魔法少女の辛いところだよ。萎縮しちゃって、碌に話せなくなっちまう。気にしなくていいのにな。ちょーっとスコアが高くて、ちょーっと戦闘向きのスキルを持ってて、ちょーっと可愛いだけなのにな」
自慢。
自信か。
内容については、聴谷は否定できなかった。
ただ、
「そんな風には語れません」と言う。
自分のスコアもそうだし、スキルと呼べるようなものも持っていない。誰だって、日付と太陽の位置が分かれば、大体の時刻と現在地は把握できるだろう。
外見についてもそうだ。薄桃色の視界でも、彼女が燦然と輝いているのは分かる。魔法少女は美容業界とも関わりが深いと言ったって、彼女が天然物の美少女であることは間違いない。
「自己紹介の本質はさ、自分自身を決めつけて、無責任に名乗ることだと思ってるんだよ」
「無責任に決めつけること……?」
「そう。何者であるかは、その名乗りにかかってくる。無責任に名乗って、その責任を取るんだよ」
「はあ……」
「ノらないな」
乃木の言っていることは当たっていた。
ノるような気分じゃない。
聴谷は落ち込んでいるし、悲観的になっている。人生を儚んでいる。
「正直言うと、あなたの言うことについて、考えたくないんですよ」と聴谷は言った。
――それは人の世界の話で、瑣末な問題だから。
「わたしは、宇宙とか星のことだけ考えていたいんです。友だちも知り合いもいらない。ただぼーっとしてたいんです」
聴谷は、三川ルリを省略していることに気づいたが、訂正はしなくてもいいだろうと思った。あの人との関係性について、ほとんど初対面の人に語ることでもない。そんなことをしていたら、惑星中の人々について語らなければならなくなる。
それか、「彼らは」と一括りにするかだ。
ルリさんはそんなひとじゃない、と聴谷は思った。他人と一緒くたにできないものを彼女には感じる。
これらの心理は矛盾している部分もあったが、聴谷は無視することにした。
それは誠実さとは関わりのない事柄だと思ったからだ。
なんでこう変な女についてきてしまうんだろう、と聴谷は思った。言い訳は可能だ。誘拐されたのだ。しかしなんだか星巡りの話のような気もしてきた。
――本当に居場所の知りたい女はどこにいるか分からないのに。
「それ以外は、別に。こうしたいとかああしたいとかの夢も希望もありません」
そもそも生きてること自体、意味がわからない。
何か理不尽なものを感じる。
あの横断歩道で車に跳ね飛ばされていた方が適切だったような気すらしてくる。
「天津ミラとかいう引退した魔法少女のせいで……」息をつく。「夢も希望も失いました。奪われたって言っちゃっても良いですか? どうせ色は失われちゃってるんです」
乃木はというと、タブレットを操作していた。また何か歌うつもりか、と聴谷は思う。そこにメッセージを込めるとか? そんな魔法少女がいてもおかしくはなかった。そういう人間だっているだろう。
ただ、自分から尋ねておいて、気もそぞろな感じで聞かれていたことに、彼女はちょっと面白くないものを感じた。
ところが、そんな程度ではなかった。
「あ、別のこと考えてた」
などと言う。
「そんな」
自分が白熱してたのがバカみたいだ。
「全然関係ないってわけじゃないぜ。天津ミラのことだよ。”も”、かな。あんたらは似てる気がするんだ」
「全然似てませんよ」と即座に返す。
「それはどうだろうな」
「どういうことですか」
「いやね、はたして、世の人々にとって、世界は何色に見えているのか? って話だ。我々が思っている以上に、世界の見え方は多岐に渡る。赤青緑がその通りに見えない人間もいるし、心理的な理由から色を失う人間もいる。虹だって何色か国によって違うらしいしな。よく言うだろ、”世界が灰色に、薔薇色に見える”とかって」
「あなたにとっては何色なんですか」
「極彩色さ」と胸を張る。「――だが、訊くべきは、天津ミラの方だと思うね。わたしじゃなくて」
「じゃあ、あの人にとっては」
「あいつにとって世界は灰色だ」
それが比喩だということくらい、聴谷にもわかる。しかし、なんだか納得がいかなかった。世界が単色なのが自分だけだと思いたかったからだ。
「……何かあったんですか」
「それはあんたが自分の手で調べるべきことだよ。知らんけどな」
と乃木は釣れない。
「わたしには、分かりません」と聴谷は言う。「あの人の世界が灰色だとして、だからなんだって言うんですか。その問題は、彼女のものです」
「そうかもな。確かにそうなんだろうさ」と呆気なく乃木は言った。「でもさ、違うかもしれないだろ? わたしには、あんたらは同じような状況を抱えているように見える」
「色彩の欠落が、ですか」
「あんたの言う”呪い”とやらを解くヒントも、そこら辺にあるかもよ、とだけ言っておくぜ。確信はないんだからな」
「ないんですか、確信」
「そりゃあ、あんた、ないだろう、確信なんて。”恋は盲目”がこんなにはっきりした例なんて初めて見たんだし、天津の問題とあんたの問題が相似であれ、一側面に過ぎないってのは当然考えられるだろうが」
それだけ言うと、乃木は鼻歌を歌いながら曲を探し始めた。
聴谷は考える。
天津ミラの世界が、何らかの事情で灰色に見えているとする。それは確かに自分と同じような状況だ。そうは言っても、別々の問題が、たまたま似たような構図に見えただけだと思いたいのも拭えない。わたし達の置かれた状況の本質は、絶対に違うはずだと思いたい気持ちもあった。
――呪いを解く代わりに、あの子の問題を解決しろって?
今の段階では、誰もそこまでは求めていなかった。しかし、そうなりそうな予感もあった。聴谷には何も分からなかった。
ただ、「卑怯だ」と思うだけだった。
――理不尽だ。
しかし、彼女はそれを口に出さない。
「あの人の問題に触れることって、お節介じゃありませんか」
代わりに、聴谷はそう尋ねた。
「そんなこと気にしてんのかよ」と乃木は答える。「ひとは傷つけあうんだよ、いずれにしても。ハリネズミだって結局はセックスするんだ」
突然のワードに聴谷は驚いたが、乃木は気にせず続ける。
「あんたはあれだな、主人公パーセントが低すぎる」
「なんです、それ」
しかし乃木は彼女の質問には答えない。
「わたしはすべての人間が主人公だと思っている。例外はない。自分の人生の、とかいう前置きもいらない。そこに来ると、あんたの主人公パーセントは低い。低い。それがお節介なわたしには我慢がならない」
ピピっと音がして、次の曲が予約される。
「やられたらやり返せ、やられる前にやり返せ」
彼女はマイクを持って、立ち上がった。
「――そして勝て」




