輪廻
怖がらせることだけを目的として、超短編のホラーを書くのが好きでしたが、今回はストーリー性を重視して書いてみました。初の試みですので至らぬ事も多いかと思いましすがぜひお楽しみください。
輪廻
プロローグ
のどかな田圃道。緑は眩しいが稲の育ちは悪そうだ。博は今、見知らぬ田圃道を歩いている。
蝉の鳴き声を耳にしながら歩くと、突然どこから現れたのか、時代劇で見た百姓のような人達10人ほどに囲まれた。
百姓にしては身なりが良い。
庄屋さんか?と呑気に構えていると、彼らは懐から小刀を取り出し一斉に博に襲いかかった。
逃げる間も無く10本の小刀が博の腹や背に突き刺さる。
「うぎゃあ!」
自身の叫び声で博は目覚めた。
「夢?」
奇妙な夢だ。
腹や背中が痛い。
痛みを伴う夢なんて生まれて初めてだ。
おかしな格好で寝ていたのだろうか。
博は気にも止めず出社した。
それから毎晩である。同じ夢を見るようになった。
しかも、痛みは日を追うごとに酷くなる。食欲も段々と失せた。
「あんた、最近痩せたね。最近ご飯もあまり食べないし」
夕食の食卓で母の志津江が心配そうに博の顔を覗き込む。
父の一郎は40過ぎて間もなく亡くなった。博も今や40、志津江と2人きりの生活を続けている。
全く身に覚えのない現象に、博は母親が何か知っているかもしれないと思い打ち明けた。
話を聞いた途端、志津江の顔色が一変した。博はそれを見逃さなかった。
「何があったんだ?」
長い沈黙の後、ようやく志津江は口を開いた。
「あんたのお父さんも亡くなる直前はそうだったんだよ」
父は博が中学生の頃に亡くなっている。
ひどくやつれた死に顔だった事だけは覚えている。
父は裕福な資産家の長男だったが、家を飛び出して母と駆け落ち同然に結婚した。
にもかかわらず実家からは毎月、父の弟から相応の仕送りがあり、それは博が職を得るまで続いた。
おかげで生活には困らなかった。
祖父は早くに亡くなったと聞いている。
更に不思議な事は、毎月相応の仕送りがあるにもかかわらず、博は父の実家には一度も行った事はなく、肉親である祖母や父の弟とも顔も合わせた事がない。
生前の父にそれを話したことがあるが、普段温厚であった父にひどく怒られて以来、話題にすることも無くなった。
母は一人っ子で両親も早くに亡くなっている。
親戚と呼べる者はもはや父の実家にしかいないが、今更親戚と言われても何の感情も湧かない。
しかしながら、祖父、父と早世、ましてや亡くなる直前の父に起きた事が今の自分にも起きているとなれば、博の心中穏やかではない。
子供の頃より封印していた言葉を切り出した。
「親父の実家に何かあるの?」
母は黙って首を横に振った。
詳しい話は知らないようだ。
ただ一言、
「家を飛び出す時、お父さんは何かから逃げるようだった」
「親父の実家に行ってみたい」
今はとにかく謎を解く手がかりが欲しい。
不安な毎日と、まだ見ぬ親戚に何らかのヒントがあるかもしれない期待から、父のルーツを調べてみたくなった。
「行ってみようか」
案に相違して志津江は頷いた。
次の日曜日に東京から2時間、何度か電車を乗り継いだ所にある郊外の田富村という農村にたどり着いた。
駅を降り立ち、田圃道を歩いてみる。
7月の燃えるような緑にむせかえるようである。
「あれ?」
博は妙な違和感を覚えた。
視界に飛び込んできた景色に見覚えがあるのである。
そう、毎晩博を苦しめた田圃道の景色である。
まあ、田圃道なんぞどこだって似たようなものさと母の後をついて行く。
しばらく歩くと、立派な構えの旧家にたどり着いた。
遠藤家。
表札にはそう書いてある。
インターホンを鳴らすと、中から陰気くさい初老の男が現れた。
「二郎さん、お久しぶりです」
