透明な蜘蛛
『午前中
ラッシュアワーが終わって、乗客は少なくなった。平日の休み、私はこの時間の電車に乗るのが好きだ。近所のカフェに立ち寄ったり、遠くに出掛けたりもする。車や、飛行機など、移動手段はたくさんあるが、見知らぬ場所に行くのも、見知った場所に行くのも、やっぱり電車が良い。』
巡は和歌のブログに貼られていた写真を集め、自分のフォルダに入れた。
「どの写真も良いなぁ…」
巡は何度も写真を眺め、ため息をついた。何枚も見ているうちにある事に気がついた。
「あれ?」
それは、どの写真にも電車が走っているという事だった。朝日とともに走る始発、ラッシュアワーの乗客の後ろ姿、パフェもチョコの菓子で線路や電車を模している。電車そのものがなくても、線路や枕木なんかも写っていた。
「ひょっとして、和歌さんって…、」
巡はまたキーボードを動かしてメールを打っていた。
『こんにちは、和歌さん
あなたの写真を保存して眺めていました。どの写真も物凄く見事なのですが、どれにも電車が写っていました。
ひょっとして…、和歌さんって電車が好きなのですか?ブログもしょっちゅう電車の事が載っていますし、コメント欄もそれの事が多いですね。』
そしてマウスのボタンを押した。
「僕は、小説のように、和歌さんのように輝けない。」
巡の横に里子の使いである透明な蜘蛛が現れた。
「誰か僕の運命をどうか導いて下さい、『風導』」
すると頭の中にある情景が浮かんだ。
「山の、社?」
巡は椅子から立ってそこに向かった。
夏鈴は山の社で一休みしていた。夏鈴の家系のお墓がそこに有るのだ。夏鈴は兄の冬馬と一緒に墓参りをし、ちょうど今から帰る所だった。
「夏鈴、そろそろ帰るぞ」
「うん、分かった」
二人が一緒に帰ろうとすると、巡が目の前に現れたので足を止めた。巡は何故二人がこうして居るのか戸惑ったらしく首をかしげた。
「夏鈴…ちゃん?どうして冬馬と一緒に?」
冬馬は巡の方を見てこう答えた。
「兄妹だからに決まってんだろ?」
どうやら巡は、今までそのことに気づいていなかったらしい。
「名字で少しは察しろよ。粟生はこの集落で俺たちぐらいしか居ない。」
「……そっか、」
「で、なんで巡がここに居る?」
「何って…導かれたからだよ」
すると冬馬はため息をついて夏鈴の手を引っ張った。
「夏鈴、帰るぞ」
「えっ、何で?お兄ちゃん!」
冬馬は夏鈴を引きずりながら、山道を下りていった。
「お兄ちゃん、どうして巡さんを!」
「あいつはもともとあんな感じだよ。こう言い出したら俺の話も聞かない。」
「そんな……」
「だけど、いや、だからこそ、俺はあいつが心配なんだ…」
二人の事を青い蝶が見ている。しかし、夏鈴はその事には気づかなかった。
「何で、あの兄妹は僕なんかを心配してるんだ?」
巡は透明な蜘蛛と一緒に社の近くで座っていた。
夏鈴と出会ってから、巡は彼女の動向を見ていた。遊佐と遊んでいたり、神社で話していたり、と何処を切り取っても楽しそうな顔をしていた。
それを見ているうちに、果たして自分は今までこうして楽しく過ごしていたのか考え出した。だか、どう頑張っても見つからない。楽しい思い出程、すぐ忘れてしまうのだ。
「辛い事だけじゃない、だから生きたいって思える、楽しい事だけじゃない、だから死にたいって思う…。
だけど、僕なんかが生きて何になるんだ?生きる価値も資格もない。だけど…、僕は助けられてしまった…。」
巡は冬馬が行った方を見つめた。
「冬馬、何故僕にそこまでする?はっきり言ってうっとおしいんだよ。だから…、その腐れ縁、壊してやるよ。」
巡はそう呟いた後、山を下りていった。
家に帰ると真っ先に巡はパソコンを開いた。一人深い闇に居る巡を、この世界に留めてくれる唯一の存在が和歌だったのだ。巡はメールボックスの新着情報を見て、そこを開く。
するとそこには、今までのかしこまった文章とは全く異なる文面が広がっていた。
『Re:
電車?うん、好きだよ!特にさぁ…、一昨日撮ったこの最新型の車両!あれが倉庫から出てきた時感激してさぁ…、もう家宝にしたいくらい!
