死ぬとは思ってなかった。誰か見つけてくれると思った
この物語はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。ご了承ください。
「ごめんね、いすみ変なことに巻き込んじゃって」
「それを言うなら、野田さんに言った方がいいんじゃないかな」
睦沢の隣を歩いていたいすみは、携帯の明かりを懐中電灯替わりにして目の前を進む美浜たちを照らした。
野田は最近髪を明るい茶色に染め直したばかりなのに、白髪になる勢いで周囲のあらゆる物音に恐れおののいていた。美浜の腕に抱きつき腕が少し変形するほどの力が込められているようにも見える。
「大丈夫怖がらないで。ただの窓からの隙間風だよ」
「だよねぇ美浜君。おばけなんているわけないし……ぎゃ!」
女子があげてはいけないような声が静寂な構内に響く。抱きつかれた美浜は野田さんは可愛いなぁとスケベなことを考えているのはその横顔が雄弁に語っており、男子ってほんとしょうもなと睦沢は思うのであった。
「あれは野田さん可哀想かも」
「確かに野田でもあれは可哀想だよね」
「ちょっと、言い方。野田さんにあたり強すぎだよ」
「うん、ごめん。モテてる女を見るとつい言葉に棘がでちゃって。まぁ、それに幼なじみだしね」
とはいえいすみの言う通り、騙して連れてきた目の前の野田を見てると流石の睦沢も若干申し訳ない気持ちが湧かない訳ではない。しかし妬みのような感情はないかと言うとそんなことはなかった。
睦沢の勝手な偏見であるが、完全無欠な美人よりも愛嬌がよく、多少アホかアホなふりをする方が男子に受けるのではあるまいか。
これまでの人生経験で得た彼女の哲学の一つである。
事実、弓道部で親が金持ち、才色兼備。おしとやかで品行方正な友人のいすみと比べもう一人の友人兼幼なじみの野田の方が彼女よりも断然モテるのである。
そして野田は身内びいきで見てもお世辞にも頭が良いとも、派手な化粧で誤魔化しているが特別美人と言うほどでもない。一方で比較対象のいすみはそんなにモテないのだ。いすみは男子と付き合ったこともないばかりか、告白されたこともないらしい。高嶺の花というやつだろうか。
少なくとも自分は兄に冗談で告白されたこと(と睦沢は勝手に思いこんでいる)と小学生のときに男子から罰ゲームで告白されたことがあった(後で罰ゲームだと気付いた睦沢は男子の頭をぶん殴ってやった)。いすみよりも告白された経験数は勝っている!というのがひそかな睦沢の後ろめたい自慢であった。
まぁ、誰が誰にモテようが恋愛弱者の自分にとっては関係ない話だ。
少なくとも私に迷惑がかかるまで興味もないと睦沢はタカを括って毎日をのほほんと暮らしていた。
本日のそんな平穏も「野田との関係を取り持って欲しいから彼女を肝試しに誘ってくれない?」と男友達の美浜に頼みこまれるまでではあったのだが。
美浜という少年は男女隔てなく接する男子で、別のクラスの生徒だった。授業の一環で行われたグループワークで仲良くなり、きっかけさえあれば世間話をする程度の関係だった。
睦沢は彼について多少は親しいし、かっこいいかな程度の認識を持っており、特に意識していたわけではなかった。
しかし本日、放課後に美浜に呼び出され、「あれ、もしかして告られるのでは?」といやに緊張し、ドキドキしていたのも事実だった。結局それも肩透かしに終わったのだが。
聞けば美浜の提案する肝試しとは、夜に数人で集まってある駅に行くというものだった。
学校から沿線で続いた場所にある駅で近場に墓地や葬儀場があり、なかなか雰囲気がある。
都会と違って夜になれば明かりは消えうせ人気も無くなる寂れた田舎の駅だが、最近は学生達の噂の的であった。というのもこの駅、怖い噂が絶えないのだ。
死者が乗る電車。
赤子の声が聞こえるというコインロッカー。
神隠しされるという女子トイレ。
幽霊の見張り員。
噂話を上げれば枚挙にいとまがない。
今回の提案は深夜に友人達と共に駅に入り込み、神隠しされる女子トイレに行きその証拠を写真で撮ると言うものだった。
不安を煽って恋心と勘違いさせるのはつり橋効果だったっけ?
