壱
ここは両国柳橋――
この界隈に、紺という名の芸者がいた。
芸者は三味線、唄、踊りの芸を生業とし、決して色は売らぬのもの。
紺は女郎であれば多くの客がついただろう美しい姿をしていたが、そこは芸者。気安く客に帯を解くようなことはなかった。
紺が評判を取るのはその見目ばかりではない。紺の奏でる三味線によるものである。その音色を一度は聞かねばと、毎夜毎夜、粋人がこぞって紺を酒席に呼ぶのだ。
柳橋の灯りが早く落ちる日はない。
今日もまた、紺は愛用の三味線と撥を手に小料理屋の座敷へ現れた。吉原芸者とは違い、白襟に裾模様というひと目で芸者と知れる装いはできぬのが町芸者。唐桟仕立ての着物と薄藍の変わり襟、つぶし島田に結った髪は白魚(笄の類似品)で飾っている。
紺は畳の上で三つ指突いて頭を垂れると、愛想程度に笑みを浮かべてみせた。
「紺と申します。どうぞよろしゅうお頼み申し上げます」
「――ほう、お前さんがお狐かい。思ったより若ぇな」
真夏の盛り。今宵の客は、少々変わった客であった。
伝法な口を利くけれど、その声には張りがあり、上品にすら感じられる。見目のよい男だった。
この客が言うところの〈狐〉とは、紺を指す。
名がこんであるからか、いつの間にやら紺には狐芸者なる通り名がつけられた。紺自身はそれを気に入ってはいない。見番(芸者の取次、送迎、玉代の勘定などの役割)は、それを人気の証だと言い含めるが。
「さっそくで悪いが、お前さんの腕前を披露してくれるかい」
本来であれば二人一組として座敷に呼ぶ芸者を、この客は紺一人だけを所望した。きっと、この客が我儘を通せるほどの金を落としたのだと、それは紺にもうっすらと感じ取ることができた。
この界隈には日本橋の商家から上客がよく来る。この客もその類だろう。整った顔には鷹揚さが漂う。
小銀杏の髷に艶のある上田縞の着物、本博多の帯――金の苦労などしたことがないように見えた。いかにも若旦那といった風体である。
「あい」
短く返事だけを返す。紺はいつも、多くは語らない。語るのは、三味線だ。
スゥッと息を深く吸い込み、それを閉じ込めるようにして一度止める。三味線の棹に指を這わせ、撥で弦の感覚を確かめる。色を売る遊女は前帯、芸を売る芸者は後帯。帯の結び目が前にあったら、三味線を弾くのに邪魔なだけだ。
ビィィン――
最初の一音が途切れる前に、弦の震えを撥が掬い上げ、息もつかせぬほどの音を立て続けにかき鳴らす。紺の三味線の音は重い。小柄な体、白く細い手首から発せられるとは思えぬような太棹に似た音だという。紺は己の命を燃やすかのごとく激しく撥を操る。
そう、すべて、この身に染みついたすべてを音に乗せ、三味線を弾く。
紺は天涯孤独の身の上である。己ただ一人だけを頼りに生きている。
そんな紺が抱えきれぬ思いが音になって夜に流れてゆく。三味線を弾くことで、紺自身も救われているのかもしれない。言葉にできず、抱えきれず、それでも紺が潰れてしまわずにいられるのは、音として吐き出すからだ。三味線の音は、慟哭ほどには聞き苦しくもない。
どれだけ手の皮がめくれようと、手首が疼こうとも、紺は己の心のままに弦を弾き続ける。
曲が終わるまで、息をしなければならないことを忘れてしまうほどのめり込み、棹を操る手に熱が籠る。歯を強く食いしばり、ただ無心になる。曲が終わる時、紺の撥を握る手はパタリと畳の上に落ちた。
軽く息が上がり、汗ばんだ。それらを落ち着けるために深く息を吸い、そのまま吐息を漏らすと、いつの間にかくつろいだ姿勢を正していた客人が目を細めて笑った。
「いや、見事なもんだな。噂に違わねぇ腕前だった。ただひとつ、噂通りじゃあなかったがな」
「なんです、それは」
思わず紺は訊ね返した。客とのこうしたやり取りを好む方ではないのに、どうしたわけかこの客とはそれをしようという気になった。客人は、片頬にえくぼを作って笑んでみせた。
「狐芸者は狐が化けた女だと。だからこそ、人には出せぬ音を奏でる、なんてな」
「当たり前じゃあござんせんか。あたしは人ですよ」
紺が呆れて言うと、客人はうなずいた。
「そうだな。そんなにも音に恨みつらみを押し込んで叩きつけるような、鬼気迫る弾き方は人しかしねぇよな」
