風の糸
『通勤時間
電車にはラッシュアワーというものがある。通勤ラッシュでは大勢の会社員や学生たちが乗り降りし、身動きがとれない程に電車も駅も混む。私はまだその中の一員ではないが、一回それに引っ掛かった時、あまりにもの窮屈さに、私は目的の駅に行けないんじゃないかという恐怖を感じた。
社会の時間で習ったが、通勤ラッシュの歴史というのは、イギリスの産業革命の時代まで遡る。その時代に線路が開通したそうなのだ。大勢の人が一度に仕事を開始して終わらす、このシステムがそれを作り出したのだ。
今日も大勢の乗客と一緒に電車は走る。人混みに埋もれないように、また、リュックサックやキャリーケースに悩ませながら乗り降りしていく。
私も、将来的にはこの中の一員になるのだろうか。いや、それは望まない。何故なら、毎日そんな電車に揺られていたら、乗った心地も、窓の景色も、電車の良さも感じられないからだ。』
巡は小説だけでなく、ブログの方も見る事にした。毎回小説とは異なる詩的な文章も写真が載っていて、次はなにか出るのか楽しみになる。
すると、何かを思い出したようにメールボックスを開くと、なんとそこには和歌と書かれたメールが届いていた。
「えっ?!和歌さんから…!」
恐る恐るそれを開いてみると、そこにはなんと紛れもなく和歌の文章でメールが書かれていた。
『始めまして、Jyunさん
いつも私の稚拙な文章を読んで下さり恐縮です。
ただ、趣味の為に書き溜めていたものが、こうしてあなたの元気になっている事を嬉しく思います。
』
文章は、非常に丁寧でむしろこっちが恐縮だと思うくらいだった。巡は久々に飛び上がるくらい嬉しくなって、それのあまり、こんなメールを送ってしまった。
『こちらこそ、ありがとうございます。あなたの文章は見る人を感動させるものがありますね。何故そんな文章が書けるのか、何故このような物語が書けるのか、不思議に思います。私は普段恋愛ものの漫画や小説を読みますが、あなたの物語程、臨場感があって、感動するのは他にありません。』
一人称が僕ではなく私なのは、性別を隠すためと、素性を明かすのが恥ずかしいせいだった。
巡はマウスのボタンを押して、メールを送った。
「和歌さん、あなたの周囲は輝いてますか?」
恋愛小説を読んでいる巡だが、現実世界で恋愛はした事がなかった。だが、和歌が女性と言う事を知った時、淡い一種の恋心が芽生た。
巡は目を閉じて和歌の姿を想像する。和歌と言うのなら平安時代の貴族のようにさらさらと美しい黒髪なのだろうか、写真を撮ったりするから意外とアクティブは人なのだろうか、年齢は年上か年下か、どっちにしても嬉しかった。
巡がイメージした和歌は、いつも花柄のワンピースを着た清楚な姿で、腰までの黒い髪の毛に麦わら帽子を被っている。
そして、夕日を見ながら笑っている、そんな感じだった。
「今、何してるんだろ…」
授業は夕日を見ながらそう呟いた。
夏鈴と遊佐は、祭りが終わった後の神社に行った。
「これがホントの後の祭りって奴だね!」
「もうここで祭りは開かれないのか…残念」
「町が滅んだらきっと、この神社も取り壊されるね……」
地面は膝丈くらいの草で覆われ、木は手入れされてなく伸び放題になっている。一応、夏祭りもあったので、ある程度改善されてはいるが、やはり取り繕いきれないものはあった。
入日神社は、怨霊の社とも呼ばれる。かつてこの村で死産になった少女が居た。その少女の霊が暴走し、村は壊滅状態になった。その霊を鎮める為に建てられたのがこの神社なのだ。
死産から転じて、縁や安産のご利益があるとされるこの神社、夏鈴の一家はこの神社と深い関わりがある。
それは、霊を鎮めるという役目があると言う事だった。
夏鈴が亡き祖母から受け継いだ鍵も、何らかの関係があるらしい。だが、幼い頃の夏鈴にはそれが理解出来なかった。
「なんか、寂しいね」
「そうだね…」
二人が帰ろうとする時、三脚とカメラを持った男の人が石段を上ってきた。ハンチング帽を被り、チェックのジャケットを着て、大きなリュックサックを抱えている。
その人は、神社を見ると、三脚にカメラを付け、写真を取り出した。
「誰だろ、あの人…」
夏鈴はその人に見覚えがあった。そして、帰ろうとする後ろ姿を捕まえ、こう話しだした。
「あの、あなたはひょっとして、久米田治さんですよね?!」
その人は一つ頷くと、夏鈴の頭を撫でた。
「いやぁ、まさか君みたいな子が僕の事を知ってくれるなんて…嬉しいよ。」
「アオ、その人って誰なの?」
「有名な写真家の人だよ!お父さんが写真集を持ってるんだ、あの、どうしてここに居るのですか?」