睦沢は、過去にテレビかネットで見た情報を頼りに彼の思惑を瞬時に推察した。おもむろに携帯で時刻を確認してから、用事がある風を装い彼の提案を断ることに決めたのだ。
だがその矢先に、「もしも良い雰囲気になったら睦沢がやりたがってたぶつ森あげるから」と提案され睦沢は許諾せざるをえなかった。
ぶつ森というのは、あつまれぶつぞうの森という据え置き型ゲーム機の新作ソフトだ。擬人化された仏像が暮らす村に主人公がやってきて、生活を共にし、彼らと仲良くするというほのぼの日常ゲームである。このゲームは人間関係や仕事に嫌気が差した学生やOL、育児に疲れた主婦など女性層に大人気のゲームで、あまりに人気で店頭では売り切れで睦沢はどうしても手に入れることができず、くやしい思いをしていた。
何が面白いのか皆目検討がつかないと兄貴はいっていたが、これで鼻を高くして自慢できると睦沢は意気揚々であった。
◇
と言うわけで睦沢は美浜が提案するように野田と、ついでに友人のいすみも誘いこの晩噂の駅に向かうことにしたのだ。
それから絶対に行きたくないという野田を説き伏せて(ぶつ森の件は一切言わなかったが)、嫌がる彼女を引きずってここまできた。
駅前までくると人通りすらなく、外灯はぶつぎり気味で明滅を繰り返し、蛾やよくわからない小さい虫がうじゃうじゃと群がっていた。これには普段幽霊の類を信じない睦沢も肝を冷やしてしまった。これでは人一倍怖がりの野田は心底怖がっているだろう。
睦沢なりに友人である野田のことを心配していた。
「ねぇ野田大丈夫?そんなに五月蝿いと駅員にばれちゃうよ」と睦沢が後ろ姿の野田に声をかけると、涙目になりながらこちらを半睨みしてきた。余程怖いのだろうなぁとその目は必死に訴えかけている。
「ムツ!誰のせいだと思ってんの!」
「え、美浜君のせいでしょ?」
「いや、どう考えてもムツのせいでしょ!!ほんと最低!」
「ごめんって。今度ファミレスで一番高いデザート奢るから」
「え、マジ!?じゃあ許す!」
野田との距離感は男友達のような気を使わないものだったので、睦沢からしてみたら気が楽であった。誰に対してもこういう距離感だから男子にこの子はモてるのだろうなぁ。
歩きながら睦沢はそんな事を考えていた。
そして物思いに耽りながら、少し歩いてから立ち止まる羽目になった。
自分たちしかいないはずのこの構内に、何か不自然な音が聞こえた気がしたのだ。そう、例えば赤子の泣き声のような音だった。
最初聞き間違えかと思った。
耳を立てるとおぎゃー、おぎゃーと赤子の声が確かに聞こえてきた。
こんなことありえるはずがない。背筋が冷えてくるような気さえする。普段の電車の中で耳にするような赤ちゃんの甲高い泣き声とは程遠い。耳を澄ましてようやく聞こえる力弱い声量。夜の静かな構内でなければ聞き取れるはずもなかった。
「皆、何か聞こえない?」
「ムツほらそうやってすぐうちを驚かせようと……あれ」と目の前の野田もきょとんとした。
「え、なになに?何か聞こえるの二人とも」とその隣の美浜もたちどまった。
ただ彼の場合は音自体聞こえていないようだったので、睦沢は確認の意味も込めて、その音をはっきりと言葉にした。
「聞こえない?赤ちゃんの声…」
「…聞こえてきた。確かにか細いけど、おぎゃーおぎゃーって」
「コインロッカーの近く?」
「それって赤ちゃんの声が聞こえるコインロッカーの噂だよね……」
会話の間も赤ちゃんの鳴き声は止まらず響いている。
赤ちゃんの声が聞こえるコインロッカーの噂。
頭によぎったのはそれだった。