二郎と呼ばれたその男は、志津江の顔を見た瞬間破顔したが、すぐに先程までの陰気くさい表情に戻った。
「義姉さん、お久しぶりです」
歓迎されているのかいないのか、博にはさっぱりわからない。
「これが息子の博です。博、おじさんに挨拶なさい」
初めて見る両親以外の肉親に、博は気まずさと恥ずかしさの混じった気持ちで挨拶をする。
「あんたが博君か、兄貴には似てないな。ところで、義姉さん達がここに来たのは、もしかしておかしな夢を見たとか?」
驚きに博と志津江は顔を見合わせる。
「やはりな。親父が亡くなる前ももうだし、兄貴も。じいさんもだよ」
二郎がぽつりぽつりと語り始めた。
この家は代々長男が早世して来た。
理由はわからない。
ただ、皆亡くなる前に痛みを伴ったおかしな夢を見る。そして日に日に痩せ衰えて行く。
長男であった博の父は、この現実を打破すべく良い仲となっていた志津江を伴い家を飛び出したのだ。
「俺?俺は夢なんか見てないよ。おかげでこんな歳まで生きている。兄貴が亡くなる数日前になるのかな。電話があってさ。やっぱり家を出ても逃れられなかったって」
「ただ、兄貴が家を出た以上、息子の博には害は及ばないだろうって」
二郎は続ける。
博は自分の身に恐ろしい現実が迫っている事をようやく理解した。
得体の知れぬ何かに我が身を蝕まれつつある。
「叔父さん。おかしな夢って、昔の百姓みたいな人に囲まれて刺される夢のことですか?」
二郎は黙って首を縦に振る。
隣にいる志津江はわなわなと震え始める。
「代々続いてるなら、菩提寺の小大寺に行けば何か分かるかも」
志津江がぽつりと呟く。
おそらく残された時間はあまり無いはずだ。
少しでも可能性があるなら賭けるべきだと思い、博は大きく頷いた。
翌日、会社に届けて一週間ほど休みを取り、二郎の家に寝泊まりすることとした。
幸い、二郎は妻に先立たれ、子供達も独立してしまっている。
従って空き部屋は沢山ある。
父や博のために仕送りを続けてくれた二郎のことだ。快く受け止めてくれた。
聞けば、遠藤家は江戸時代には、ここ田富村の庄屋だったそうだ。
夕飯を済ませ、床にはいると、連日の恐ろしい夢のことを考えてしまう。
それでも枕が変われば何か違うのかもしれないと思い、横になった。
博にしてみれば複雑な気持ちである。
もしかしたらこの家は博が住むことになっていたかも知れない家なのである。
二郎の仕送りがあったから生活には困らなかったとはいえ、このような立派な旧家に住んでいる叔父のことを少し羨ましく感じた。
思いを巡らせるうちにいつしか博は眠りに落ちて行った。
ここはどこであろうか?旧家の囲炉裏を囲んで10人ほどの百姓達が何やら相談事をしている。
顔を見れば毎晩博を苦しめ続けていた者達だ。
「このままではおら達は飢え死にする」
「幕府に直訴か、それとも一揆か?」
「滅多なこと言うでねえ!」
百姓達はまるで時代劇のワンシーンのような会話を繰り広げている。
「弥兵衛さんはどう思う?」
弥兵衛と呼ばれたその男を全員が一斉に凝視する。
皆がその男の発言を固唾を飲んで待つ。
恐らくこの弥兵衛がリーダー格なのであろう。
弥兵衛は腕を組んだまま黙考している。
「弥兵衛さん、あんたのところの田富村では間引きをやってる家もあるんじゃねえのか?」
「田富村?弥兵衛さんとは、俺の先祖?」博はハッとした。
長い沈黙の後、弥兵衛はようやく口を開いた。
「一揆は何人もの人が死ぬことになる。それならば俺たちだけで直訴をするのが一番だ。それぞれが家族をよその国に逃がした上でな」
「わかった!俺は弥兵衛さんに命を預けるぞ」
「俺も!」
「俺もだ!」
皆が口々に叫ぶ。
男達の熱い叫びを耳にしたところで博は目を覚ました。
男達の熱い結束の瞬間の余韻が残る。
弥兵衛さんが俺の先祖ならばヒーローじゃないか。それがなぜ?
