1-6 なれとは恐ろしいもので
「はあ!」
「甘い甘い!」
ガキンと剣がぶつかり合い、強引に押し込まれた僕はたたらを踏む。
その隙を突いてアルメイダさんがさらに踏み込んできた。振り下ろされる剣を横っ飛びで躱し、大外回りで駆け抜けて背後を狙う。
アルメイダさんは片足を軸に体を反転させ、僕を正面にとらえたまま構えを直した。こうなってしまえば、飛び込むのは無理だ。僕も足を止めて剣を構えなおす。
僕の剣は体格に合わせてアルメイダさんの物よりも一回り小さい。その分パワーは出ないが、早さを生かした戦い方ができる。
手数を増やして対処が追い付けなくする。それが僕の戦い方だった。
(アルメイダも相変わらず防御が上手いな。こっちの力が入らないタイミングをピンポイントで突いてくる)
(チームの中でも盾役だって言ってたもんね)
(さ、こっからだぞ)
(うん)
二十分ほど戦い続け、アルメイダさんには疲れが見え始めている。けど僕の体はまだまだ体力が充実している。勝負を掛けるならここになるはずだ。
アルメイダさんも、何度もぶつかったことでそれを理解しているのだろう。構えや表情が真剣そのものだ。
「行きます!」
駆け出し、剣を下げて正面へと飛び込む。
切り上げはアルメイダさんによって押さえ込まれた。僕は横を抜けるように移動しながら、剣を滑らせて手元を狙う。当然、アルメイダさんも剣を捻って軽く弾き、軌道から逃れた。
振り返りながら背中へと剣を振るう。少し遅れて振り返ったアルメイダさんは剣で受け止めるが、やはり足元の反応が少し遅れてきている。
チャンスだと、さらに攻勢を強める。受けられた剣を再び振り上げ、打ち下ろす。
「くっ」
小さく唸り声が聞こえた。わずかに体勢を崩したアルメイダさんは後退しながら姿勢を戻すが、僕はさらに懐へと飛び込んでいく。
アルメイダさんの剣は僕のよりも一回り大きい。その分、間合いの中に入れば取り回しは劣悪だ。
「ここ!」
間合いの内側に入った状態から突きを放つ。勝ちを確信し、寸止めの準備をしていたが、それは全くの徒労に終わる。
気づいた瞬間、僕は背中から地面へと倒されていたからだ。
数舜を置いて、痛みと苦しさが来る。
背中を打って呼吸が止まったせいだ。慌てて口を大きく広げ、吐き出してしまった空気を吸い込む。
今まで整っていた息が一気に乱れ始めた。すぐに立ち上がることもできず、アルメイダさんに切先を突き付けられる。
「俺の勝ちだな」
「ま、負けました」
また負けてしまった。勝てると思ったのに。
「流石に最後の流れは焦らされた。久しぶりに左手を使ったぞ」
左手?
(分からなかったか? 突き出したとき、アルメイダは左手でお前の腕を掴んだんだ。んで、そのまま足を引っ掛けられて腕一本で地面に叩きつけられたんだよ。まともな受け身も取れなかったから、一瞬意識が飛びかけたんだろ)
「投げられたんだ」
「ま、俺に左手を使わせたってのは自慢していいぞ。現役時代も俺の左手はチームメイト以外は知らない隠し技だったからな。じゃあ今日はここまでにしておくか」
アルメイダさんは剣を地面へと突き立てる。僕はふら付く足で立ち上がり、剣を腰に戻して礼をする。
「ありがとうございました」
「月兎もだいぶ強くなったな。今のお前なら新米の傭兵ぐらいの力はあるぞ」
「そうですかね? あんまり強くなった実感が湧かないんですけど」
僕がこの村に来てから早一カ月が経過した。
午前中はおもにフレアの手伝いで薬草の採取や畑の世話をし、午後にはアルメイダさんと訓練する日々。たまにアルメイダさんに付き合って狩猟に行くこともあったが、見事足手まといになるだけだった。動物って凄い気配とか殺気に敏感なんだね。
「強くなってるぞ。最初は剣を振り回すだけだったからな」
(あれは今思い出しても笑えるよな。自分の剣の柄で鳩尾を強打したやつ)
(恥ずかしいことは思い出させないでよ)
訓練を開始してから二日目だったかな? 初めて模擬戦をすることになって、アルメイダさんと対峙したんだけど、上段から振り下ろした剣をバックステップで躱されて、勢い余った剣の切っ先が地面に刺さってしまった。さらに踏み込みの速度が乗っていたせいで体を止めることができず、自分の剣の柄を鳩尾に食い込ませたのだ。あの時は息ができなくて痛くて恥ずかしくて、本当に辛かった。
