3-2 カラオケトーク(1) - keep yourself alive
いつの間にか、カラオケの中にいる。
どうしてこうなったのだろう、と聴谷は思わずにいられない。
魔法少女シェリラギは、強引に彼女の手を引いてカラオケのチェックインまで済ませてしまった。聴谷に拒否権はなかったし、腕を振り解くことはできなかった。何の技なのか、変に極まっていて抜け出せなかったのだった。
ひとりで歌うのが寂しかったとか――などと考えてみる。聴谷はそういう気分ではなかったし、カラオケ自体も好きではなかった。そもそも、彼女は唄えるほどに歌を知らない。
しかし、そこまでされるくらいなら、ちゃんと着いて来てもよかった。ちゃんとした理由があるなら無碍にはしない。それこそ、誠実でないからだ。
夏休み真っ只中だというのに、パーティールームが開いているのはなんだか変な感じがしたが、聴谷には相場が分からない。開店間際だからと見れば自然な気がしたが、同時に騒ぎたがり達がすでに占拠しているような気もした。いずれにせよ、聴谷は納得する。
納得できなかったのは、彼女が放り投げられたことだ。
宙を横切って、ソファに着地する。
恐るべき膂力。
魔法少女って変身する前は普通の人間と変わらないんじゃなかったか、と彼女は思う。
「メロンソーダでいいよな。カラオケなんだから」と彼女は勝手に決めて、注文を通してしまう。
そして、シェリラギは歌い始めた。
・・・♪・・・
橙色の髪、よく日焼けした肌、快晴の空みたいに爽やかな青い瞳。そこに雲はひとつだってなく、彼女は完璧に夏の人間だった。バンドのロゴがプリントされたTシャツと、ジーンズ。白いテニスシューズには汚れがひとつもない。まるで今し方一式揃えてきたかのような新品さが、彼女には付き纏っていた。
それとも、それが魔法少女という生き物なのかもしれない。
結局のところ、聴谷にはそのどれもが薄桃色に見えているので、同じことだった。Tシャツに書かれている「記憶喪失の人」の英語だって、正しいスペルなのかよく分からない。すべての色が滲んで、薄桃色の人型が――今はまだかろうじて人の形を保っている――マイクを握っていた。
けれども、そんな色覚異常も、彼女の歌声までは殺せなかった。
”keep yourself alive”と歌うとき、彼女は目を閉じていて、この部屋のみならず、世界に向かって叫んでいるかのようだった。パーティールームの4枚の壁が吹き飛ぶ様を念じているようでもあった。
だとすれば、それはまるっきり文脈を無視していた。そこまでに語られていた主人公の人生を超越して、「生かし続けろ」と。死んだ顔してるんじゃねぇとも聞こえるのだから、不思議だった。
しかし、それは聴谷にとっては誠実でないように思われた。
歌には作られた理由があり、そこに込められた意図もある。
たとえ歴史を知らなくても、そこに書かれている文脈くらいは把握するべきじゃないか――そんなことを聴谷は考える。口にはしない。出せないと言った方が正しかった。
シェリラギの発している熱量には、何か聴く者を黙らせるようなものがあったからだ。
ピリピリとしていて、今にも火花が散りそうだった。
聴谷自身は自分自身とのギャップを思う。やっぱり魔法少女は違う。
――わたしには、世界に伝えたいことなんてない。いわんや一人の女の子にだって。
呪いを解いてくださいという言葉も、伝えたい言葉というよりは、ただのお願いごとなのだった。片手間に流れ星に祈るようなものだ。本心ではある。本当に困っていることでもある。けれども、どこかが浮ついている。現実的な問題なはずのに、現実味がまるでない。
“呪い”などと言うファンタジーな言葉に縋っているからだろうか、と彼女は思う。いやそれを”色覚異常”に置き換えたところで、この非現実的な感覚は消えないだろう。
「“ All you people, keep yourself alive”!」
薄桃色の視界の中で、壁にヒビが入るのを聴谷は見た気がした。
――待て、今何と歌っていた? 聴谷はいつの間にか増えていたフレーズに、英文の意味を考え直そうとした。
音を立てず、壁は崩れていく。
「”keep yourself alive…….”」
記憶の中の空色が蘇りかける。
とするとやはり、これは人々に向けた歌だったのか? だとしても、確認ができるほど歌詞を覚えていなかった。彼女は考え事をしていたことを悔やんだ。悔やんだことを悔やんだ。しかし、もう一度歌ってください、と言うのも憚られた。そこまですることだろうか?
