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プロローグ3

 目を開く。目の前に熊の牙が迫っていた。


「シンティラム・アンスアクト」


 とっさに口から出た言葉は、()にとって懐かしいものだった。

 そして同時に、眼前に迫る牙との間に火花が走り、光に驚いた熊が後ずさる。


「シンティラムウォーレ・アンスカクト」


 その隙を逃さず、続けざまに詠唱を行いながら腕を振るう。

 生み出されたのは、俺と熊を隔てる炎の壁。それを確認して、ホッと息を吐いた。

 おもむろに立ち上がり、ズボンや服に付いた土を掃う。


「ふぅ、とりあえず一分は大丈夫だな。にしても」


 俺は自身の腕――正確に言えば自分の動かしている月兎の腕を見下ろす。

 指を広げ、閉じ、また広げ、何度か確認するように動かした後、心の底から笑いがこみ上げてきた。


「ククッ、まさかこんなことになるとは予想外だったな」


 今動かしているのは、紛れもなく月兎の体だ。その体を乗っ取る形で俺の意識が自由に動かしている。

 理由はいくつか考えられるが、一番可能性が高いのは月兎の意識が落ちたからだろう。

 意識が二つある状態で、どちらかが落ちれば裏にあった意識が表へと強制的に出てきてしまう。そんなところだろう。過去の論文の中にも同じような検証結果が乗っていたはずだ。

 であるならば、現状は急がなければならない。

 月兎の体は俺が感じている痛みを鑑みるに、一時的に意識を落としているだけだろう。熊に殴られたことで、これまでにない痛みの経験から強制的に意識をシャットダウンした可能性が高い。継続的なダメージが発生していない今、月兎の意識が再び覚醒する可能性がある。

 その場合、あくまでもこの体の主人は月兎であり、間借りしているだけの俺の意識はすぐにまた奥へと戻されることになるだろうことは想像に難くない。


「とりあえず肉体の修復と熊の処理だな」


 炎の壁の向こうには、尚も敵意を燃やす熊の姿があった。どうやら、炎を見て諦める気はないようだ。そういえば熊は炎にもあまり怯えないらしいな。


「コンバイルセット・アンスぺス」


 治療の詠唱を唱え、肉体の修復を行う。体力の消費は回復できないが、痛みがなくなるだけでも肉体が感じる苦痛はだいぶ軽減される。

 そして熊を退治するための詠唱を唱える。


「トルポール・クウィエインペリウム」


 手の中に生み出されたのは、青く輝きスパークを放つ雷の球。過去の俺も愛用していた魔法の一つだ。それを炎の壁の向こうにいる熊へと向ける。

 雷球から誘導されるように雷が放たれ、熊の足もとへと落ちた。

 土を跳ね上げた雷に驚いた熊がさらに後退する。だが引く様子はない。


「ここまでやっても逃げねぇのかよ。なら仕方ねぇな」


 悠長にしている時間はない。ここで逃げるならば見逃そうとも考えていたが、逃げないのであれば月兎が目覚める前に安全を確保するため殺すしかない。


「行け!」


 バチンッとはじけるような音と共に、今度は数本の雷光が走る。

 放たれた雷光は熊の鼻先へと直撃した。

 感電した熊がビクンッと大きく体を跳ねさせると、体から煙を上げその場へと倒れ込む。

 感電の余波で筋肉が痙攣しビクビクと小刻みに振るえる熊の命は、一瞬のうちに刈り取られていた。


「これで良し」


 雷球を解除し、俺は木の根元へと座り込む。すでに眠気が襲ってきていた。これが月兎の目覚める合図なのだろう。お互いの意識が落ちた状態でなければ、意識の交代が起きないのかもしれない。この辺りも要検証か。

 まあともかく――


「ギリギリ間に合ったな。にしても、月兎の奴、いい体持ってるじゃねぇか」


 非力なんてとんでもない。

 過去の自分すら凌駕する魔力に、それを使った身体強化。

 使い方さえ学べば、この世界でも有数の実力者になれるだけのスペックは備えている。


「そうだよな。三時間も四時間も歩いた後に全力で熊を追える体力なんざ、こんなひょろい体にあるはずがねぇ。すでに片りんは見えてたのか。俺としたことが見落としてたな。あー、でも魔法は微妙だな。感覚を理解できねぇかもしれねぇ」


俺は抗えない眠気に襲われながら、月兎の成長プランを考え瞼を閉じるのだった。


   ◇


「うっ……」


 グラグラと体が揺れる感覚に、()は意識を覚醒させた。

 目を開けると、目の前に逃がしたはずの女の子がいる。


「良かった。無事だったんですね!」

「君は……! なんでもどってきたの!?」


 僕は自分がなぜ気を失っているのかを思い出し、慌てて立ち上がると周囲を見渡した。

 驚く様子の女の子の背後に熊の姿を見てさらに慌てるが、その熊が四肢を投げ出したままピクリとも動かないことに首を傾げた。

 そこにレイギスの声が響く。


(簡単に説明すんぞ。熊は俺がお前の体を使って倒した。その子は心配になって戻ってきたみたいだ。詳しいことは後で説明するから、今は俺に合わせてその子に対応しろ)