夢の世界であるにもかかわらず博は不可解な思いである。
朝の食卓。博は久しぶりに食欲を感じ、二郎とともに食卓を囲んだ。
「叔父さん、ご先祖さまに弥兵衛さんって人がいたのですか?」
「さあな」
二郎は素っ気ない。先祖とかルーツだとかには興味が無いようだ。
「寺に行くんだろう?調べて見れば良いさ」
確かにそうである。
博は朝食をさっと済ませると、二郎に紹介してもらった菩提寺に向かうこととした。
小大寺、それが菩提寺である。
創建は江戸時代か?あまり古刹のようではない。
呼び鈴を押すと、歳の頃は70過ぎか、丸顔で人の良さそうな住職が現れた。
「次郎さんとこの甥っ子さんだね。話は聞いてるよ」
叔父が電話してくれてあったようだ。
「ちょっと待ってね」
住職は暫く奥に引っ込むと、古めかしい過去帳を持ってきてくれた。
昔の崩し字は博には読めない。必要なところは住職に読んでもらうことにした。
「この家は昔から長男が早世してるそうですが、一体いつからですか?」
「残念ながら、この寺は天保7年に一度全焼してな。それ以前の過去帳は無いんだよ。それ以降のものだけなんだけどね。長男だけ全部読んでみるよ」
天保7年、喜作、享年30
寺が全焼した年だ。
以下、年号は省略するが、
弥一郎、享年35
喜助、享年34
松兵衛、享年37
竹蔵、享年34
竹蔵は一郎と二郎の父、即ち博の祖父だ。
そして博の父一郎の名は過去帳にはないが、享年40。
いくら平均寿命の短い江戸時代から後でも6代続いて30台半ばで死ぬなんておかしい。
訝しんだ博は住職に問うた。
住職は松兵衛の事までは知っていた。
やはりおかしな夢を見続け、日に日に痩せ衰えたようである。先代住職からは、あの家は何かある、なぜか代々長男がおかしな夢を見てから日に日に弱っては死んでゆくと聞かされていた。
「喜作さんより前はわからないのでお役に立てるのはここまで。すまないねえ」
謝る住職に礼を言い、博は寺を後にした。
「弥兵衛さんはご先祖ではなかったか。かくなる上は、まず天保7年に何が起きたか調べてみよう」
博は地元の図書館に向かった。
天保時代。それは歴史の教科書では水野忠邦が天保の改革を行ったとされる時代である。
気が遠くなるような作業を覚悟しつつ、博は民俗史を紐解いた。
天保7年、地域一帯の庄屋達が田富村の庄屋の弥兵衛を首謀者として幕府への直訴を断行。年貢の軽減に成功するが、領主により共謀の庄屋達9名と共に磔にされる。
「弥兵衛!?」
弥兵衛という人物は間違いなく存在した。
それにしても、彼らはヒーローである。しかも目的は達成できている。それがなぜ?
知れば知るほど不可解な話である。
その夜、博はまた違う夢を見た。
裃にて正装した男達が囲炉裏を囲んでいる。その表情は誰もが厳しい。
否、厳しいというよりは鬼気迫るものである。
「皆の衆、準備は良いか?」
「おう!」
外には庄屋達の家族と思われる子供が10人ほど、皆不安そうな顔で中を見守る。
泣き出そうとする子供を必死に宥める子の姿もある。二人は兄弟であろうか?
