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正しい恋文の書き方

メールで伝える想い

作者: 三嶋 亜未

公園前の横断歩道、赤信号で足を止める。


不意に見上げた空の夕焼けが、その日は余りにも綺麗だった。

私は思わずポケットからスマートフォンを取り出して一枚の写真を撮る。


そのままいつものメッセージアプリを起動して、一番上に表示されたあの人(・・・)に送った。

今晩いつものネットゲームにログインすると言っていたから、夜には見て貰えるだろう。


“とても綺麗ですね。実際に見れなかったのが残念です”


数時間後に返される言葉を想像する。

現実(リアル)で会ったことはないけれど、この二年間で交わした言葉の数は、きっと他の誰よりも多い。


信号が変わる。

メッセージの続きは横断歩道の先にある公園で送ってから帰ろう。


そう思いながら、ふと予感がして右側を見た。


瞬間目に入ったのは、減速もせずこちらに直進してくる軽トラック。

対岸から歩道を走ってきた小学生くらいの少年が、それに気付いている様子はない。


「あっ!」


――気付いた時には、体が動いていた。


私は少年を突き飛ばす。耳に届いたのは、(つんざ)くような遅すぎるブレーキ音。

道の真ん中で尻餅をついた少年が、大きく目を見開いて私を見ていた。




田上飛鳥(たのうえあすか)、享年16歳。

よく晴れた冬の日、夕暮れ時のことでした。




「……という訳なのです」


私がそう言葉を続ければ、目前の見知らぬ青年は眉をひそめた。


「いや、分かんないって」

「ええと、どこか問題があったでしょうか」


今に至る経緯を、順を追って丁寧にお伝えしたつもりだ。


もちろん、スマートフォンのメッセージの件と本名は省いて。

個人情報を、わざわざ他人に知らせる必要はない。


「どこかって……。いや、全部だろ」


現在の私にとって唯一の会話相手である彼は、胡乱気な視線を向けてくる。

誠意を尽くしてその反応は、大変不本意だった。


「どうしてウチのパソコンから出てきたのかって聞いたよな、俺」

「それは、私も分からないのです」

「……ああ、そう」


理由など、私が聞きたいくらいだ。


死後の世界で最初に目にするのは、三途の川守か一昨年病気で亡くなった祖父だと思っていた。

もしくは、最近のネット小説で流行の神様とか。


小さく首を傾いだ私に、彼は溜め息を零す。

その反応は、この非現実的な現状では、なんとも意外に感じられた。


「驚かないんですね」

「そう見える?」

「はい。驚いてたら、色々飛んでくるかなって」


すぐ傍にあるパソコンが中央に置かれた机には、他にも色々なものが並んでいる。

表紙に細い線で鳥のデッサンが描かれた専門書のようなものが数冊。黒い画面のタブレット端末。マウスの隣には、湯気の立ち昇るコーヒーカップもある。


もし数秒後に突然外敵が現れたとしても、この空間で武器に困ることはなさそうだ。


「そりゃまあ、慣れてるからな」


一拍置いて、それが自分の言葉に対する返答なのだと気づく。

驚かない理由が、慣れている。それは、つまり……。


「幽霊って一般的にパソコンから出てくるのですか?」

「どうしてそうなる。俺が変なモンと遭遇することが多いってだけ」

「……変、でしょうか?」


なんだか心外な評価を下された。


つい気落ちしそうになって、私は会話の内容ごと頭から振り払った。

切り替えが早いのが、最近の私の長所だ。


ふと視界に捉えたのは、大きなモニター画面とパソコン。