「とりあえず泥だらけだし体洗ってこい。そろそろ夕飯の時間だしな」
「はい」
だいぶ日が傾いている。完全に暗くなってしまうと川は真っ暗だし少し急いだほうがいいかな。
駆け足で川へと向かうと、籠を持ったフレアがいた。一カ月で怪我もほぼ完治し、申し訳程度に包帯を巻いている程度だ。痛みももうないようで、僕も村人たちもホッとしている。
「フレア。なにしているの?」
声を掛けると、フレアが振り返る。
「月兎さん。今日の夜のうちに乾燥させる薬草を洗っていたんですよ」
「言ってくれれば手伝うのに」
「ちょっと洗うだけですからね」
籠の中から薬草の束を取り出し、水につけて泥や埃を丁寧に落としていく。これを夜のうちに干すことで翌朝には薬草として効力を高めたものができるらしい。
「月兎さんは訓練の後ですか?」
「うん。ご飯前に体を洗っちゃおうと思ってね。下流使わせてもらうよ」
「はい、どうぞ」
フレアの下流側へと移動し、ズボンとシャツを脱いで川へとざぶざぶ入っていく。
この辺りは流れが穏やかで深さもなく、洗い物にちょうどいい場所だ。朝などは、ここが井戸端会議の会場になっている。
「ふぅ、気持ちいい」
火照った体に冷たい水が気持ちよく、僕は掬って顔に何度も水を掛ける。
(随分筋肉付いてきたんじゃないか?)
(そうかな?)
水面に写る僕の体を見て、レイギスが呟いた。確かに少し体つきが良くなったかもしれない。地球にいたころは力こぶも小さな丘ぐらいだったのに、今じゃちゃんと峠が出来ている。腹筋にも筋肉が付いたからか、少しがっしりしたような気がする。
気まぐれに腹に力を入れると、少しだけ割れているような気がした。
まあ、そんな些細な変化など消し飛んでしまいそうなぐらい大きな変化が日焼けだけどね。
(シャツの跡がちゃんとついていると、なんていうか健康的に見えるね)
(マジで色はもやしだったかな。まあ、赤くなるタイプじゃなくてよかったってところか。焼けずに真っ赤になるタイプは恥ずかしいからな)
(確かに)
それだったら、僕も恥ずかしくてフレアの前で服を――脱ぐ――――なんて…………
(ん、どうした?)
(れ、レイギス。僕はいつから、平気で服を脱ぐようになったんだろう……)
(何言って……!?)
(気づいた?)
(マジか。マジでマジか)
(ボキャブラリーが酷いことになってるよ)
いや、まあレイギスがこんな状態になるのもある意味頷ける話だ。
なにせ、僕たちはこの村とフレアとの共同生活に慣れ過ぎていたんだから。僕たちが村長から頼まれたのは、フレアに同年代の異性がどのようなものかを理解させ、羞恥心を芽生えさせること。そのはずなのに、逆に僕が羞恥心を無くし始めていたのだから。
川上にいるフレアを見る。フレアは薬草に付いた水を切り、籠に丁寧に並べていた。僕の裸など全く気にも留めていない。
つまり、フレアは僕と出会った頃から何一つ変わっておらず、変化したのは僕の考え方だけ。
(拙い。まずいよレイギス。これじゃ依頼を達成できない)
(くっ。俺も継続的にアピールを続けるべきだったか。初日以外は会わないようにかなり気を付けてたからな。こうなったらもっと性的アピールをするしか)
(いやいや、僕にそんなの無理だから。そもそも積極的に迫ったら、それこそ村の人たちに殺されるよ)
(とにかく今はできることをやるぞ。幸い月兎の体は筋肉が付いて以前よりも男らしくなっている。それを積極的に見せて行けば)
(なんとかなる……かなぁ? 肉体アピールって結構恥ずかしいと思うんだけど)
(この際恥は捨てろ。俺たちは旅のためにも道具一式を手に入れなければならない)
そうだ。この村で暮らすわけじゃない。僕はこの世界を旅して、地球に帰る遺跡を見つけなければいけないんだ。こんなところで躊躇はしていられない。
意を決して、僕は川を登りフレアの元へと向かう。ざぶざぶと音を立ててやってきた僕に、フレアは首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「さ、最近鍛えてるんだけど、すこ、少しは筋肉増えたかな?」
傍から見たら完全に変質者だよこれ!?