赤ちゃんがコインロッカーに入っていて、抱きかかえようとすると襲い掛かってくるという噂だ。放課後に子泣きじじいの様な噂だと皆で笑い飛ばした記憶があった。今はけして笑い飛ばせる冗談ではない。
「帰ろう皆。今回の肝試しを提案しておいてなんだけどさ。マジで幽霊だったりしたらやばいと思うんだよね。皆を誘った以上、安全とか考える立場としてはこれ以上はちょっとね」
美浜の発言は最もらしい意見だと思えたし、周りの人間も納得しかけていた。少なくとも背筋の凍るような怖い思いがしたくて、この肝試しに参加した人間なんて一人もいはしなかった。だが、野田だけは一人思い悩んでいる風で、先ほど怯えていた時とは明らかに違う迷いがあった。
「あ、あのさ。本当に赤ちゃんがコインロッカーに入ってたら、脱水症状とかでやばいんじゃない?」
ポツリと野田は呟いた。
「うちさ。弟が最近生まれたばっかで赤ちゃんって半日くらいほっといたら死んじゃうってママが教えてくれたんだよね。生きてるんならそれこそほっとけないよ」
美浜は野田の言葉で意を決したのか黙って頷き、こちらをのぞきこんだ。その目は確かに睦沢さんは大丈夫?という意図が込められていた。
「…私も覚悟決めたよ。いすみはどうする?帰りたかったら帰ってもいいんだよ?私から誘っておいて危険な目に合わせられないよ」
「私も大丈夫、ここまできて仲間はずれはやめてよ。私達友達でしょ?」
睦沢たちは美浜の言葉に頷いてその足でコインロッカーが何十も並んでいる改札近くに向かった。
立ち止まると上から二段目左側のコインロッカーの扉だけが不自然に少しだけ開いていた。
睦沢がそっと扉をつかんだ。キーと金属を擦るような音をたてて、コインロッカーの扉が開き終わると反響していた赤ちゃんの鳴き声は聞こえなくなった。
その途端、目の前で一瞬白いモヤが立ち上ると、熱気がまじった湿った空気が睦沢の横を通り抜けていく。
嫌な期待感と恐怖が増していった。睦沢は一度唾を飲み込むとおそるおそる、中を見ることにした。
そして、ありえないものが入っていた。
「え、嘘。マジで」
「こ、これ本物だよね」
最初に言葉を発したのは野田だった。続いていすみ。睦沢は言葉を発しなかったものの唖然としてその光景を眺めていた。
目の前にいたのは幽霊でもなんでもない。本物の赤ちゃんだった。
赤ちゃんはぐったりと横たわり、ロッカーの中に押し込められていた。全身はびっしょりと濡れていて、嗅いだことのない生ものの匂いがした。噂のように襲い掛かってくる様子などあるわけがなかった。
困惑した表情をして皆が固まっていた。きっと皆同じことを考えている。睦沢はそう思った。こんなこと幽霊が出てくるよりも怖いことだ。
きっと皆心のどこかで幽霊とかその類が出てくるものだと思っていた。でもそれは確かに質量のある実体を持った赤ちゃんだったのだ。
睦沢はこんなことをする人間がいるのかと血の気が引いて、自分の熱が急激に冷えてくるのを感じた。
「ムツまだ生きてるかも…」
かすれた野田の声に促され、睦沢は赤ちゃんの口元に少し耳を近づけるとスースーと空気の通る音がかすかに聞こえてきた。まだ息がある。
「い、生きてるよ。美浜くん、救急車。それに警察も。まだ助かるかも!!」
◇
それからはあっという間だった。
警察が来るまで睦沢は手の震えが収まらなかった。
サイレンの音が聞こえる頃には、自分は助かるのだという安堵感を感じ、夜中に警察署に兄が迎えに来たときには自然と涙を流していた。それが何に対する涙なのかは自分もよくわからないでいた。
簡単な事情聴取を終え、家に着いた時、睦沢は両親にこってり怒られた。初めて両親にあんなに真剣に怒られたかもしれない。ソファに座る兄に肩を預け、安堵した。それでまた涙がこぼれた。これが普通の家族なのだ。家族の事に真剣になり、心配する。それが睦沢の知る家族だ。