あっ、あの鉄道カフェの記事も見てくれたんだ…、あのパフェ美味しかったんだよね…。
あっ…、ごめんなさい。すっかり書き散らかしてしまって…、素の自分が出てしまいましたね。
鉄道の事になると周囲を置き去りにして暴走してしまう癖がありまして…、出さないようにはしてたのですが、やっぱり、出てしまいましたね。すみません。』
巡は不思議に思った。そして考えに考えてこう書いた。
『Re Re:
そんなに熱中するものがあるなんて、すごいですね。私はただ、この空白の時間を漂ってるだけですよ。毎日がこんなにも楽しいなんて、羨ましい限りです。
急にタメ口になったのには驚きですが、素の和歌さんが見れたのは少し嬉しかったです。
ところで…、和歌さんはお幾つなんですか?プロフィールには書いていませんし…、少なくとも社会人ではない事は確かなのですが、それ以外は全く分かりません。
私、実は高校生なんですよ。和歌さんとはもう少し背を伸ばしてお話をさせて頂きたいのですが…、それだとあのエネルギッシュな和歌さんが見れないので…。
あ、鉄道トークしても良いですよ。私自身はあまり電車には乗らないのですが、和歌さんがこれだけ熱中するとする事に驚きまして、もっと聞きたいと思いました。』
巡はそこまで打ってパソコンを閉じた。思ったよりも長文のメールを送ってしまった事に自分も驚いている。
「僕は…、和歌さんに生まれたかった」
他人の人生を羨む事はあってはいけないが、この溝は、和歌の存在は、巡にとってあまりも遠く、向こうが眩しく感じた。
今日は珍しく高校の登校日だった。巡は透明な蜘蛛を頭に乗せて学校に行く。この蜘蛛は巡にしか見えないようだった。『風糸』という能力を手にしてからずっと側に居る。巡はその蜘蛛に話しかけなかったが、蜘蛛の方はどうやら懐いてるらしい。
巡は自分の机でずっと周囲を観察していた。後ろの方では男女が言い争っている声が聞こえる。巡葉それを見てほくそ笑んだ。
「馬鹿だね、二人で墜ちやがって…」
実はその二人は巡が能力で縁を結んだ人だったのだ。巡は能力を使ってクラスメイト達の縁を作ったり、壊したりしている。
悪気はなかった、ただ、こうして高みの見物をするのは孤独な巡の優越感に繋がった。
「次は誰に行こうか…『風紬』」
巡にしか見えない透明な糸が、別の二人に繋がった。巡はこうして密かな遊びを繰り返していた。
だが、その縁を自分に結ぼうとは思わなかった。これ以上誰かと繋がるのは嫌だったからだ。
巡の『風糸』の能力は、人の縁を結ぶ他に、自分の運命を導くというものがあった。だが、その代償に、自分の視力と楽しい思い出が奪われていく。
巡が眼鏡をかけだしたのもそれが原因だっだ。だが、巡本人はその事に全く気づいていない。
「ついでにこれもしとくか…『風結』」
巡の糸は山の方へと伸びて行った。それを確認した巡は、再び教室に目を移すと、ちょうど冬馬がやって来た所だった。
「冬馬…」
冬馬がその呼びかけに答える前に、透明な蜘蛛が冬馬の腕に掴まった。
「『風壊』」
すると冬馬と巡の縁の糸ががんじがらめになり、冬馬は巡の目の前から消えてしまった。だが、他のクラスメイトは冬馬が居る者と思っている。どうやら巡の目の前にだけ消えたようだった。
夏鈴と遊佐は近くの公園で自由研究をしていた。
「アオ、こうして村の植物図鑑を作ろうって考えたの凄いね!」
「うん、もうすぐここから離れるから、その思い出として作ろうと思って。」
公園で採れる草を一通り調べ上げた後、二人は山に向かった。そこには珍しい植物の宝庫で、持っている図鑑にも載っていなかった。
「ユサ、どうするの?」
遊佐はここぞとばかりに携帯電話を取り出して写真を撮った。
「家に帰ったら調べるんだ。種類色々あったらいいでしょ?」
「そっか…、そうだね」
二人は山奥にまで入ってあらゆる種類の植物を集めて回った。
そして、二人は山を下りて帰ろうとすると、夏鈴の真上に大きな黒い何かが被さった。
それは透明な糸に絡まった怪だった。
夏鈴は遊佐の肩を叩いて真上を指差す。
「ユサ、上に何か居るよ?!」
遊佐も上を見上げたが、首を振った。