(ハハハハ! 超受ける! 面白すぎんだろ)
(レイギス!? 裏切ったの!?)
(いや、裏切ってはねぇけど、まさかそんな切り出しするとか予想外だわ)
(僕も予想外だよ)
思わず出た言葉がこれだったんだから仕方がないじゃないか。
水でぬれた顔に冷や汗が噴き出すのを感じる僕だが、フレアは気にすることなく僕の体を凝視する。
「そうですね。少しがっしりして来ましたか? これが男女の違いというものなのでしょうね。お婆ちゃんには習いましたが、実際に見ると違いに驚きますね。お腹周りや胸回りの脂肪や筋肉の付き方がだいぶ違うように感じます」
そんな科学者みたいな答えを求めたわけじゃないんだけど、筋肉が付いてきていると言われてホッとしている自分が悔しい。
「ちょっと触らせてもらってもいいですか?」
「え、うん。いいけど」
「では失礼しますね」
伸ばされたフレアの指が僕の腹筋に触れる。表面を撫でるように指が移動し、少し押し込まれた。反射的に腹筋を固めると、驚いたようにフレアの目が丸くなる。
「若くても筋肉はこんなに硬くなるんですね。私のお腹なんてぷにぷにですよ。触ってみます?」
ぶんぶんと顔を振って拒否すると、くすっと笑われてしまった。
「さ、そろそろ夜ご飯の時間ですし、村に戻りましょう」
「そうだね……」
なんだかすごい敗北感に苛まれつつ、僕は服を着てフレアと共に村に戻るのだった。
◇
ガラガラと馬の引く馬車が坂を上る。
行商の男はこの先にある村を目指していた。行商は辺境を回ることで固定客を手に入れており、今回行く村もそんな辺境の一つだ。馬車の中には村では手に入らない道具や食べ物が積まれており、これを辺境で採れる薬草や毛皮と交換するのだ。
どこの村でも似たようなものと交換することになるのだが、村の規模が小さいためいくつか回らないと町で求める数にならないためちょうどよかった。
「ふぅ、やっぱこの坂はきついな」
馬もすでにバテバテである。頂上に付いたところで馬を止め、樽に入った水を掬い馬の口元へと持ってくる。愛馬は喜んでその水を飲み干した。
「お疲れさん。こっからは下りだ少しは楽になるぞ」
愛馬を撫でつつ、そんなことをつぶやいていると、上空に影が通り過ぎる。
空を見上げてみても、雲一つない青空だ。
「なんだ?」
ふと影が移動した東を見れば、そこには優雅に羽ばたく巨大な白い巨体がいた。
太い後足に小さな前足。首は長く何かを探すように周囲を見回していた。
「なんだ……ありゃ……」
見たこともない生物が東へと飛び去って行く姿に首を傾げていると、坂の下から男が駆けてくる。
「おーい!」
「お、ドルデ村のゼンじゃないか。ちょうどよかった。今からそっちに行こうと思ってたんだ」
「そんな場合じゃない! すぐに町に救援を呼んでくれ」
怒鳴る様にいうゼンは全身が傷だらけであり、疲れ果てた様子だった。
「なんかあったのか?」
「お前もさっきの見ただろ。あの化け物に村を襲われたんだ! ドルデ村はほぼ壊滅した!」
「壊滅だぁ!?」
辺境の村とは言え、一つの村が壊滅したとなれば大ごとだ。それが、始めてみる化け物の仕業となればなおさらである。その上、その化け物は東へと飛び立っていった。その先にあるのは、他の村々。
被害が拡大する可能性は高く、行商の男はこれが大事になると確信した。
「分かった。俺が町の衛兵に伝えに行く。この馬車を頼めるか。食いもんは好きにしろ。どうせ、お前んところで売るつもりだったもんだ」
「あ、ありがとう。この恩は必ず」
「んなことは後だ。馬車を頼んだぞ」
行商は愛馬を馬車から外すと鞍を付けて飛び乗る。首すじを撫でながら、悪いがもうひとっ走りだと言って、元来た道を走り始めるのだった。