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3-1 「ふざけるな」


 この街から天津ミラがいなくなった。まるで陽炎みたいに。


 いなくなった、と言ったのは、現役の魔法少女・シェリラギだ。

 聴谷は、彼女の言葉を疑おうかと考えた。

 引退した身分だ、現役の魔法少女と顔を合わせたくなかったのかもしれない。天津ミラの心理を想像するのは難しいけれど、気恥ずかしさとか諸々の理由があったのだろう。

 メディアに映るのを避けたという説もある。あのとき、スマホを掲げている人間は多かった。

 それとも、そうだ、もっと単純に、ただ帰っただけかもしれない。


 ――どこに?


 天津ミラは、この街の人間ではなかった。少なくとも、あのセーラー服を見た覚えはない。聴谷は彼女の住所を知らなかった。旅行客だったのだとしても、宿泊先を知らなかった。何のためにこの街に来て、どうしてあのショッピングセンターにいたのかも分からなかった。


 初めて出会ってから、再会するまで、どのような日々を過ごしていたのかも検討がつかない。もしかしたら、ずっと滞在していたわけでもないのかもしれなかった。ただ偶然が重なって巡り合うことができただけで、実は単発でこの街を訪れていたという可能性だってあった。


 何も、知らない。

 何も知らない少女が、消えた。


 ここに至って、聴谷は、この街にいたのが天津ミラの幻影体であり、それが消失したのだというシェリラギの説明を受け入れることにした。本物ではない――それって、実在したと言えるんだろうか、と彼女は思った。どちらでも良いことだった。ことの本質は、そこではない。


 聴谷は、トメリの中央駅の前に立っていた。駅前通りはまっすぐ海に続いている。水平線は目の高さにあるようで、薄桃色の鱗模様をしていた。夏の日差しを受ける都度、ショックを受けたように色を濃くしている。まったく直感に反していた。

 しかし、それが今の彼女の視界なのだ。


 そこを今、下っていく。

 海まではちょうど嫌になるくらいの距離がある。


 カラオケと居酒屋が同居していて、コンビニがあり、商店街が横たわっている。その先に進むと、何らかの病院か歯医者があり、線路の跡地があり、大きな通りがある。それと並行に運河が流れている。ちらほらと観光客の姿が見えて、彼らは決まって写真を撮っている。あるいは、運河用の観光船を待っているのかもしれない。そこを渡れば、倉庫が並ぶ。

 聴谷は考え事をするとき、必ずここを行き来することにしていた。彼女にとって本来はどうでもいいもの、人間世界の些事について。それ以外の理由で、ここを訪れることはなかった。


今日、彼女は車に轢かれそうになった。鳥の鳴かない横断歩道だった。信号の色が分からなかったせいで、渡るタイミングを間違えたのだ。青だと思ったのが、赤だったらしい。どちらにしても、今の彼女には、薄桃色に見える。

 周りはちゃんと確認したはずだが、激昂したドライバーは「死ね!」と叫んだ。


 サングラス一枚で世界に理解を求めることは叶わない。だからといって、無理解を世界のせいにするのも、何かに負けた気がして嫌だった。

 これは一時的な問題にすぎない――まだそう思っていたかった。


 でも、天津ミラはいなくなったのだ。

 呪いだけ残して。

「意味が分からない」と言ったのは三川ルリだった。「でも、そういうこともあるんだと思う」

 憎らしげな口調だった。魔法少女という存在全体に大しての毒づくかのようでもあった。


 明確なタイムリミットが存在していた。車に轢かれかけたのもそうだ。今までは記憶に頼ればどうにかなってきたが、そうも行かなくなってきている。まだ直接的でないから良いものの、間接的には死にかけた。準致命的な事態になってきた。

 海が青かったのは覚えている。ただし青色が思い出せない。


 希望は断たれている。天津ミラはコトの原因であると同時に、希望でもあった。彼女がこの街にいる限りは、必ず呪いは解けるのだと聴谷はどこかで信じていた。

 希望は断たれたのではなく、すでに断たれていた。

 とりつく島なんてどこにもなかった。


 廃線路を横切るとき、聴谷は溺れるような感覚を覚えた。どっと薄桃色の大気が押し寄せてくる。錯乱した方位磁石みたいに、南北すらもわからなくなった。

 そもそもわたしにできることはあったのだろうか、と聴谷は思った。他人の敷いたレールに乗るだけで。自分から動こうとしなかったことを反省するべきだろうか。

「誠実、誠実、誠実ねぇ」

 と誰かが言ったように口の中で転がしてみる。

 あの訳の分からない医者も、それから三川も善意で行動してくれている。そうだったとしよう、と聴谷は仮定する。誠実というなら、その善意をそのまま受け取ることこそ誠実だと、その時々で彼女は思ったのだった。

 それが間違っていたのだとしたら? そんなことは考えたくなかった。


 叶えるか、殺すか。

 どちらも不可能な話だった。

 ひょっとしたら、チャンス自体は与えられたのかもしれない。しかし、彼女にはそれが機会だったとはまだ思えても、好機とまでは思えなかった。あのときの彼女は天津のことを知らなすぎたし、恋しているだなんて荒唐無稽を信じたくなくて、誤った計画を選択してしまったのだ。


 ――誤ってた? どうすることもできなかったじゃないか。


 いずれにせよ天津ミラは消えてしまった。手がかりもない。いや、あったとしてもだ。そういうことじゃない気がする。このまま見つけてどうするつもりだ? 手にかける? バカな。


 わたしはお伽話の中に生きていない、と聴谷は思う。殺すなんて考えるのもおぞましい。では恋は? ラプラスの悪魔が急に微笑んで、あの子のことを知れたとして、それで恋とかいうやつが叶うのだろうか。


 忌々しい。

 聴谷は内心舌を打った。

 恋だなんて本当に馬鹿げてる。

 パッと見上げた。

 空だってピンク色だ。


――ああちくしょう、それでもあの子が気にかかる。


 あの子は今どこで何しているんだろう。ひとりでいる時に、そんなことを考えるのは、正直なところ、一度や二度ではなかった。世界で一人だけ完璧な色彩を持つ少女。聴谷は太陽の位置を確認した。十一時を少し過ぎた頃だった。


 具体的なことなど何も思い浮かばなかった。ただ最初に会った時そうであったように、街を背に立っている。想像上の彼女の目は綺麗だ。光がちゃんと差している。


 ただ、一度夢に見たことがある。聴谷は天津のセーラー服のリボンに手をかけていた。するりと縫解くとストンと制服は落ちて、彼女の姿は消えてしまった――そういう夢。


 運河を渡り、観光船の乗り場のそばまで来た。ここから船に乗れば、ぐるりと半島を回って、別の観光地にたどり着くことができる。もちろん、彼女にそうする気はなかった。いくらかかるか知らないが、お金も持ってきていない。

 天津ミラがここから船に乗ったという可能性はあるだろうか? 

 彼女は考えないことにした。

 代わりに、海を覗き込む。

 近づいてみても本当にピンク色だ。浮いているゴミが、そういう模様みたいに見える。

「ふざけるな」

 と彼女は言った。この後に及んでも大声なんて出なかった。


 彼女は結局、回答を得られなかった。いつもそうだ。この街で瑣末な出来事についてなんて答えが出せない。だから彼女はいつも通りに坂を登っていくことにした。


 カラオケの前で、ちょうど駅の方から降りてくる少女と目が逢った。

「うぇるうぇる」

 意味が分からない。

 彼女の中の勘が、こいつは魔法少女だと判断する。


「一度目は偶然、二度目は運命――そうは思わないか?」


 シェリラギはそう言った。

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