1-4 魔法検診
賑やかな歓迎会も一段落を迎え、ぽつぽつと家に戻る村人たちの姿が現れ始める。
俺と飲み比べをした連中はもれなく酔いつぶれ、テーブルに突っ伏していた。ちょっと周辺に酸っぱい臭いもするが、まあご愛敬ってこところだな。
外は完全に暗くなっており、電気なんて物のないこの村では完全に就寝時間だ。
まだ飲み足りないと足掻く子供な大人たちも、それぞれの妻によって耳を引っ張られながら帰っていった。
そして俺の元にも迎えが来る。
「月兎さん、そろそろ戻りましょうか」
「そうだね」
月兎は結局あの酒一杯で目覚めることはなかった。俺は月兎の振りをしながら、フレアと共に食堂を離れる。
月兎の真似は、なかなか鳥肌が立つな。背中がゾクゾクするわ。
「月兎さん、お酒に凄く強いんですね」
「今日初体験だったから僕も驚いてるよ。フレアは飲んでないみたいだけど弱いの?」
「翌日に来るんですよね」
「二日酔いタイプか。翌日に引きずるのは辛いね」
「そうなんですよね。朝の仕事にも影響出ちゃうので、なるべく飲まないようにしています」
「二日酔いの薬とかはないの?」
俺らの時代でも、二日酔い防止には魔法を使うものもいれば、昔からの製法で作られる漢方を使う奴もいた。この村の様子を見る限り、魔法は一般的ではないが、ならばそれに対応するように漢方などの知識が発展していてもおかしくはない。薬師ならば、何か知っているかと聞いてみたが――
「遠くの国には飲む前に服用することで、二日酔いを防ぐ薬があるとお婆ちゃんが言っていました。ただ、この辺りの植生だと取れない植物を使っているようで、買い付けると凄い高価な代物になっちゃうんですよ」
「流石にそれはもったいないね」
遠くの国限定か。昔と植物の植生が変わっていなければ、二日酔い用の植物ウェコンは亜熱帯地域が特産になっているはずだ。この辺りの気候は植物から見て亜熱帯ほどではないが、比較的暖かい地域に属しているはず。それでも取れないとなると、ウェコンとは別物だと考えたほうがいいな。
だがウェコンが絶滅するとは考えにくい。今度探してみるのもいいかもしれないな。効果を実感できれば、フレアが移動した後の手札が増やせるかもしれない。
家へとたどり着き、部屋に入る。
昼の間に干されていた布団は、若干古さが目立つがいい匂いに包まれている。それが二つ、木製の床に並べられていた。
「さ、明日も早いですし、早く寝ちゃいましょう」
「僕はちょっと出てくるよ」
「どちらへ?」
フレアがきょとんと首を傾げる。
おいおい、そこは気づいてくれよ。俺はしこたま酒を飲んでんだ。歩いてくる間も結構我慢してたんだぞ。
「もよおしててね」
「あ、そうでしたか。失礼しました」
俺はそのまま反転して家を出る。出る間際、衣擦れの音が聞こえてきたが、どうせ寝巻にでも着替えているのだろう。
俺はそのまま森の近くまで来て立ち小便を済ませる。そして家に戻る途中でふと思いついた。月兎の体と魔力に関して調べておいた方がいいと。
「あいつの世界では魔力は観測されていない。式が組み込まれていなかっただけの可能性もあるが、もともとなかった可能性もゼロじゃない。もし後者だとすれば、この体の中の魔力が悪影響になる可能性もある」
もしこちらの世界に来た影響で、周囲から魔力を取り込んだのだとすれば、この体の持っている膨大な魔力量とそれを体中へ運んでいる回路はどのように出来たのか。
無茶な方法で作られているのだとすれば、人体のどこかに異変が起きても不思議ではない。
調べるならば早い方がいいな。
「アナリジコルポルス・アンスぺス」
自身を対象にして、医療現場でも用いられていた解析魔法を発動させる。
手の甲に着けられた紋様からスクリーンが現れ、月兎の肉体を透過したものが映し出される。その横には脈拍、血圧、血中酸素、魔力量、魔力圧など多岐に渡る数字が表示された。
俺が注目しているのは、その中でも透過人体の魔力菅と魔力圧である。
魔力菅は血管と同じように全身に張り巡らされ、そこを体内魔力が循環することで体内に保持しておくことができるものだ。パッと見たところ、過去の俺たちの体と相違点は見られない。つまり、魔力菅は正常に作られている。
魔力圧は魔力管内を通る魔力の流れる強さだ。これが強すぎると、魔力菅を破損させ魔力が対外へと流出してしまう。グロリダリア時代では稀にこの症状によって魔力欠乏症になる奴もいた。
若干この魔力圧が高い数値を出してはいるが、管破が起こるほどの高さではない。十分に許容範囲内と言えるだろう。
俺はスクリーンを注視したまま、左手を前へと突き出す。
「プルニス・アンスカクト」
発動させた魔法は、指先に小さな火をつけるもの。火種としてよく使われる初歩中の初歩だ。
その発動の瞬間をスクリーンで確認する。
発動の直前、管内で魔力が指先へと集中して流れ、発動と同時に消費された。
一分と指定した火種は今も指先で灯り続けている。魔力量の数字が規則的に減ってゆき、ちょうど一分で火種の消失と共に減少も止まる。
「消費量も同じ。けど、圧の掛かり方がいやに強かったな」
発動直前の魔力の集中。管から搾り出すように溢れる魔力を消費して魔法を発動するのだが、その際の圧力が当時の俺たちの二倍近い数字を叩きだしていた。