翌日、睦沢は学校を休んだ。
グループチャットでほかの4人に確認してみると昨日肝試しした全員とも同じように学校を休んだらしい。どうもマスコミ対策やらの学校や警察側からの要請らしかった。
なので、今日はせめてのんびりしようと思っていた睦沢だったが、日頃の習慣でセットしていた目覚ましを朝の時間に設定したままにしたため早く起きてしまった。
手持ち無沙汰だがしょうがないので、寝室から出て、リビングで煎餅を齧りながら朝のニュース番組を母親と見ることにした。
母と他愛無い会話をしていた時、テーブルの真ん中に置いてある受話子機が鳴った。ふと睦沢は嫌な予感がした。
「睦沢紗子さんのご自宅で間違い無いですか?」
「昨日の警察の人ですか?」
声の主には心当たりがあった。昨日警察署で話を聞いてくれた女性の警察官だった。綺麗なお姉さんで、取調室でいかつい刑事さんが出てくるものだと思っていたが最近は未成年に対する配慮でもしているのだろうかと、睦沢は取り調べの最中思っていた。
「あぁ、昨日の夜ぶりだね睦沢さん。もう肝試しとかやっちゃダメだよ」
「もうしませんよ。絶対に」
「なら安心かな」
「何かご用件があるんですか?」
「昨日のことでまた聞いておきたいことがあってね」
「そうだったんですね。もらった電話ですいません、私も赤ちゃんがどうなったかお聞きしたくて」
「えっと、残念だけど赤ちゃんはすぐに息を引き取ったって病院から連絡があったの。2、3時間は生きていたらしいんだけど、ダメだった。死因はまだ調べてる最中だけど多分脱水症状による衰弱死」
「そうですか、残念です」
赤ちゃんが亡くなっている。そんな予感はあったものの返事が出来るまで少しだけ睦沢の中で葛藤があった。昨日の今日だ。悲しめば良いのか、残念がれば良いのか自分の気持ちを上手く整理できていない。
「聞きたいことがあるって言ったよね。睦沢さん確認なんだけど、あの赤ちゃんは昨日見つけた時、まで息はしてたんだよね」
「はい、確かにこの耳で聞きました。なんでそんなこと言うんです?」
「いや、実はね。これは上から口止めされてるんだけど、監視カメラを確認したらあの赤ちゃんがコインロッカーに入れられたのは3週間も前らしいんだよね」
「え――」
「だから、これはとても奇妙なことなんだけど、赤ちゃんはコインロッカーに入れられて3週間も生きていたことになるんだよね。でもねあのコインロッカーがその3週間の間に開いた形跡はなかったんだ」
睦沢は絶句した。赤ちゃんの声が聞こえるコインロッカー。
もしかしたら、あのコインロッカーが赤ちゃんを3週間もの間ずっと生かし続けたのかもしれない。もしかして赤ちゃんを守っていたのだろうか?いや、そんなことあるはずがない。
だが不思議な話だと思った。
死者の念とかよく分からない何かが赤子を生かそうとして、生者が赤子を殺そうとするなんて。
そんなことを考えていたら、隣で垂れ流しされていたテレビの放送が嫌でも耳に入った。
電話の最中だし聞く気もなかったのだが、なにぶん間近であったし、自分と関係のあるニュースでもあった。赤子の母親が捕まりテレビで騒動の一部始終が放映されていたのだ。ニュースキャスターが無表情でペラペラと内容を読み上げていく。
被疑者の母親は過去両親からネグレクトを受けていたと供述しており、警視庁は事件との関連について調べています。また被疑者は次のように供述しています――
ボリボリと煎餅を食べる音が聞こえてくる。
同時にテレビから聞こえてくる被疑者の母親の次にでた発言を耳にして、睦沢はなんとも言えない表情をするほかなかった。