1-3 異世界の恩恵
簡単な挨拶を済ませた僕たちは家へと戻ってきていた。
各家を回った全体的な印象としては、誰も人が良さそうで僕のことをすんなりと受け入れてくれている様子だった。ただ、内心ではどう思われているのか分からないので注意しておけともレイギスには言われてしまった。
フレアが一緒にいたから人当たりよく接してくれただけで、フレアがいなかった場合の反応とはまた変わってくる可能性があるからだとか。
その中でも割と気を許せるかもと判断したのは、最初の筋肉三人組。木こりのバウアーさん、鍛冶師のメイソンさん、猟師のアルメイダさんである。
少し話をしたところ、どうも彼らには脳筋の気がある様な気がするとレイギスは言っていた。
これまでの行動をそのまま受け止め、それを評価の対象とする。
行動の裏側に隠された目的をあまり考えず、現状の自分たちに対する利益で判断するため、未来のことをあまり考えない。
それがレイギスの感じた彼らの印象らしい。
僕としては、そこまで考える必要があるのだろうかとやや疑問が浮かぶが、知らない世界の知らない地域である。一人で海外旅行をする気分で、慎重に動くに越したことはないと言われてしまえば、反論のしようがなかった。
(ともかく今は、この村に馴染むことだ。積極的に係わって行って、月兎がどういう人間かを知ってもらうことを優先するべきだな。幸い、今この村に残ってるってことは、ある程度は他人のために動ける考え方ができる連中だ。月兎への警戒心が無くなれば、他の村人と変わらない扱いを受けることができるはずだ)
(他人と係わるか。頑張ってみる)
友人関係とかは割と普通だと思うけど、ご近所づき合いなんて無いに等しい状態だったからなぁ。少し緊張するけど、頑張って見なくちゃ。
「月兎さん、早速なんですがお願いしてもいいですか?」
フレアは仕事部屋に入り、棚から道具を出しながら聞いてきた。
早速仕事ということだろう。
「うん、なにをすればいいかな?」
「まだ朝の水くみをやっていなくて。裏手にバケツがありますので、川から水を汲んできて欲しいんです」
「どれぐらい運べばいいの?」
「バケツの横に水瓶がありますので、それにいっぱいお願いします」
水瓶いっぱいか。早速重労働になりそうだけど、フレアだって毎日やっていることなんだ。いくら非力な僕でもできなにことはないはず。というか、これができないと本格的に僕が役立たずのごく潰しになる。
「分かった。任せて」
「お願いします」
裏に回り、バケツを手に川へと向かう。
家から三分ほどのところにある川は、この村の全員が使っている貴重な水資源だ。上流で洗濯や洗い物をしていないことを確認してから、僕はバケツの中に水を入れた。
いっぱいになったバケツを持ち上げると、指先にグッと重さが伝わってくる。だが同時にふと違和感を覚えた。
(こんなに軽かったっけ?)
軽いわけではない。だが、掃除の時間に持った水入りのバケツよりも遥かに軽く感じたのだ。
今ならば、これを三杯、五杯持っても軽々と歩けてしまいそうである。
(やっぱりか)
(やっぱり?)
レイギスの言葉に首を傾げる。
(月兎の体はこっちの世界に来て少しだけ変化した。細かい理由は分からねぇが、簡単に言えば月兎の体は魔力の影響を受けて強化されている状態になってるってことだな)
(魔力で強化――じゃあバケツが軽く感じているこれが)
(おうよ。時間があるし少し説明するぞ)
僕がバケツを運ぶ間に、レイギスは後で説明すると言っていた僕が気を失っている間のことを教えてくれた。
それによると、僕が気を失っている間レイギスの意識が強制的に表に出てきて体を動かしていたらしい。それだけでもかなり驚いたのだが、それ以上に驚いたのは僕の体でレイギスが普通に魔法を使えたことだ。
レイギス曰く、この世界の魔法は体内に蓄積された魔力に明確な定義と指数を与え、世界の公式に干渉し改変させる力だと言う。その為、魔力を持たないものは当然魔法は使えないし、その量に応じて使える魔法の規模や威力も変化する。
そして僕の体はその魔力を豊富に蓄えているらしく、レイギスが自身の肉体を使っていた時よりも多くの魔力を保有しているのだとか。
(グロリダリア時代の人間は、魔力の保有量を増やすために人為的に遺伝子をいじっていた。おかげで誰もが魔法を使えたし、それを前提とした都市開発なんかが進められていたわけだが、月兎の体はそんな俺たちを超える魔力量を有している訳だな)
(地球には魔法なんて無かったのに)
(無かったんじゃなくて、法則が違ったんだろ。こっちの世界じゃ魔力が物理に影響を与える法則が設定されていたが、地球じゃそれがなかったってだけの話だ。あるけど意味がないものだったわけだ)
(そっか。じゃあ僕はこっちの世界でなら魔法が使える?)