「弥三郎さん、あんたのところの家族は?」
「逃しました」
「平助さんは?」
「手筈通り、他の衆と一緒に尾張を目指しました」
弥兵衛は次々と点呼を取る。
「では、残るは皆の衆の後継の子だけだな。途中で裏切り者が出たら元も子もねえから、人質を取るような事をしてすまなかった。忠三、これで兄弟最後の別れになるが、尾張に向かって皆の子供達を家族の元にに送り届けてくんな。皆で出し合った金だ。路銀として、それから当座の生活費だ。人数が多いと目立つからバラバラに行動するようにしているが、目指すは熱田の神宮。必ず会える。山奥にでも籠っていればそのうちほとぼりもさめる。熱田の御利益は必ずあるぞ」
忠三は涙ながらに応える。
「兄貴、俺も一緒に行きてえが仕方ない。必ず届ける」
「あれ?」
博は今になって違和感を覚えた。
以前読んだ本の中であるが、直訴は時代劇にて扱われるような死を決した行為ではなく、もっとポピュラーな行為である。しかも、そんな簡単に死罪になるわけでは無い。
拘束はされるが、取り調べを受け、直訴内容に問題がなければ放免される。
訴えられた方も、むやみに直訴した者を刑に処すことはできなかったと。
死を決した上に家族まで逃すような準備をするとは尋常では無い。
死罪になるのはあくまでも直訴が暴動などを伴った行為である場合だ。
やはり何かあるとしか思えない。
「一体なにがあったんだ!」
博がそう叫んだ所で目が覚めた。
もはや博は夢を疑うようなことはしなかった。
一連の奇妙な符合は偶然では説明しきれない。
もう少しこの時代の背景やこの土地の状況を調べたほうが良い。
博はそう判断すると再び図書館に向かった。
調べた内容を元に博は仮説を立てた。
天保時代、普段は水野忠邦による改革くらいしか頭に浮かばないのであるが、水野忠邦が老中首座になったのは天保10年。改革の実施は12年からである。
天保7年なら、老中にはなったものの、まだ水野は実権を握るまでには至っていない。
幕閣に金をばら撒いている最中であろう。
であれば実収入が禄高よりも少ない浜松藩主の水野はまだまだ金が要る。
役職の斡旋を餌に出世を狙う者たちから賄賂を受け取っていたはずだ。
江戸時代の後期は賄賂社会である。
天保7年は数年間に渡って起きた天保の飢饉の最中である。
全国で餓死者が続出した。
身を売るだけならまだしも、生まれた子供を殺すなどの間引き行為も横行していた。
ここの領主は禄高は小さいながらも譜代大名。格式だけは高いが、決して裕福なわけではなかったはずだ。
実入りの良い藩に国替えしてもらうか、または幕府にて役職を得るかのいずれかである。
猟官活動の資金を得るために飢饉の最中にもかかわらず圧政を強いたのかも知れない。
そして、直訴されれば、領主は藩内の圧政を理由に罰を受ける可能性だってある。
日頃から高圧的な態度で百姓に脅しをかけていたり、村人の一部を手懐けてスパイとし、不穏な動きをする者を監視させたりなども十分に考えられる。
であれば、昨夜の夢は辻褄が合う。
博はこれまでの調査結果と自分の仮説を大小寺の住職にぶつけてみることにした。
「あんた、だいぶ苦労なさったね」
博の話を無言のまま聞いていた住職はしばらくの沈黙の後、重い口を開いた。
先日の人の良さそうな笑顔とは打って変わり、住職は曇った目で宙を見ていた。
命の危機に瀕してもがく博への同情ではなさそうである。
刹那、博は感じた。
この住職、何か知っていると。
「和尚さん、何か知っているのでは?」
切り出した博に、再び長い沈黙のあと、住職は口を開いた。
「着いてきなさい」
たった一言だけ言うと、草履を履き、歩き出した。寺の裏手にある墓地を抜け、藪に囲まれた空間に出た。
「あれを見なさい」
住職の指差す方向にあるのは小さな石積みである。
「弥兵衛さん達がここに眠っている」
罪人として処刑された庄屋達の墓である。
罪人であるがためにまともに弔ってもらえず、お寺の裏の狭い所にひっそりと葬られていたのである。
なぜ博の夢に弥兵衛達はたびたび現れたのであろうか?少なくとも、博の先祖は弥兵衛達に恨まれたのであろうか?