そう、私はつい最近知ったのだけれど。

パソコンとは映像が表示される画面の方ではなく、隣に置かれたよく分からない箱の方を指すらしい。


先月の定期メンテナンス後から、ネットゲーム中にパソコンの調子がおかしいとメッセージであの人(・・・)に相談したら、パソコンのスペックを教えてと言われた。

よく分からなかったので画面の裏に印字された英数字を送れば“それはモニターの品番ではないかな”と困ったような返答が帰ってきた。


結局その時は、画面のどこをマウスでクリックして……と順番に説明を受けて、表示されたものをスマートフォンで写真にして送ったのだけれど。


――違う、そうじゃない。

思考を切り替える際に、つい脱線してしまった。


そういえば、私は死ぬ瞬間に思い出したことがあったのだ。


「パソコンをお借りしたいのですが、駄目でしょうか?」

「いや。いいけど、なんで?」

「告白メールを書きたいのです」


私の言葉に、青年はマウスの隣に置かれた珈琲を一口飲んで眉を寄せた。


「そりゃまた、突然だな」

「ちゃんと成仏するには、心残りがない方が良いかと思いまして」

「あー、まあ確かにそうかもな」


彼の視線は、白や緑の英字が並んだ黒いモニター画面に注がれている。

随分とあからさまに適当な相槌だった。


「……本当にそう思ってます?」

「思ってるんじゃないか? 多分」

「酷いです。他人事だと思ってますね」

「実際、他人事だからな」


キーボードの文字を幾つか叩いて、彼はモニターの表示を切り替えた。


次に映ったのは、いくつかのアイコンが端に均等に並んだ画面。

背景は見慣れた私のものとは違うけれど、多分デスクトップというものだろう。


作業中にも関わらずテンポ良く返される言葉とその手際の良さに、私はふと思って聞いてみる。


「パソコン、詳しいですか?」

「まあ人並みには」

「では協力してください。お願いします!」

「……それ、俺に拒否権あるの?」


短い沈黙の後に続いた質問の意図が読めず、私は再び首を傾いだ。

意外と律義な彼は、説明のために口を開いた。


「いや。拒否したら呪われたり取り付かれたりするのは、勘弁だなと」

「そんなこと、しません!」


勢い込んで答えた私を、彼は小さく笑った。


「んで、協力ってなにすればいいの?」

「メールを内緒でこっそり送りたいのです。相手に私からだと気付かれないように」

「こっそり、ね」


私の言葉を聞いて、彼は微妙な顔をした。


「でも、私はパソコンに疎いので。送り手が同じだと、あいぴーというものが一緒になってしまうということは分かっているのですが」

「IPアドレスな。けど、メールヘッダなんて、まず見ないだろ。メールアドレスだけ変えればいい」

「あいぴー、あど……めーるへっど?」


率直に言って、よく分からない。

私が使う日本語と彼の言語は別なんじゃないかと半ば本気で思いたくなる。


混乱する私に苦笑して、彼はまたキーボードを幾つか叩いた。

なぜかキーを叩くだけで画面が切り替わる。傍で見ていても、彼がなにをしているかさっぱり分からない。


数秒後、モニターに映ったのは私も見覚えのあるインターネットの検索画面だった。

てっきり、マウスで画面のアイコンを二回クリックしないと表示されないものだと思っていた。


彼は手元のキーボードで次々と画面の表示を切り替えながら、プロトコルって普通分かるか? だの、サブネットマスクは初心者には関係ないだろ、記事のサブタイおかしいんじゃね? など、相変わらず私には聞き取ることすら出来ない単語を羅列する。

