94 幸せなヨルヤ
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グロワ砦のある岩山の麓の森でファーロラーゼ公の遺体は見つかった。喉を一太刀にされた上に身ぐるみを剥がされて、見るも無残な姿だったという。現場に残された足跡の数と、一緒に逃げたはずのエンハスの遺体がなかったことから、公爵は子飼いの暗殺者に裏切られたということがわかった。
厚手の布でぐるぐる巻きにされた祖父を見て、ヨルヤは小さく「お祖父さま……」と呟いた。
ふたりが本当はどんな関係だったのか、スレンにはわからない。聖女であり続けることはヨルヤの本望ではなかっただろう。しかし、本当に恨んでいたらそんな悲しげな目をするだろうか。
家族だから、か?
スレンは黄昏の森の賢狼を思い出す。ズウラが死んでしまったら悲しいけれど、スレンとズウラの関係と、ヨルヤと公爵の関係はまったく違うものだ。家族であれば、理不尽に利用されていたとしても、自らの愛を裏切られ続けたとしても、そんなにも憐れむことができるものなのだろうか。
スレンにはヨルヤの気持ちが分からなかった。だから、声をかけることができなかったかわりに、強く手を握ったのだ。
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ふたりは無事、王都ラミアンに帰還する。
王城の豪奢な門が開けられるとミルレットが、迎えの兵士や騎士よりも疾く飛び出してきてヨルヤを抱きしめた。
「ヨルヤ!」
何度もヨルヤの名を呼び、これが夢ではないことを確かめるミルレット。彼女はスレンよりもずっと長くヨルヤと言葉を交わせていない。待つことしかできないというのも辛かっただろう。目尻に浮かべた涙がそれを物語っていた。
野暮という言葉をスレンが知っていたかどうかはわからないけれど、せっかくの再会の邪魔をするのは気が引けたのだろう、スレンはふたりを置いて先に王城へ入ろうとした。だがそんなスレンの背中にミルレットの声が投げかけられた。
「スレン、貴方の叙任式は五日後よ。あと、これはヨルヤもだけれど、大切な話があるから後でわたくしの部屋へきてちょうだい」
なんだろう、とスレンとヨルヤは目を合わせて首を傾げた。
汗と血と泥で汚れた身体を清め、用意された部屋にて用意された服に着替えたらミルレットの部屋へと向かう。普通なら一日は休養に時間を当てるだろうに、それほど重大なことなのだろうかと、スレンは勘ぐりながら廊下を歩いた。けれど思い当たる節はなくて、疑念は募るばかり。
おれとヨルヤに関係あることってなんだ。結社? それとも特別な魔法が使えるってことで、神殿から文句が飛んできてるとかだろうか。
などと考えを巡らせていると、いつの間にかミルレットの部屋の前に着いていた。
やたら豪勢な扉を叩くと王女の声で入室の許可が下りる。本当は男が入ることは好ましくないのだけれど、特別な人払いはされないので問題ないらしい。やがてヨルヤも到着し、懐かしい顔ぶれが出揃ったところでミルレットが話を切り出した。
「さて、まずヨルヤね。王都へ戻る際、アカデミーの理事長先生から預かったものなのだけれど、貴女に返すわ」
ミルレットから一通の書簡を受け取ったヨルヤ。見覚えがあったようで、ヨルヤは封も切らずにその場で破り捨てた。
「え、それは? 手紙なんじゃないの?」
「それはヨルヤの退学届よ。受理するのはまだ待って欲しいと、頼んでおいたのよ」
スレンは思わず目を見張った。ミルレットとて、ただ待っていたわけではなかったのだ。彼女は彼女なりに、ヨルヤのためにできることをしていたらしい。
「ありがとう、ミルレット」
蕾が花開くような笑顔を見せたヨルヤに、ミルレットは肩をすくめて忠告した。
「あら、わかっているのかしら。これからが大変なのよ。でも、まあ、貴女なら問題ないか。問題があるのはスレン、貴方のほうよ」
途中で矛先を変えた忠告に、完全に油断していたスレンは驚いて目を丸くした。
「わかっているのかしら。貴方たちが欠席していた間もアカデミーではいつもどおり授業が行われていたの」
「はあ」
まあそれはそうだろうと頷くスレンはまだことの重大さを理解できていない。対してヨルヤはミルレットの言いたいことを察したようだ。
「冬が明ければ試験があるのだけれど、その試験の成績如何で進級できるかどうかがきまるのよ」
「試験って、水晶に魔力を流すあれのこと?」
アカデミーの進級が年度末に実施される試験の成績のみできまるわけではない。お貴族様の学校とあれば出席状況や授業態度などはほとんど加味されないが、試験が年度末の一回だけということはない。長期休暇の前にも試験があるし、夏期休暇の後には職場実習だってある。だが今までスレンが受けた試験は編入試験ただひとつだった。
「なにそれ? そんなわけないでしょう。後期の授業で学んだ全部が試験範囲よ」
「え、ちょっとまって、どういうこと? 試験ってなに?」
そもそも試験という言葉の意味に食い違いがあると察したスレン。徐々に焦りを帯びるスレンにミルレットはなぜか満足げな笑顔を浮かべた。
「試験というのは、次の段階に進めるかどうかを確認するためのものよ。だから今まで学んだことができなければ、当然先には進めないわ」
「だっておれ、ずっとアカデミーには行けてなくて……」
スレンの言い訳にミルレットの顔から笑みが消える。
「それは貴方の都合でしょう?」
さすがのスレンでも「ヨルヤを助けるためなのに」とは言えなかった。そんな健気な心遣いに気づきつつもミルレットは厳しい現実を突きつけざるを得ない。大切な親友のために戦ってくれた友に「貴方の都合でしょう」だなんて平気な顔をして言えるものか。ミルレットの心もまたひどく傷ついていた。
だが、そんな気まずい雰囲気のなか、やけに朗らかな声が木霊する。
「大丈夫よスレン。私がまたみてあげるから」
聖女か。まるでヨルヤに後光がさしているかのように目を細めるスレン。その目尻には大げさにも涙がうっすらと滲んでいる。
自室だというのに、すっかりスレンとヨルヤだけの空気になってしまったこの状況に頬を引きつらせたミルレットは、窓際に控えていた護衛騎士を見やる。騎士は、勘弁してくださいと言わんばかりに首を振ってみせた。