「直訴は成功なんかしてないよ」
住職がつぶやいた。
「え?」
彼らは直訴に成功していた訳ではなかった。住職は続ける。
「皆で集まって、幕府の要人が通る所を狙ったまでは良かったが、途中で藩の役人に捕らえられた。結局は、このままでは第二第三の弥兵衛が出ることを危惧した領主は彼らを処刑する代わりに年貢の減免を行った」
結果的に目的は達成されたはずである。死は覚悟していた。それがなぜ?
深まる疑問を続け様に住職にぶつけてみたが、それ以上は何も答えが返ってこなかった。
弥兵衛さんと同時期を過ごした博の先祖の喜作さん、この二人に何かが起きた。そう考えるのが自然なのか?
夕飯を済ませ、博は今までのことについて少し整理することにした。
弥兵衛とその仲間の庄屋が直訴に失敗して藩内にて処刑された。
しかし、結果的には直訴の目的は達成できた。
死は覚悟していたはずなのに、何故か先祖の喜作さんを恨むこととなった。
複数代にわたる深い恨みだ。
家族達はどうなったんだろうか?弥兵衛の弟の忠三に守られて尾張に落ち、山奥に潜伏した。
では、喜作は彼らとどのように関わったのであろうか?喜作も庄屋の1人。
まさか、藩の役人に訴えでもしたのか?だとしても命懸けの直訴を覚悟した彼らは目的を達成している。
何代にも渡って呪われるとは考えられない。
あれこれ考えるうちに博は眠りについていた。
ふと目を覚ますと体が妙に重い。
「連日の調査疲れかな?」
博は水でも飲もうと体を起こそうとしたが、動かない。
体の上に何か乗っているようである。
恐る恐る目を開けると何者かが博の体の上に乗っているようである。
暗闇に目が慣れてようやく何者かの姿が見えてきた。
「ひえ!」
その姿にうわずった声を上げた。
暗がりで博の体に乗っているのは弥兵衛の姿であった。
その手はゆっくりと博の首に向かい、やがてその首を締め始めた。
抵抗しようにも金縛り状態となり動きが取れない。
段々と遠のく意識の中で博は確かに弥兵衛の声を聞いた。
「7代まで祟ってやる」
我に返った博は昼の田圃道にいた。
何日か逗留するうちに見慣れてしまった風景だ。
叔父の家に戻ろうと歩くいていると何やら人の声がする。
「行くぞ!」
「おう!」
裃姿で正装した一団が向こうからやって来る。弥兵衛達である。
博は50mほど後から弥兵衛達をつけてみることにした。
彼らは一言も発することなく歩いて行く。
博はハッとした。
直訴は成功しなかった!彼らを止めなければ!