最終的にあんまり参考になんねえなとぼやいて、彼は私の方を向いた。


「パソコンの郵便番号みたいなもんだよ。手紙の裏に書く、差出人の方の。メールアドレスは住所ってとこか。まあ、厳密に言えば違うんだけどな」


やっぱり、言っていることは良く分からない。

けれど見知ったものを例に説明されると、少しは分かった気になるから不思議だ。


……ええと、つまり。

住所は引越し先のものに書き換えるけれど、郵便番号は元の所在地ということだろうか。


確かに郵便番号を真剣に見るのは、手紙の配達員さんくらいだろう。

その配達員さんだって、表の宛先は気にするけれど、差出人は郵便事故がない限り気にしない。


私も届いた手紙の差出人は、名前と住所で判断する。

全国各地の郵便番号なんて覚えているはずもなく、即答できるいくつかは全て地元のものだ。

他はインターネットを駆使して調べない限り、知りようがない。


けれど現状、私は最善を尽くす必要があるのだ。是が非でも。


「手抜きは駄目です。大切な想いを綴った手紙は、差出人を特定されてはいけないんです。セオリーです」


特に私はうっかり死んでしまった後だ。


あの人(・・・)と私に現実(リアル)での接点はないけれど、万が一でも事情に気づかれてしまったら。

幽霊からのメールなんて、相手も嬉しくはないだろう。


彼は小さく溜息を零して、視線を窓の外に向けた。

明るい三日月が夜空の彼方で輝いている。


「提案しておいてあれだが、差出人不明なメールなんて、普通開かないって」

「……そうなのですか?」

「そうなんだよ。怪しい外国サーバなんて経由したら、受取人が気付くことなく迷惑メール行きだな」

「それは酷いです……」

「いや、俺に言われても」


窓を横切った小動物の影を視線で追いかけて、彼は溜息と共に目を伏せる。


――次の瞬間。

なにかに気づいたように部屋のドアを一瞥すると、彼は立ち上がった。


「……悪い、ちょい入ってて」

「わ、ちょっ、なにをするんです……」


軽々と手を引かれて、私は部屋の隅にあったクローゼットに押し込まれる。


途中、部屋の外から足音が耳に届く。

クローゼットの扉が閉まった瞬間、部屋のドアが開く音が聞こえた。


ええと、これは。

ぎりぎりせーふ、というやつだろうか。


突然のことに、腰が抜けた。驚いて跳ねた心臓を、深く息を吐いて落ち着かせる。

というか、幽霊にも心臓ってあるのか。その事実も今、初めて知った。


平常心を取り戻した私は、薄暗い中で目を凝らして周囲を見渡す。

クローゼットの中身は秘密情報(プライバシー)の塊だ。


掛けられた衣類の中に、学生服は見当たらない。

雰囲気や会話から年上だとは思うけれど、スーツも黒が一着だけなので社会人でもないだろう。


わざわざ私を隠したという事は、今の相手は彼女さんだったりするのだろうか。

そう考えると、俄然(がぜん)興味が湧いてくる。


私はぴったりと閉ざされたクローゼットの扉に耳を押し当てて、室内の様子を(うか)がった。


「……お(にい)? コンビニ行くけど、買ってくるものある?」


少し高めの鈴が鳴るような声。彼はいや、と短く否定を返す。


「今からか? 気をつけろよ」

「大丈夫だよ。問題集をコピーしてくるだけ。最寄りのコンビニは徒歩一分だよ」

「そういう問題か?」

「んじゃ、行ってくる」


足音が遠ざかる。

数秒後、クローゼットのドアが開いた。


足元に座り込む私を見て、彼は不思議そうな顔をする。


「……どうしたんだよ、そんなとこ座って」

「死ぬほど、びっくりしました。もう死んでるのに、可笑しいですよね」

「いや、その冗談笑えねえんだけど」


そう言って、彼はまた微妙な表情を浮かべた。

沈黙の空気が気まずくて、私は慌てて別の話題を探す。