(どうだろうな)
期待を胸に聞いてみると、レイギスからはあまりいい反応が返ってこなかった。
(どういうこと?)
(まあ試してみるのが早いか。右手を前に出して意識を集中しろ。んで、体内の魔力を誘導して、俺の言葉を繰り返せ)
(ま、まって! 魔力ってどう動かすのさ!?)
(知らん。腕を動かすのはどうやるのって聞かれてどう答えるよ?)
(そういうことか……)
レイギスの反応が芳しくない理由が理解できた。
腕を動かすなんていちいち意識して考えながらやることではない。人が生まれた時から知っている、いや知っていなければならない知識だ。
魔力もこの世界の人たちからすれば、腕と同じということなのだろう。
そこにあるのが分かるのは当然、意識して動かせるのは当たり前であり、考えて行うものではない。元から体に与えられている基礎知識。
僕の体にはそれがない。いわば、プログラムが書き込まれていないのと同義だ。
(やっぱ感知できなかったか)
(うん。レイギスは僕の体を使っていた時、体内の魔力を感じることができたの?)
(おう。入れ替わった瞬間、これまでの習慣からとっさに使える程度にはな)
まさしく、遺伝子レベルで受け継がれてきた能力ということなのだろう。
(じゃあ僕には無理そうだ)
(まあそう落ち込むな。その代りっちゃあなんだが、月兎の身体強化はグロリダリア時代の中でも一級品だ。体の使い方すら覚えりゃ、この世界なら相当な運動や戦闘の達人になれるぜ)
がっくりと肩を落とすが、そんな僕をレイギスが励ましてくれる。
まあ、使えないものは仕方がない。むしろ身体強化だけでも魔力の恩恵を得られていると前向きに考えよう。
この力をちゃんと使えれば、昨日の熊だって単独で倒すことができるかもしれないのだ。それはこの世界でなら、僕はもっと多くの人助けをできることを意味している。
(どうすれば体の使い方を覚えられるかな?)
(自分で動いてみるのが一番だが、戦い方となると誰かに習うのがいいだろうな。あの三人組辺りに頼んでみればいいんじゃないか? 一人旅だし、荒事にも対応できるようになりたいって言やぁ嫌とは言われねぇだろ)
(なるほど。今度聞いてみる)
ちょうど話しに一段落が付いたところで、水くみも最後の往復を終えた。
仕事場へと向かい、フレアにそのことを伝える。
「フレア。水くみ終わったよ」
「もうですか!? 早くて驚いちゃいました。私だと倍以上の時間は掛かっちゃうのに」
「まあ、これでも男だしね」
身体強化のない僕だったら、フレア以上に時間がかかっていたかもしれないけどね。
ちょっとだけズルした気分だけど、女の子に素直に褒めてもらえるのは結構うれしい。
(むっつりだな)
(五月蠅いなぁ。誰もが思う素直な気持ちだよ)
せっかくの気分がぶち壊しだ。
◇
水くみを終えた後は、フレアの薬の調合を手伝ったり、出来た薬を各家庭に配ったり、畑の雑草取りなどをしている間にあっという間に夜、というか夕食の時間になってしまった。
この村の食事は一日二食、朝と夕である。各家庭でそれぞれ作るのではなく、村にある炊事場で主婦の皆さんが食材を持ち寄り、村人全員分を作っているらしい。
もう少し村に人がいたころは、各家庭で作っていたらしいが、今では畑の大きさの問題もあり、収穫できる作物の量にも限界があることから、この方式に切り替わったらしい。
主な主食は育てやすく収穫量がある芋。蒸かし芋がパンやごはんのようにおかずと共に並べられる。
今日のおかずはアルメイダさんが狩猟してきた猪肉と屑野菜のスープだ。
「家の村じゃこんなもんしか作れないんだ。悪いね」
そう言ってスープを配膳してくれるおばさんに、慌てて手を振る。
「そんなことありませんよ。いただけるだけでもありがたいぐらいです。それに、とっても美味しそうじゃないですか」
屑野菜とはいえ、しっかりと煮込まれたスープはブイヨンになっており、たっぷり入っている猪肉のおかげで満足感も凄そうだ。むしろ、食べきれるか不安なぐらいである。
「そう言ってくれると嬉しいねぇ。旦那たちは慣れちまって文句しか言わないからねぇ」
「全くだよ。文句があるなら、もっといい食材持って来いって話だよね」
「あ、アルメイダさんは別よ。あの人の肉の処理はとっても丁寧で、臭みも少ないの」
わいのわいのと盛り上がる奥さん方。
僕が愛想笑いを浮かべていると、突然襟首をつかまれグイッと引っ張られる。
「うわっ」
「月兎、お前はこっちだ。婆に囲まれてちゃ、飯が冷めちまうぞ」
「ははは、助かりました」
(本当に助かったかな?)