博が駆け出したその時、弥兵衛達の前方に武士の一団が現れた。
10人ほどか、いずれも時代劇で見た浪人のようないでたちである。
「もし、急いでおりますので道をお開けください」
弥兵衛の後ろで歩いていた若者が前に出る。
先頭の武士は無言のまま刀を抜くと袈裟懸けに若者を切り捨てた。
若者は声を発することもなくその場に崩れ落ちた。ほぼ即死に近いであろう。
元来、修練を積んだ者でなければ日本刀は時代劇のように簡単に切れるものではない。
力任せに刀を振り下ろしても、斬ると言うよりもぶつけたような状態になる。
斬れたとしても途中で止まってしまい、斬り下ろすなどはできない。
この武士団は相当の手練れである。
置かれた状況を悟ったのであろう。
咄嗟に誰かが叫ぶ。
「弥兵衛さん、あんただけでもたどりついとくれ!」
庄屋達はなりふり構わず武士の一段に掴みかかる。
距離を詰めれば簡単に刀を振るうことはできない。
しかし、相手は手練れ、普段刀を握ることのない庄屋達は敵ではない。
掴みかかった手を力任せに振り解き、斬りつけトドメを刺す。
瞬く間に庄屋達は半数まで減った。
「皆、すまねえ。とにかく俺1人でもたどり着いて訴える」
残った仲間達が次々斬り倒される中、弥兵衛は走り出した。
100mほど走ったであろうか。弥兵衛が振り向くと、最後の1人が武士達に串刺しにされるところであった。
弥兵衛は走った。武士の一団が弥兵衛を追う。差はだんだんと縮まり、あと僅かで追いつくところで武士の1人が小柄を弥兵衛に向かって投じた。
小柄がふくらはぎに当たり、弥兵衛は倒れる。
武士達は小走りに走り寄り、倒れた弥兵衛を囲む。
リーダーと思われる武士が不敵な笑みを浮かべた瞬間、他の武士達が弥兵衛の背中に刀を突き立てた。
この間、10分もかかっていなかったであろう。博は呆然と見ているだけであった。
「弥兵衛さん、刑死ではなかったのか?」
庄屋達全員を仕留めた武士達は小者達を呼ぶと、庄屋達の骸を片付け始めた。
全員の首を切り落とし、樽に放り込むと、後は任せたと首を入れた樽のみ持ち去った。おそらく罪人として首を晒すのであろう。
博はその場でへたり込んだ。
「そんな!」
叫んだ瞬間、目が覚めた。一体どこまでが夢でどこまでか現実か?博はわからなくなってしまった。
弥兵衛達の直訴は失敗に終わったのである。
捕らえられて刑死したのではなく、斬り殺されたのである。首を晒し、何らかの罪をでっち上げたのであろう。
謎は更に深まった。
博の本来の家である遠藤家は庄屋の末裔である。
おそらく武士の一団のうちの誰かの子孫とは思えない。
武士たちは浪人風の身なりであったが、小者を使っていたところや立居振る舞いからして、それなりの身分の武士であろう。
では一体、何が原因で博やその先祖は弥兵衛達に恨まれたのであろうか?
その謎を解くカギは思わぬところから出てきた。
何気なく仏壇を眺めていたら、奥の部屋に掛け軸に書かれた家系図があったのだ。庄屋の家は、元々は武士の家系が多かったため、家系図がある事は珍しくない。
博は家系図を眺めていたが、やがてハッとした。
家系図には間違いなく弥兵衛の名がある。
そして、弥兵衛の次は小大寺の過去帳の最初に名前があった喜作である。
「喜作さんは弥兵衛さんの次か。てことはやはり俺のご先祖様だったんだな」
それにしても面妖な話である。なぜ先祖が子孫を呪うのであろうか?