「先程の方は、どなたですか?」

「妹だよ。会話、聞いてたんじゃないの?」

「ご実家に住んでるんですね」

「まあ、通える距離だからな。一人暮らしの理由がない」


彼があっさり答えて、話は終わり。


私は視線を左右に泳がせながら次の言葉を探す。

けれど、そうすぐに浮かぶはずもなく。


慌てる私に口角を緩めて、彼はおもむろに口を開いた。


「それで、恋文メールの件はもういいのか?」

「はい?」


予想外の発言に、私は数度瞬きする。


「告白って、さっき言ってなかった?」

「告白とは秘めた思いを伝えることを意味する、一般動詞ですよね? ちなみに活用は、サ行変格です」

「いや、あの流れは恋愛的な意味だろ」


一拍置いて、私は言葉の意味を理解する。


「れんあっ……!? 恋ではないです! いえ、恋なのでしょうか?」

「いや、俺に聞かれても分かんないって」


彼は小さく肩を竦めた。


恋愛。恋に愛と書いて、恋愛。

そんな烏滸がましいこと、私に考えられるはずがない。


しかも彼の言葉が指すのはメールの件だから、つまり相手はあの人(・・・)だろう。


相手の言葉に一喜一憂。嬉しいことは一番に共有したくて、けれど頻繁に連絡をして嫌われるのも怖い。

スマートフォンのメッセージアプリで、いつものネットゲームで会う約束をして。一緒に過ごす時間は、居心地が良くあっと言う間に過ぎていく。

改めて考えると、恋と言えないこともない。


――ただし、私は相手の性別も年齢も知らないのだけれど。


思考の余韻に浸る間もなく、それで? と目前の彼は先を促した。


「それで、というのは?」

「具体的に誰になにを伝えるんだ? それによって方法が変わってくるだろ」

「確かにそうですね」


考えるまでもなく、彼の発言には一理ある。


言葉にする前に、一度自分の脳内で状況を整理する。

共有して問題ない程度に、情報をマスキングして絞り込んだ。


「では、相手を仮にフレさんとします」

「仮にって、なんだよ。せめて名前知らないと、どうしようもないって」

「個人情報なので、駄目です」

「なんだろうな、そのどっか歪んだITリテラシー」


呆れたような声音で、彼は溜息を挟んでくる。


「……で、どうしてフレなんだ?」

「私のフレンドさんだからです」

「また安直なお名前で」


胸を張った私に、センスを疑うような眼差しが向けられた。

なんだか、とても不本意だ。


「そのフレさんが、なんだって?」


話題を脱線させた張本人は、気にせず会話の続きを要求してきた。

私は脳内の辞書をめくって、その人(・・・)を示す最も的確な言葉を考える。


「恩人なんです」

「……へえ」


一拍間をおいて、彼は目を眇めた。


「私、二年前まで引きこもりだったのです。不登校の、不良生徒です」

「こんだけマイペースな、あんたがね。第一印象は当てにならないもんだな」

「そうでしょうか?」


正直なところ、幽霊になってから外面取り繕うのも止めていた。

本当にそう見えているなら、素直に嬉しいと思う。


「いや、褒めてないから」


即答だった。

一々真に受けていると話が進まないので、私は早めに気持ちを切り替える。


「私がフレさんと出会ったのは、ネットゲームの中でした」


当時中学三年生。私にとっては、初めてのネットゲームだった。


二年経って現実(リアル)の環境が変わった今では、以前のように毎日ログインすることはない。

けれどゲーム内で出会ったフレさんや他の友人と一緒に、今でも気長に続けている。


「キャラクターを操作して、モンスターを倒したり仲間にしながら異世界を旅するゲームなんです。主人公は現代の日本から迷い込んだ旅人(ライゼンデ)で、色々あって花の水上都市(ブルーメンガルテン)と呼ばれる王国の騎士になるのですが……どうかしましたか?」