(ん? それってどういう――)
レイギスのつぶやきにどういうことか尋ねようとしたとき、僕の目の前に木製のジョッキが差し出される。そこにはなみなみと注がれた泡立つ黄金の液体。
「今日は月兎の歓迎会だ! がっつり飲むぞ!」
(助からないってそう言うことか!?)
そうだよね。ここは異世界「アイナ」なんだ。日本の法律が効力を及ぼすはずもなく、常識も全く違う。アルコールだって僕の年齢なら平然と飲めても当たり前なのかもしれない。
差し出されたジョッキを受け取り、ごくりと喉を鳴らす。
美味しそうだからじゃない。緊張からだ。いたって普通の高校生を過ごしてきた僕にとっては初めてのアルコール。
「「「「(一気! 一気!)」」」」
レイギスも混じってのコールが始まり、全員の視線が僕に集中していた。もはや、断ることなどできる雰囲気ではない。
僕は日本人。空気を読むことに長けた存在。ならばここでやることはただ一つ。
「行きます!」
ジョッキを傾け、流れ込んでくる液体を一気に喉の奥へと落としていく。
ゴクッゴクッと喉を鳴らし、舌に感じる苦みに驚きながらも、僕はそれを一気に飲みほし、空になったジョッキをガツンとテーブルに置いた。
瞬間、野外食堂に歓声が溢れ、次々に肩や背中を叩かれる。
そんな中、僕の意識は朦朧としていた。どうやらこの体は、アルコールをあまり受け付けられない体だったようだ。
「へへ」
ふわふわとした気分の中、僕は最後ににへらッと笑い、テーブルへと突っ伏すのだった。
◇
テーブルへと突っ伏していた体をガバッと勢いよく起こす。
この体はアルコールに弱かったかぁ! けど俺には効かねぇ! いや、体的には効いてんだけど、ちょっとした裏技で!
「プロープテスプリースィオ、セクードサクト」
詠唱を唱え、魔法を発動させるとふらふらしていた意識がはっきりとする。
アルコールに対する抑制魔法を二時間かかる様に発動した。月兎はぐっすり眠っちまってるみたいだし、ここからは俺の時間だ!
「おう、月兎。一発で潰れちまったのかと思ったぜ」
「ハハハ! 俺がこれぐらいで潰れるだと! それはありえん! 太陽が西から昇るほどにありえんぞ!」
「なんか性格変わってねぇか?」
月兎じゃねぇからな! ま、そんなこと今言っても意味がねぇ。
さっさと話題変えて、数千年ぶりの酒だ。思いっきり楽しむぞ!
「酔ってんだ! んなことより、俺に飲ませてお前ら飲まないつもりか!」
「言ってくれるぜ。このバウアー様はこの村一番のうわばみよ! 月兎、勝負と行こうぜ!」
「最強であり天才である俺様の凄さを痛感するがいいわ!」
「「乾杯!」」
再び注がれた黄金を、一気に飲み干しぷはぁッと最高に気持ちのいい息を吐いた。