「まさか…、私にしか見えてない?!」
怪は腕を伸ばして二人に襲いかかろうとする。夏鈴は遊佐の手を引っ張って必死に逃げた。
「アオ、何か居るの?!」
夏鈴は何も言わない。
集落に差し掛かっても怪は追いかけて来た。夏鈴以外には見えていないらしい。しかも、誰かがいるはずの村には誰も居なかった。
「どうしよう…このままじゃ、」
その時だった。大きな衝突音がしたと思うと怪は一瞬で消え去ってしまった。
「えっ?!」
怪が居たはずのその場所には、灰色のローブを纏った黒い仮面の人物が、水色の柄に銀色の刃の大鎌を持って立っていた。
「間に合ったようだね、」
その人物はローブを取り去ると、楊梅色の髪の毛をハーフアップにし、黄緑色のワンピースを着た女性が現れた。
「一体、何だったんですか?」
「私は剣崎真莉奈、まぁ…、見ての通り死神かな。しっかし危なかったね〜、突然怪に襲われるなんて…。」
「あ、いや、なんと言いますか…、ありがとうございます…」
真莉奈は鎌をしまって二人を見つめた。
「で、なんで死神がこんな所に居るんですか?」
「それはね…」
「真莉奈!」
真莉奈を追いかけていたと思われる男性が息を切らしながらやって来た。
「全く、先々言って何してるんだよ…、しかも一般人に正体晒しやがって…」
「桜弥君、やっと来たんだ」
「何他人事みたいに…」
二人は状況が掴めずきょとんとしていた。
「私は粟生夏鈴、そっちは人丸遊佐です、見かけない人ですね、あなたは一体何者なんですか?」
「俺は風見桜弥、何かこの村が気になって真莉奈と来たんだ。しかし、この村の『風』は何か不思議だな…まるで読めない。」
「確かに、この村には怨霊の社があったり、不思議な場所ではありますね。」
すると遊佐はそれに続いてこう言った。
「この村は来年には無くなります。ひょっとして、そのせいで怨霊が怒っているのではないでしょうか?真莉奈さん、死神でしたら何か分かるはずですが…」
遊佐はいつになく冷静な声だった。それに反して真莉奈は腑抜けた声でう〜ん、と言って考え込んでしまった。
「う〜ん…、確かにそれはあるかも知れない。ただなぁ…あの糸が分からないんだよ。何で怪に糸がこんなに巻き付いてたのか…、鎌でも糸は斬れなかったし…。」
「確かにそれは俺も不思議に思った。しかもそれ『風』の糸だったんだよな…、死神の鎌で斬れないって言う事は、特殊な方法じゃないと斬れないのかも知れない。」
すると桜弥は夏鈴の方を見つめた。
「夏鈴…、運命はどういうものだと思うか?」
「えっ?」
「その答えは自分で見つけるんだ。後…、青波台、俺達の町に行った方が良いな。それと、青い蝶と透明な蜘蛛…。」
「それは、一体何なのですか?」
すると桜弥は夏鈴の肩を持った。
「夏鈴…お前も強力な『風』の力の持ち主だ。お前は鍵になるんだ、分かったか?」
「あっ…はい…」
夏鈴は戸惑いながらも返事をした。
そして二人は夏鈴達から離れようとした時、身体中に糸が絡まった冬馬が現れた。
「お兄ちゃん?!」
「ハァ…、巡にやられた、うっ…!」
冬馬は『風』の糸に足を引っ掛け、転んでしまった。
「冬馬お兄さん、大丈夫ですか?!」
「真莉奈、斬れるか?」
真莉奈は鎌を取り出した。
「『朔月斬』!」
だが、糸はびくともしない。
「ひょっとして…、真莉奈、『虚月』を試してくれ、」
真莉奈は水晶で出来た透明な鎌を取り出した。
「『裏月斬』!」
だが、『虚月』でも糸はびくともしなかった。
「『虚月』、無の力を持つ伝説の鎌でも斬れないのか…。」
糸はますます身体を締め付け、冬馬は苦しみの声を上げる。
「どうすれば…」
その時だった。青い蝶が目の前に現れたと思うと、糸を断ち切って真直ぐな状態にしてもう一度結んだ。そして、夏鈴と冬馬をじっと見つめた後、そのまま消えてしまった。
「あの蝶、何処かで見たことが…」
二人にはその蝶に見覚えがあったのだ。
「一体、何だったんだ?」
桜弥と真莉奈は考えたが一向に答えは出なかった。そして、帰ってしまった。
巡はパソコンを開いて和歌からのメールを見た。
『Re Re Re:
あ、高校生だったのですか、一緒ですね。何年生ですか?