彼は考えるように首を捻った。


独特な固有名詞が多いゲームだったから、最初から公式サイトのようなあらすじを話しても、普通は理解できるはずがない。

思い至った私が言葉を補足し始めるより先に、彼の方が口を開いた。


「ん? ああ、いや。知ってるなと」

「では、ゲームの詳しい説明は省きますね」


ダウンロードした切欠は、その時見ていたホームページに偶然広告が表示されていたからだった。

つぶらな蒼い瞳のドラゴンが『キミは一人じゃない』みたいなことを言っていた気がする。


シナリオは家庭用ゲーム機の王道RPGのような内容。

私が始めた当時は第一部の中盤だったけれど、現在は第二部の終盤までが配信されている。

公式では全三部作で完結すると告知されていたはずだ。


全てのプレイヤーは同じ王国の騎士仲間という扱いになる。

互いに協力したりしながらクエストを進めて、最終的にその世界の根幹に関わることになるのだけれど。


「初心者で操作方法も分からない時に、ゲーム内のチャットで声を掛けて頂いて。最初は時間が合った時、一緒にパーティを組んでクエストをしたり、素材を交換していたのですが。ログインの時間なんかを、お互いにメールでやり取りするようになりまして」


そしてやり取りの中に、他愛もない日常の会話が混ざるようになった。


「私は兄弟もいなくて、あまり学校のことを話せる相手がいなかったので。とても気持ちが楽になりました。物事の捉え方も全然違っていて、先入観って怖いんだなって。……個人情報は大切にするよう、怒られてしまいましたけれど」

「そりゃ、そうだろうな」


同意の言葉がどちらに掛かるのかは分からなかったけれど、私は考えないことにした。


話を聞いてくれる相手がいるだけで、世界は全然違って見えた。

私にとって、フレさんの言葉は全てが魔法のようだった。


「結局登校できないまま中学は卒業してしまいました。ですが、メールやゲーム内のチャットで高校受験の勉強を見て頂いて……」


高校に入ってスマートフォンを買ってもらってからは、メッセージアプリで交流が続いている。

日常の写真を送ったり、ゲームのログイン予定を話したり、時々苦手な科目の勉強を教えてもらったり。


もちろんフレさんから忠告された通り、学校や名前などの個人情報は明かさないよう細心の注意を払っているつもりだ。


話を続ける私に、目前の青年の眉を寄せた。


「……どこかで聞いた話だな」

「ええと、なにかおっしゃいましたか?」

「いや、続けてどうぞ」


私が聞き取れなかった言葉を、繰り返す気はないらしい。

その反応にどこか引っ掛かりを感じながらも、私は話を続ける。


「今の私がいるのは、フレさんのお陰なのです。ですが、お礼を伝えても『気にしないで』と言われてしまうか、話題を逸らされてしまって。だから、どうしても最後に感謝をお伝えしたいのです」


――姿も声も知らない、大切な人。


“何年後か、お互い大人になった頃には、会ってもいいかもしれませんね”