聴谷が悩んでいる一方で、
シェリラギは、マイクを置いた。
・・・♪・・・
一曲歌い終わって満足したようで、彼女は「自己紹介がまだだったな」と切り出す。
「シェリラギさんですよね」
「それは魔法少女としての名前だ」
と彼女は言って、メロンソーダを一口飲んだ。
「乃木ラギ子――それが今のわたしの名前だ。悪ゥい怪人を倒す魔法少女をやっている。配信はしない。メディアにも出ない。けどまあ、魔法少女だ。エーテルとか電気を操ることができる。それで、仕事をしている」
「配信もメディアもって、それ魔法少女としては珍しいんじゃないですか?」
知らないけど、と心の中で付け加えながら彼女は尋ねた。
魔法少女はファンの声援を力に変える生き物だ。彼らのイメージが強大であればあるほど、魔法少女はエーテルに干渉する力を大きくする。原理的にはそれは怪人と呼ばれる人々も同じだ。
だから、彼らは配信活動やメディアへの露出に精力的だし、歌って踊ったりということもする。
詳しくない聴谷だって、彼女らの姿を全く見かけないという日はない。
多分、宇宙に詳しい魔法少女が現れたら、気にかけると思っていた。
「中にはいるよな、どっちが本業か分からない奴。いや、ライブをやったりアルバムを出したりってのが――ファンの獲得がそのまま力になるんだから、結局のところは本業なのかもだけどさ。わたしは、悪ゥい怪人を倒してこその魔法少女だと思うね。じゃなきゃ、どうして”魔法少女”と”怪人”って区分してるのか分かんねぇじゃん」
どちらも元はただのひとなのに、と彼女は添えた。
「魔法少女はまだ分かる。とにかく選ばれた人間だ。それこそ配信して、歌って踊れば良い。でも、怪人ってネーミングはどうなんだ? オーディション・ウェーブによって選ばれた点は変わらない。ただ、配役が違うだけだ」
「スコアの方角の話ですね」
〈見習い尺度〉は八角形のグラフで表される。”スコアの高さ”とされるのは面積の広さを示している。一般的には、北側が魔法少女適性を、南側が怪人適性を示す。どちらにも適性がある、またはどちらもない者は、グラフは円に近くなる。
「恣意的なものを感じるんだよな。魔法少女対怪人って構図は分かりやすい。けど、魔法少女適性があるからって悪いことをする奴がいないとも限らない――そういう奴はあとから”怪人”って呼ばれるけどさ」
乃木ラギ子の言っていることは、逆もまた真だった。
「怪人向きとされたひとの中にも、良いことするひとがいるって話ですか?」
「ひとの評価は行動によって決まるって話だよ」
理想論だけどな、と彼女は言う。
「それでも、オーディション・ウェーブの配役は、概ねのところ正しい。現象だけ見ればな。怪人にカテゴライズされた人間は、攻撃的な行動を示すことが統計的には多い。でも、それって怪人にカテゴライズされたからそうなったんじゃないか、とわたしは思うんだけどな。とすると、だ。社会はお天気に負けてるんだよ」
まあいいや、と彼女は手を振って話題を散らしながら、メロンソーダを飲んだ。
「で、あんたは?」
「わたし、ですか」
「そ。あんたの番だろ、自己紹介」
「わたしは――」
何を語るべきだろう、と聴谷は思った。彼女の歌のようには行かなかった。誰にも何も伝えたいことがない。今し方彼女が語ったような主義主張もない。魔法少女、怪人、オーディション・ウェーブ……聴谷にとっては、それらは生まれる前から存在していて、今もある当たり前のものなのだ。特に考えたことはない。
いや、魔法少女や怪人については別だ。
それまでメディアの向こうにしかいないと思っていた存在が、目の前に現れた。今も、横にいる。それは現実的な物事だった。
――だから?
それでも、できればこれ以上関わりたくないのも事実だった。
正直なところ、帰っていいですか、と尋ねたい。
しかしそれは誠実ではないと聴谷は思った。
「天津ミラとかいう引退した魔法少女に出会って以来、視界が薄桃色に染まりました。医者曰く、わたしは呪いをかけられていて、その名前は”一目惚れ”とか”恋”とか言うらしいです。馬鹿らしいですよね。さらに馬鹿らしいことに、呪いを解くには、殺すか恋とやらを成就させるしかないらしいです。そういう意味不明な出来事に巻き込まれた――」
そこで聴谷は一息置いた。
「哀れな女ですよ」
「名前は?」
「聴谷なのかといいます」
「ありがとう」
そう言ってから少しして、乃木は肩で笑う。
「……なんですか」
「あんたのそれ、自己紹介じゃないよ」
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