(わ、分かった)


 何が起きているのか全く分からないが、心の中で頷き改めて女の子に向き直る。

 女の子は戻ってきたことを僕に怒られ、居心地悪そうに視線を左右へと向けていた。


「あ、あの。私どうしても心配で」

「こっちこそ突然怒鳴ってごめん」

「いえ。それよりもあの熊は――あなたが倒したんですか?」

(そうだって答えとけ。具体的にはぼかしてな)

「うん。無我夢中だったからよく覚えてないけど」


 僕はレイギスから入るアドバイスをもとに、あの熊に奇襲で襲い掛かり、偶然急所を攻撃できて運よく倒すことができたということにした。

 本当は奇襲に失敗してぶん殴られたんだけど。

 そう説明すると、女の子は勢いよく頭を下げる。


「ありがとうございました。あなたのおかげで、私は生き残ることができました。もしあの時、あなたが助けに入ってくれなければ、私は今頃あの熊の餌になっていたと思います。良ければお名前を聞かせていただけませんか?」

「僕は月兎。君は?」

「私はフレアと言います。この近くの村で薬師の見習いをさせてもらっています」

「この近くに村があるの!?」


 フレアがこんな場所にいるのだから、考えてみれば当然のことであるのだが、今の僕にとってはそれが最も重要なことだった。


「あ、はい。ここからなら数カクト歩けばつく距離ですけど。そういえば月兎さんはなぜこんな早朝から森の中に? 見たところ旅のようにも見えませんが」


 持ち物なんて何もない。ただ着の身着のままで森の中をさ迷い歩いていたのだから、フレアが首を傾げるのも当然だろう。

 僕はとっさに何か言い訳を考えようとして、レイギスからアドバイスを受ける。


(遺跡の調査中に転移事故で飛ばされたことにしておけ。月兎は服装も独特だからな。遠い国の方が違和感は少ないし言い訳も思いつきやすい)

「遺跡を調べている際に遺跡が起動してどこかに飛ばされたみたいなんだ。見ての通り、その時に荷物も全て置いてきちゃったみたいで」


 両手を広げて何も持っていないことをアピールすると、フレアは「でしたら」と声を張る。


「この近くに私の暮らしている村があるんです。そこに来ませんか? 助けていただいたお礼もしたいですし、怪我の治療も必要だと思いますし」

「この近くに村が? それは助かります」


 歩き、走り、恐怖に晒されて心身共にへとへとだったが、すぐさま村へ向かおうと立ち上がる。だがフレアが少し照れたように頬を染めながら待ったをかけた。


「あ、あの。良かったらあの熊の素材を持ち帰ってもいいでしょうか? 熊胆は良い薬になりますので」

「それぐらい全然かまわないけど道具はあるの?」

「はい、解体用のナイフは持ち歩いていますので」


 フレアが背負っていたカバンから刃渡り三十センチは優に超える大型のナイフがキラリと姿を見せる。その迫力に思わずゴクリと唾をのむと、心の方から(やべっ)と声が聞こえてきた。

 何がヤバいのだろうと思うと、レイギスから焦った様な返答があった。


(あの熊殺すのに魔法を使ったんだ。たぶん、感電させて殺してるから内臓は使い物にならないはずだ)

「え、魔法? どういうこと?」


 そもそもレイギスが倒したっていう状態すら良く分からないんだけど、もしかして意識のない間に僕の体をレイギスが操ってたってこと?

 その間にもフレアは熊へと歩みより、ふと立ち止まった。


「あれ? お肉の焼ける匂い?」


 フレアはスンスンと匂いを嗅ぎ、この辺りではありえないだろう肉の焼ける匂いに首を傾げていた。


(簡単に説明すると、お前の体でも俺は魔法を使えた。それで倒したんだ。あの子への理由は――そうだな、使い捨ての魔導具ってことにしておけ。遺跡探索するならそれぐらい持っていても不思議じゃないだろ)

「わ、分かった」


 僕が説明を受けている間に、フレアは熊の腹を切って内臓を確認している。そして少しすると、ナイフをしまって何も取らずに戻ってきた。

 どうやらレイギスのいう通り、内臓も使い物にならない状態だったようだ。


「月兎さん、あの熊すこし火が通っちゃっているみたいなんですけど」

「使い捨ての魔導具を使ったんだけど、熊胆はダメになっちゃってた?」

「そうですね。生のまま処理しないと効果は発揮しませんので。残念です」

「ごめんね。もう少しうまく倒せればよかったんだけど」


 僕が申し訳なさそうにすると、フレアは慌てて手をわたわたと震わせる。


「そんな! 生きることが優先ですから、月兎さんは何も間違ったことはしていませんよ! 私こそ、変なこと言ってすみません」

「じゃあお相子ってことにしようか」

「そうですね。じゃあ村に行きましょう。怪我とか本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫。もうほとんど痛みもないよ」


 全力疾走に怪我。本来ならば、そんなことはあり得ないはずだが、その時の僕は気づかずにフレアの後ろについて村へと案内してもらうのだった。


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