電車の話ですか…、そうですね、やっぱりまずは近所を走る電車からですかね。高校は電車通学じゃないんですが、電車はよく乗りますよ。ブログの写真もほとんどそれで…。家の近所は比較的都会で、駅の周辺は結構栄えてるんですよ。カメラ屋とか、カフェとかもあって休日はほとんどそこに居ます。
車両は…、最新型も良いですがたまに旧型のものが来ると興奮しますね。シャッターチャンスは突然来るので私はカメラを肌身離さず持ってます。』
巡は大人、大学生くらいだと思っていた和歌が、実は高校生である事に驚いた。それでも、自分よりは成熟しているし、自分の考えもしっかり持っている。巡はこんな事を聞いてみた。
『そうですか…、和歌さんは大人ですね。私は高校二年生です。ただ、全然そんな気はしませんですけどね…。一人っ子だからか母親にずっと頼りっぱなしで、与えられたものしか受け付けないのですよ…。和歌さんは私にとって物凄く遠い存在です。だからあなたの近くには私はいけません。
ずっと気になっていたのですが、和歌さんは運命とか、人の縁についてどう思いますか?僕はそういうものは最初から決められていると思います。やはり人間の力で決められない事もあると思いますよ。
小説の中では二人が運命的な出会いをする事も多いですが、私は和歌さんの考えをお伺いしたいのです。』
巡はそこまで打った後、メールを送った。そして、今日更新された小説とブログを覗いていた。その時、通知音が和歌からのメールの受信を知らせてくれた。
「今回は早いなぁ…」
巡はそう言ってメールを開いた。
『Re:
あ、同級生だったのですね。私はてっきり年上だと思ってました。私もたまにお母さんに頼ってしまう事はありますが、大抵の事は頑張って自分でするようにしています。
お父さんの事も好きなのですが、不在の事が多いですね。
運命、ですか…確かに運命の出会いというのはあるのかも知れません。ですが、私はそこからだと思うのです。ひょっとしたらそれは神か何かが予定したのかも知れない。だけど、そこから二人がどうするかを決めるのは私達の判断ではないでしょうか。縁というのは進んで結ぼうとするものといつの間にかあるものとありますよね?
どちらにしてもそこから先の事は私達が決める事なんです。
私はJyunさんにとって遠い存在かも知れない。ですけど、同じ線路に居ますよ。それに、人生は環状線、回り回っていつかは巡り逢う。
あ、電車で例えてしまいましたね…。ごめんなさい。でも、何となくそう思ってるんですよ。』
和歌の当たりはいつも心地よかった。巡は手を伸ばしてもとどかないその人物が巡の心の支えだった。生きがいだった。
「僕は…、あなたが眩しい。」
巡は今日、これ以上和歌にメールを送らなかった。巡はパソコンを閉じて机の上に伏せる。
「巡、どうしたの?」
母親である真央は、扉から巡を覗くと、お茶だけ置いてこれ以上の事は聞かずに行ってしまった。
透明な蜘蛛が巡の顔を覗き込む。
「お姉さま…」
蜘蛛は慰めるように脚で巡の背中を叩いた後、ぴょんと飛んで何処かに行ってしまった。