当時の俺たちなら間違いなく管破を起こしている数値だ。だが、月兎の魔力菅に異常は見られない。
魔力菅が俺たちよりも遥かに頑丈に出来ているらしい。
だがそれだと――
「負荷がかかり過ぎてるな」
搾り出すのに負荷がかかり、それが肉体に極僅かだが影響を及ぼしていた。
指先を見ても変化は分からないだろうが、細胞が数個ほど破壊されている。
種火の魔法だからこの程度で済んだと考えたほうがいい。
念のために魔力量を大目に使う魔法も使用しておく。上空に向けて強烈な風の塊を放った。
すると、指先に内出血が起こっていた。これで確定だ。魔法の使用は、月兎の体に負担を強いる諸刃の剣。
前のように緊急事態でもない限りは、魔力を大量消費する魔法は控えたほうがいいだろう。
最後に回復魔法をチェックする。
以前発動した回復魔法は問題なく肉体を修復したが、その後にどうなったのかの確認だ。
同じように魔法を発動させ、スクリーンをチェックする。
「正常に回復はしているな。負担よりも回復能力の方が高いのか」
これは月兎の体質に感謝するべきだな。これまで魔法に対して触れる機会がなかったために耐性がなく、魔法を受け入れやすい体なのだ。
「さて、もど――
家に戻ろうと横を見た瞬間、建物の隅からこちらの様子を窺うフレアと目が合ってしまった。
魔法とスクリーンに集中していたせいで全く気づかなかった。
どうする。どうやって誤魔化すか。
「あ、あの」
「……どこから見てた?」
「えっと……手を空に向けるところから」
だいぶ前から見られていたみたいだ。
フレアをじっと見ていると、おどおどとしながら言い訳を言い始める。
「あの、戻ってくるのが遅くて。どこかで寝ちゃってたり、迷ってたりしたら危ないと思って、あの、その……」
「そっか」
これはごまかすのは無理だな。魔法もばっちりみられているし、俺の独り言も聞かれている可能性が高い。
スクリーンだって視界に入っていただろう。
となれば、俺をどのような存在としてフレアに伝えるかが重要だ。
いい人風か、謎の人物風か。月兎は知っているのか知らないのか。俺のスタンスを手早く決めて役を演じ切る。ついでに少しだけ月兎を手伝ってやろう。
スクリーンを消して、俺はフレアへと歩み寄る。
すると、フレアも何か決意したように俺と視線をぶつけ合わせた。
「あなたは誰ですか?」
「僕は月兎だよ」
いたって柔和な笑顔を浮かべ、フレアの問いに答えた。
だがフレアは首を振る。
「違います。あなたは月兎さんじゃありません。月兎さんはそんな笑い方はしません」
「へぇ。いつから入れ替わったと思う?」
「お酒を飲んだ時からでしょうか?」
「正解」
スッと伸ばした指がフレアの顎に触れる。
フレアと月兎の身長はほぼ同じ。少し腰を曲げれば、月兎が見上げる形になる。
目を細くして下から覗き込むようにフレアを見上げ、少しだけ顎を持ち上げさせる。
「じゃあ俺はだれだ」
「もう一人の月兎さん? お婆ちゃんから習いました。人格を二つ持つ人が極稀に存在すると。二重人格というそうですね」
「流石薬師、博識だねぇ。けど惜しい。ちょっとだけ違うな、不正解だ。俺は月兎の別人格じゃない。俺の名はレイギス。月兎とは無関係の人間。完全な別人だ」
「別人」
「月兎には俺のことは言わない方がいいぜ。想像してみろよ。寝ている間に自分とは全く別の奴が体を動かして勝手してるところをさ」
フレアの顔に顔を近づけると、首筋に鳥肌が立っているのが分かった。想像して恐怖したか? 月兎に触れられてではないと思いたい。じゃないとあいつが哀れ過ぎる。
俺が選んだのは、月兎とは別人であり、月兎の知らない存在。そして不気味であること。これを強調することで、フレアから俺が魔法を使っていたという事実の意識を薄くする。
「あんたが黙ってれば、月兎は幸せなまま過ごせる。けどあんたが話せば、月兎は発狂しちまうかもなぁ。よく考えて決めろよ。月兎の未来――あんたに掛かってるぜ薬師様」
「月兎さんに危険はないんですね」
「おうよ。むしろ危ない時には助けてやるさ。俺の体でもあるからな」
「――――分かりました。今日のことは誰にも話しません」
「いい子だ」
俺はフレアの頬に軽く唇を触れさせる。
「俺とフレア、二人だけの秘密だ。じゃ、お休み」
顎から手を放してポンと肩を叩き、フレアを置いて俺は部屋の中へと戻るのだった。
◇
彼の姿が家の角へと消えた後、私はその場にストンと座り込んでしまった。
足が震えている。彼に触れられた顎に残る指の感触が今も掴まれたままのような感覚を残している。
「レイギス……」
彼の名を呟く。
ドクンドクンと今も心臓が高鳴っている。
あれは何だったのだろうか。キスされた頬に軽く触れる。
お婆ちゃんには何度もキスされたことがあったし、村の人にも頬や額にキスしてもらったことはある。けど、あの時の感覚とは全く違っていて、なんだかとても不思議な、恥ずかしいことをされたような感覚だった。
彼が私になにかしたのだろうか。
深呼吸すると、ドキドキは徐々に収まり、足の力も戻ってくる。
「何だったんでしょうか」
もう一度頬に触れてみるが、もう感覚は残っていなかった。