博は核心に近づきつつありながらも新しい事実を知れば次の謎が現れるといったイタチごっこに苛立ちを覚え始めた。
あれから2日、何も進展がないまま博は図書館と小大寺を行き来している。
夜になれば弥兵衛の亡霊が夢枕に立つ。
早く謎を解けと言わんばかりに。
焦る気持ちを抑えつつ家系図を睨んでいた3日目である。
博はふと思い着いた。
「考えてみたら何日か逗留しているのにご先祖様の墓参りに行っていないな」
博は父の墓参りに行った事がない。
父の墓の場所は母から知らされていなかったのだ。
理由を問うても母は決まって話をはぐらかしてきた。
今思えば、呪いの影響を博に与えないよう父が母に言い含めていたのであろう。
二郎に聞けば、墓地は改葬されておらず、昔のままの墓地群もあると言う。
墓地に行けば何か新しい発見もあるかも知れない。気晴らしも兼ねて墓地へと向かった。
遠藤家の先祖の墓は墓地の中の一番奥にあった。
恐らく小大寺一番の檀家なのであろう。
昔ながらの墓石、そして近代のものが混在している。
線香をあげた後、苔むした墓石、そして累代の墓の墓誌の名前を丁寧に見て回る。
「!」博は言葉を失った。累代の墓の最も新しい名前は父一郎のものであった。
二郎もそれを黙っていた。
「親父の墓がここにあったとは」
父の名前の隣から古い名前を辿ると
竹蔵、松兵衛、喜助までの名前が見つかった。弥一郎、喜作は隣に墓石がある。
ここまでは過去帳で確認できている。
次は弥兵衛か。
「!」
弥兵衛の墓が無いのである。先日、住職に案内された場所で眠っているのか?
博は違和感を覚えた。
天保時代と言えば明治維新まであと数十年。
一時は罪人として扱われていても幕府が崩壊すれば改葬されていてもおかしくは無い。
他の庄屋もそうだ。義人として崇められるはずだ。
何らかの事情で改葬されなかったとしか考えられない。
弥兵衛を代々の先祖と一緒の場所に葬りたく無い理由。
それは次代の喜作が弥兵衛に対し何らかの意趣があったのかもしれない。
またはその逆に、恨まれて当然の後ろめたい部分があったのか。
何はともあれ、弥兵衛と喜作の親子の間に何かがあった事は間違い無いだろう。
思わぬ収穫であった。しかしまた一つ解き明かさなければならない謎ができた。
親子の間に何があったかを解明しなければ弥兵衛の亡霊は博の元に現れ続けるであろう。
「あと少し!」
本当にあと少しだと思った。
その夜、博は夕食の後、今までの進捗状況を二郎に語った。
黙って聞いていた二郎がおもむろに席を立ち、奥の部屋から封筒を持って現れた。
「兄貴からの手紙だ。もし、博の身に兄貴と同じような事が起き、博が弥兵衛と喜作の間に何かあったことを感づいたなら渡して欲しいと言われていた。俺は手紙の中身を知らないが、読んでみなさい」
博は手紙を受け取ると、布団の中で読み始めた。
博へ
お前がこの手紙を読む頃にはもう父さんはこの世にはいないはずだ。
そして、お前は父さんと同じような悪夢や亡霊に悩まされているんだと思う。
だが、諦めてはいけない。この手紙にお前が助かるために、父さんが知り得たことを書いておく。
お前が助かる方法は必ずあるはずだ。
父さんがこの家を出たのは、母さんと駆け落ちしたかったからではない。
お前ももう気づいていると思うが、この家は代々長男が若死している。
この現実は、父さんも若いうちから知っていた。家を出て、悪縁を断ち切る。
こうすれば呪縛から解き放たれ、そして恐らく二郎叔父さんにも害は及ばないと思った。
しかし、呪いは家を出てもついてきた。
実は、二郎叔父さんも知らないのだが、若死した長男には代々口伝てにて伝えられてきた事がある。
もちろん、弥兵衛さんのことだ。
家系図には、弥兵衛さんの子は喜作さんとあるが、実はそうではない。