心を面に出すことをしない紺も、この時ばかりは頬を朱に染めた。客人に己を見透かされたことが何よりも恥ずかしかった。それと同時に、己の未熟さが腹立たしくもある。
この客人は、紺の音を聴いても平静を保っている。感嘆は僅かなもので、酔いしれることもなければ、心がかき乱された様子もない。
まるで紺を気遣って賛辞をくれたようだ。情けをかけられたという気がしてしまった。紺は自らの心に幾重にも布を巻くようにして客人から隠し、気を落ち着けてから再び客人を見据えた。飄々としていてよくわからない男である。
「あたしの三味線がお気に召さなかったようで、申し訳ない限りでございます」
もういい、早く帰れと願った。
言葉だけで詫びても、そこには本当の謝意などない。上客に無礼だと見番や小料理屋の主に叱られるかもしれない。
それでも、こうして座敷で二人、ただここにいることが息苦しかった。他の部屋から笑いや唄いものの声が響いてくる。けれど、それらはすべて遠い。二人の間には意味を成さない。
手が届くほど近くもないというのに、紺はこの客人の持つ気に呑まれていた。こんなことは初めてであった。
客人はふと力を抜き、砕けた様子で手を振った。
「そう鯱張るな。何もそれが悪いと言っているんじゃあない。それがお前さんの音だ。ただ、もうちっと力を抜いてもいいんじゃねぇかと思ってな」
力を抜けと。
そんな生き方は、紺にはできない。
紺はもともと縮緬問屋の娘であった。年の離れた姉が婿を取って店を継ぐことになっており、紺はより良家へ嫁げるようにと、朝から日が暮れるまで忙しく手習に通っていた。三味線もそのうちのひとつで、紺が一番好きなものでもあった。
ただ、その三味線をかき鳴らし、左褄を取る(芸者勤めのこと)紺の現状を、厳しかった母が知ったらさぞ嘆くだろう。
とうの昔に鬼籍に入った母が草葉の陰から見ていなければいいのだが。
あれは秋の、木枯らしが吹き始めた頃だった。紺の実家に押し込み強盗が入ったのだ。家族と奉公人が殺され、紺と一番小さな丁稚だけが生き残った。強盗も人の子であるのか、幼子だけは生かしておいたらしい。
もしくは、殺すつもりであったのにしくじったか。紺の頭には殴られた痕があった。気を失うくらいの力加減にしてくれたのか、死に損なったのかは強盗のみぞ知るところである。
あの時、紺はまだ六つであった。強盗のことも何ひとつ覚えていない。頭を殴られたせいか、もしくは、恐ろしい目にあったが故に覚えていないのだろうと役人に言われた。
養ってもらえるような身内もなく、金も盗られて残っていないとなれば、紺も奉公に出るしかない。流れ流れ、流れ着いたのがこの柳橋であった。
天保十三年(1842年)、天保の改革と呼ばれる政策により取り払い命令が出され、幕府非公認のうちで最大の隠里(私娼窟)であった深川が衰退する。そこで鳴らしていた粋が売りの巽芸者たちは行き場を失い、この両国柳橋界隈に流れてきたという。
紺はそんな巽芸者たちと同じだった。行き場がなく、流されるままここへ来た。
三味線が巧みであれば、身売りをせずとも己の才覚で生きてゆける。だから、紺にとってここはそう居心地の悪い場所ではなかったのだ。
ただし、こんな妙な客が来なければの話だ。冷酒も少し口をつけた程度なのではないだろうか。酔いが回っていては紺の音を見極められぬとばかりに飲もうとしない。酌をしろとも言われぬのに進んで注ぐ気もなかったが。
「あたしにはこんな音しか出せやしませんよ」
ぽとり、と力を失くした枯れ葉が地に落ちるような声で紺は言った。それを客人は少しばかり憐れに思ったのだろうか。その微苦笑には労りがあった。
「いや、いい音だった。ただ、それじゃあお前さんが大変だろうと思ってな。俺の勝手な言い分だ」
そんなことを言うと、手酌で酒を煽った。コツン、と猪口が膳に戻る音と共に客人はもう一度紺を見た。
「俺は越後屋の乙一郎ってもんだ。まあ、また来るさ。お前さんのその音を聴きにな」
また、来るのか。
紺はそう思ったのを顔に出さぬようにうなずいた。
「あい、お待ち申し上げております」
心にもないことを言う。けれどこれも勤め故に仕方のないことだ。
しかし、そんな紺の心など、この乙一郎は見通していたのかもしれない。クスリ、と形のよい薄い唇が笑った。鼻先を蚊遣りの線香の匂いがかすめる。
――そういうところが嫌いだ、と思った。