治はニコニコ笑いながら、こう答えた。
「次の写真集のテーマが、滅びゆく町なんだよ。だから、こうして町や村を巡ってるんだ。この神社の雰囲気中々良いね。良い被写体になったよ。」
「そうなんですか…」
「君達を見てると、幼い頃の娘を思い出すよ、遠くに行って中々会えないから、会う度に成長してるんだよ。ついこの間まで、こんなだったのに…。」
治が二人にカメラのレンズを向けた。
「あの、記念に君達を撮らせてくれないかい?」
「あっ、良いですよ、ちょっと待って下さい。」
夏鈴は山の中から二輪の花を持って帰り、それぞれの頭に挿した。
治はシャッターを押し、画面を二人に向けた。
そこには、お揃いの花を着けて笑っている二人の姿がはっきりと写っていた。
「二人とも、ありがとう。」
そして、治はカメラをリュックサックに仕舞い、石段を下りていった。
「私達も帰ろうっか」
夏鈴は遊佐と一緒に帰ろうとすると、山の展望台に珍しく誰かがいる事に気がついた。
「あの人…一体何なんだろう…」
「アオ?どうしたの?」
「先帰ってて!私…、ちょっと行ってくる!」
夏鈴は、遊佐から離れて展望台の方に向かった。
展望台には身長は高いが、さほど年はいっていなく、せいぜい夏鈴の兄くらいであろう男性が立っていた。
「また会ったね、夏鈴ちゃん」
「あなたは…巡さん?!でも、なんでこんな所に…」
巡はこの前のように仮面は被ってなく、その代わりにメガネをかけていた。目はタレ目で紫がかっている。
「さっき神社に行ってたよね?何の用があって行ってたの?」
「祭りの後の様子を見に来ただけですよ」
「ふ〜ん、そっかぁ…」
巡は夏鈴にこんな事を言い出した。
「夏鈴ちゃんって、縁や運命を信じる?」
夏鈴はしばらく考えてこう答えた。
「人の出会いっていうのは、よく分からない事もありますね。お兄ちゃんが居るのも、ユサと出会ったのも、ひょっとしたら運命なのかもしれませんね。」
「僕はね、人の縁を自由に結べるんだ。ひょっとしたら君と出会ったのも何かの運命なのかもしれないね?」
「はぁ…、そうですか…。」
夏鈴は、それ以上に巡に対して気になる事があった。
「なんで、夏鈴ちゃんって名前で呼ぶんですか?私の事はアオで良いのに…」
「いや、なんとなくかな。」
二人の間に風が吹いた。
「それじゃあ、僕は神社に行くよ。また会おうね」
巡はそう言って、颯爽と行ってしまった。夏鈴が一人で山を降りようとすると、一匹の青い蝶が目の前を横切った。
巡は神社の中に入った。その中で赤い着物着た小さな女の子な紙風船で遊んでいる。
「お姉さま、こんにちは」
それは、この神社に祀られている怨霊の里子だった。
「巡、どうしたの?」
「お姉さま…、」
巡は里子の事をまるで我が子のように抱き締めた。
「どうか、僕の運命を導いて下さい…」
里子は巡の背中をさすった。
「うん、だからあなたにその能力を授けたのよ」
「分かっております、あなた様が助けてくれたご恩を決して忘れません」
「うん、私は生きれなかった…だから、代わりに生きて……」
巡は頷くと、里子の頭を撫でていた。
巡は家に帰ると真っ先にパソコンを開いて和歌の返信を見た。
『Re:
ありがとうございます。あの文章はただ自分の趣味をまとめただけのものだったので、こうして褒められるなんて思ってもしませんでした。文章力は…、拙いですよ。だから、何故褒められてるのか私にもよく分かりません。
私はただ、自分の気持ちに素直になってるだけですので…。』
和歌は少し戸惑っているようだった。ブログのほうは高架を撮ったもので、大勢の人が写っている。
「そうだ、和歌さんって写真も好きなのかな?」
巡はまたメールを送っていた。
『そうだったのですね。最近、あなたのブログも拝見させて頂いております。毎回写真があげられているのですね。どれも素晴らしい写真ばかりで、ずっと見ていられます。』
巡がここまで打った後、マウスを押した時、巡の意識は夏鈴の方に移っていた。
「そうだ、僕があれぐらいの頃……」
巡は毎年のように花火大会に行っていた。ある年の事、巡は何もかも嫌になってそのまま展望台から飛び降りようとしたのだ。その時、誰かの手が巡を止めた。暗がりなので誰だったのか本当の事は分からないが、巡はずっと、里子が助けてくれたと思っている。
「なんで今こんな事思い出したんだろ…。気持ちは今も変わらないよ。僕は生きる事に絶望してる。だけど…、生への執着って怖いよね…、こんなにも辛いのに、なんで生きようって思えるんだろ…。」
巡は目を閉じてしばらく眠った。