我々の先祖が喜作さんである事は間違いないが、弥兵衛さんは違う。
庄屋さん達が直訴に及んだ時、家族を逃し、各々の子供を弟の忠三さんに預けた。
忠三さんは庄屋達から金を受け取り、子供達を小大寺に入れた。
しかし、忠三さんは、あろうことか庄屋さん達の直訴の事を藩の役人に訴えたんだ。
そして、子供達を大小寺に火をつけて焼き殺した。さらには預かったお金を賄賂に使い、まんまと弥兵衛さんの後継として庄屋の座におさまった。名前を喜作と変えて。
先に逃した家族達も、恐らく当座の生活費も無いまま飢えて亡くなった人も多かったのであろう。
これが弥兵衛さん達の呪いの正体だ。
喜作さんは、弥兵衛さんの亡霊から、七代祟ると言われたそうだ。亡くなる前に弥一郎さんにこの事を伝えた。弥一郎さんは喜助さんに、と代々の伝えられてきた。では。なぜもっと早く伝えなかったのか?と博は思うだろう。
実はこの話、弥兵衛さんと喜作さんの間に何かあった事を自力で気づく事が必要だった。でなければ何を語っても信じてもらえない。そして、生半可な気持ちで対処してもこの苦難は乗り越えられない。そんな思いで父さんはこのような形を取った。
良いか?博。絶対に諦めるな。
まずは庄屋さん達の墓でひたすら詫びろ。庄屋さん達だけでなく、その家族達にも。真心が届けば助かる道は必ずある。
手紙を読み終えた博の目からは涙が溢れてきた。
父の愛情を感じると共に、自分背負った剛の深さに気が重くなった。
庄屋達だけでなく、子供を殺し、家族まで死なせてしまった先祖の血を受け継いだのである。
翌朝、博は庄屋達の墓に向かった。
花と線香を手向け、何時間も詫びた。
自分は加害者では無いが、先祖の行った行為によりこの人達は亡くなったのである。
いくら詫びても博の心は晴れなかった。
6人もの人を呪い殺してもなお博の元に現れた弥兵衛や庄屋達の怨念の深さは墓前で詫びたくらいで収まるものかと思った。気がつけば日は暮れかかっていた。
「何度でも通いますよ」
博はそう告げると墓場を後にした。
その夜、弥兵衛と庄屋達が博の枕元に立った。
皆穏やかな顔つきで博を見つめる。
博が目を覚ますと、弥兵衛が微笑んだ。
「弥兵衛さん、俺、、、」
弥兵衛は微笑んだまま黙って首を横に振ると他の庄屋達と共に闇の中に消えて行った。
エピローグ
小大寺の遠藤家累代の墓の前、志津江は住職と共にいた。
「志津江さん、複雑ですな」
背中を小刻みに震わせながら志津江は答える。
「博が逝ってもう一年、二郎さんの好意でここに入れてもらえたんですよ」
一郎の墓誌の隣に新たに新しく「博 享年40才」と記載されている。
「結局、弥兵衛さん達は博くんのことを許したわけではなかった」
「博がね、亡くなる前の日に言ったんですよ。弥兵衛さんが微笑んでたって。許してくれたんだろうなあって」
「弥兵衛さんは許して無いよ。弥兵衛さんも殺されたことにより業を背負ったんですよ。七代祟るという業をね」
住職は続ける。
「おそらく微笑みは、祟りが七代目の博君で終わった安堵の微笑みなんでしょうな」
「和尚さん、博は子孫なのに」
住職は一瞬、顔を硬ばらせた。
「志津江さん、あんた知ってたのか?自分が弥兵衛さんの子供の子孫だったことを」
「知っていましたよ。そして和尚さん、あなたもそうだってことを」
弥兵衛の子は焼け死んではいなかったのである。当時の住職に助けられ、忠三の手が回らないよう近くの村で育てられたとか。
「博君と我ら、先祖は敵同士であったかもしれんが、せめてあの世では恩讐など忘れて幸せになってもらいたいものだ」
2人は無言のまま墓から歩き出した。
時代劇風のホラー小説、お楽しみ頂けましたでしょうか?
初めての長編ホラーですが、もしお気づきの点などありましたらぜひご指摘をお願いします。
自分自身、やはり小説は時代物が好きなんだなと実感しました。