冗談のように交わしたその約束が、現実になる事はない。


そんな未来に届けることを願っていた言葉も、今を逃せば伝える機会はないのだろう。

幽霊が現実世界に留まれる時間制限(タイムリミット)を、私は知らない。


だから、あの人(・・・)にとっては迷惑かもしれないけれど、私は躊躇わない。


「あなたに出会えたことは、私の人生で最大の幸運でした……って」


微笑んだ私から、彼は視線を逸らした。

目前の青年は言葉を選ぶように、数度口の開閉を繰り返して音を紡ぐ。


「けど、そいつが居なければ、あんたは死ななかったんじゃねえの?」

「彼と出会わなくても、ずっと引きこもっている訳にもいきませんでしたから」


今だから言えることですけど、と私は笑顔で続ける。


「明日を前向きに考えられるのは、私にとって凄く大きなことでした。一人で考えていると、物事は悪い方にしか向かわないので」


彼はそんな私を見て、続く言葉を躊躇ったようだった。

勢いで中途半端に開かれた口は閉ざされ、代わりに手元のキーボードを私の前に置く。


「まあ。とりあえず、本文だけ打ち込んでみるか?」

「はい、先生!」


明るく答えた私に、青年は苦笑した。


書き出しの言葉は決めてある。

いつもの場所に両手の指を置いて、躊躇うことなくキーを叩く。


画面に表示された文字に、私は困惑した。


「このキーボード、おかしいです。“お”と押したのに数字の6が出てきます」

「……その様子じゃ、先に手書きで内容まとめた方がいいかもな」


キーボードをひょいと取り上げられ、代わりに差し出されたのは紙とペン。

名残惜しく彼の手の内にあるキーボードを追ってしまうが、すぐに勢い負けして諦める。


決めていた書き出しを紙に記せば、隣から視線を感じた。

私は諦めて一度手を止めると、彼の顔を見た。


「じーっと見られると、緊張するのですが」

「気にしないで良いって」


なんとも無理な相談だ。

一応視線は手元に戻すが、気持ちが集中できるはずもない。


こちらの心境など知ったことではないと言うように、彼は私の横顔をじっと見ている。


「で、あんたの名前は?」


視線を外されながら紡がれた質問に、私は首を横に振った。


「内緒です。それも、個人情報なので」

「いや、もう死んでるなら問題ないだろ」


彼に言われると、実際にそんな気がしてしまうから不思議だ。


あの人(・・・)との約束を破ってしまう罪悪感はある。

けれどここまで助言を貰っておいて、自分のことは一切教えられませんというのも変な話だ。


絶対に内緒ですよ、と念押しして、私は本名ではない名前を口にする。


「ユーザ名はエイビスでした」

「エイビス……Avis、鳥か」

「よく分かりましたね」

「一般教養だろ、多分」


あっさりと言うが、少なくとも高校二年になった現在でも授業で習った知識にはない。

私は一向に書き進まない自分の手元から顔を上げる。


ちらりと横目に見た彼の視線の先にあるモニター画面は、いつの間にかインターネットのニュースサイトに切り替わっていた。


「あー。そういや、いつ死んだんだっけ」

「三日前です。時間は確か、夕方くらいで……」


私の言葉の途中に、キーボードを数回叩く音が聞こえた。

それが止まったかと思えば、彼はそういうこと、とよく分からないことを言う。


画面を閉じてデスクトップに戻る。

かと思えば、青年は私の話を片手間に、鞄から取り出したスマートフォンを操作し始めた。


「自分が質問したのなら、真面目に話を聞いてください」

「いや、ちょっとな」


沈黙。


どこか釈然としない曖昧な返答に、私は諦めてメール本文の続きを考える。


“改めて文章にすると、なにから書けばよいのか迷ってしまいますね”

最近はメッセージやチャットで会話はするけれど、しっかり文章を書くのはいつ以来だろうか。


二年前、と書きかけて打ち消し線を引く。

このメールは見知らぬ誰か(・・・・・・)からの、感謝の言葉でなければならない。


“でも、どうしてもあなたにお伝えしたい……”

書き直した瞬間、背後から髪を引かれた。


振り返った先には、誰もいない。

というか、今この空間には私とスマートフォンをいじっている彼しかいない訳で。


「急に引っ張らないでください」

「……ん? 何もしてないんだけど、俺」


彼は視線を画面から外し、僅かに眉を寄せた。


しらばっくれる気だろうか。

本気で言っている様子の彼に、私は小さく頬を膨らませた。


「それで、どうしましょうか」

「なんのことだよ」

「もちろんメールのお話です」

「あー、俺に言えるのはひとつだけだな」

「ええと、なんですか?」


首を傾いだ私に、彼は口角を上げた。


「あんたの言葉は、そのフレさんに伝わってるだろうよ。一言一句相違なく」


その言葉の意味を、彼に問うことは出来なかった。

背後から肩を引かれて、振り返った瞬間。視界は一気に反転した。




引き戻された先で、急に体が重くなったと感じた。

上手く思考が回らないのは、意識が目覚めたばかりだからか。


重い瞼を押し上げて、開けた視界の先には真っ白な天井があった。

独特な香りのする空間には、定期的な電子音がいくつも響く。


ベッド近くの机に置かれたスマートフォンが、メッセージの着信を告げるように点滅した。

青年サイドの答え合わせ編を、現在こっそり執筆中です。

いつか公開できたら良いなと画策してます。

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