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90 グロワ砦

「見えたわ、あれよ」


 スレンたち捜索隊がグロワ砦に到着した時、しとしとと小雨が木々を濡らしていた。フードの裾から滴る水滴が、砦を見上げたスレンの鼻先を打った。

 鈍色の険しい岩山に佇む石造りの塔や壁には、緑がへばりつくように逞しく育っており、ここが長い間放置されてきたことを物語っている。ところどころ崩れていたり、亀裂が入っていたりで、ずいぶんと荒れ果てているようだ。盗賊でもなければ、好き好んでこの場所を拠点に選ぶことはないだろう。


「ここにいるのか」


 下から見上げる限り、人影はない。しかし実際に犠牲者が出ている以上、油断は禁物だ。スレンたちは下馬し、白む息を殺しながら砦門を目指した。


 グロワ砦は大きな拠点ではない。過去、いくつかの政変時に使用されてきたとはいえ、所詮、元は農民反乱の鎮圧のために建造された数ある砦のうちのひとつに過ぎない。収容人数もよくて三百名が限度。補給がないことを考えれば、維持できる兵力はさらに少なくなるだろう。それでも捜索隊の総数よりも多いことは間違いない。だが捜索隊にはスレンがいる。戦力は圧倒しているはずだ。とはいえもちろん、ヨルヤ・ファーロラーゼという弱みを握られている以上、極大魔法でもろとも吹き飛ばすような乱暴な真似はできない。そうできたらどれだけ楽なことか。そう思っている騎士たちも少なくないはずだが。


 砦門を望む茂みに身をひそめるスレンたち。


「見張りは四名のようだ」


 門の前に立っている二名の騎士。サーコートの色は真紅。セレベセスを象徴する色だ。櫓の上にも二名の弓兵が周囲を警戒していた。


「おれが……」


 思わず勇み立つスレンの肩に手がかけられる。


「気持ちはわからなくもないが、あまり気張りすぎるものではない」


 スレンを制止したのはマルルダ伯爵だった。


「でもっ」

「いくら其方が強かろうと、そう鼻息荒くしていては最後まで持たぬぞ。まあ見ていなさい」


 マルルダ伯爵が片手を上げると、弓を携えた八名の兵士が前列に並んだ。


 同じ遠隔攻撃でも、弓と魔法ではその運用方法にかなりの違いがある。最大の違いは、魔道師は攻撃だけではなく防壁による防御も可能であるという点。また攻撃面においても両者には大きな差異がある。運用上で最も大きな違いは、弓兵は魔道師と違い数を揃えることが可能であるということだ。そのため、一斉射による攻撃は大軍の進撃をも阻むことができる。遮蔽物越しに曲射できるのも強みだろう。練達すれば命中精度は跳ね上がり、矢速は魔法のそれよりも速い。対して魔法は、弓矢に比べれば射速は劣るが、魔道師であれば誰でも練達した弓兵以上の命中精度を実現することができる。というのも自分の魔力を自分の力で飛ばすからだ。もっとも、術者が認識できない速度で飛ばしたり、管理できないほどの本数を飛ばすとなればその限りではない。ならば弓で良いわけで。だから一般的に魔法は、弓よりも速度が遅く、命中精度が良いとされている。では、練達した弓兵がいれば魔道師は不要なのかというとそういうわけでもない。それはあくまでも射出する系統の魔法に限っての話だ。広範囲を火炎で燃やし尽くしたり、地面から石槍を生やしたりするのは魔法の専売特許といえるだろう。例えば、弓兵だけではどれだけ集まろうと攻城兵器を止めることは難しいが、魔道師ならばたったひとりで粉砕することが可能だ。


 そして今回、マルルダ伯爵が門兵の排除に選んだのは弓兵だった。理由は、ある程度距離があること、そのために速度が必要であること。そして練達した弓兵が揃っていたこと。この三点だ。


「遠いが平気か?」

「ええ、問題ありません」


 頼もしい返事をよこして矢を番える兵士たち。筋骨隆々の右腕が、ギリギリと弦を引き絞る。リーダーの合図によって放たれた八本の矢は、見事に門兵に突き刺さり、眼前の脅威は排除された。かのように思われた。しかし――


 カンカンカンカン!


 突如鳴り響く警鐘。遠巻きに見てもわかるほどグロワ砦が慌ただしさを増しだした。


「チッ! やむおえん。走るぞ!」

「よろしいのですか!?」

「門が閉められるよりましだろう」


 本当は秘密裏に侵入し、出来る限り奥で到達した後に混乱を引き起こせられれば良かった。だが、すでにその策は失ってしまった。

 マルルダ伯爵はスレンに向き直り、「頼むぞ」と激を飛ばした。


「はい!」


 砦門をくぐると玄関前の広場には三十名ほどの騎士、魔道師、兵士の混成部隊が集結していた。しっかりと隊列を組み、すでに臨戦態勢だ。だがマルルダ伯爵は眉をひそめた。


「妙な陣形だな。まるで何かに怯えているようだ」


 敵隊列の前には何本もの杭が地面に突き立てられ、盾を形成している。兵士たちはその後ろに隠れ、迎え撃つ構えのようだ。だが、あまりにも消極的な姿勢は、マルルダ伯爵の目には及び腰に見えた。

 対してスレンは、彼らが何を警戒しているのか瞬時に悟っていた。それはもう、何度も同じ手で仲間を失えば対策も講じるだろう。通常、対魔法戦闘は魔道師の詠唱を聞いて、魔法の種類や規模を判断し、適切な対処をとるというものだ。だがスレンにそのノウハウはまったく通用しない。瞬時に、一切の予兆なく、魔法が発動するのだ。無詠唱とは斯くも厄介なものであるが、氷柱だけなら盾を置くだけで対処できる。


 ――なんて思ってるんだろうか。


 スレンは水属性の魔力を集める。集める場所は掌ではない。敵隊列の上空だ。そして一気に氷結させ、無数の氷柱を形成。敵の頭上に無数の氷柱が降り注いだ。

 ――が、手応えはない。悲鳴はおろか、呻き声のひとつも聞こえてこなかった。


 そっちも対策済み、か。


 詠唱が無いなら予め展開しておけば良いということなのだろう。防壁に弾かれた氷柱の破片がスレンの足元に転がった。


 あの時と同じだ……。


 この場にヨルヤがいるのかわからない以上、この砦を破壊することはできない。だから人間にしか害のないような魔法を使うしかなかった。だがそれすら封じられてしまった。これがエルベストルの時の自分なら、きっと為す術もなく、アターシアとアキュナの足手まといになっていただろう。けれど今は違う。


「伯爵!」


 スレンは叫ぶ。その声にハッとしたマルルダ伯爵。本当はもっと奥まで入り込み、腸を食い破るように暴れまわってやろうと思っていた。だがこうなってしまっては仕方がない。マルルダ伯爵はスレンの要請に呼応するように怒号を上げた。


「かかれえええええええええええええええええ!!」


 伯爵の号令とともにスレンは跳躍する。後列にて備えていた敵魔道師からはスレンが一瞬消えたように見えただろう。仲間の肩越しにチラチラいとしか見えていなかった上に、目も鍛えていないのだから当然だ。


「上だ!」


 しかし反応していた仲間の声によって魔道師の男もスレンを捉えなおす。


「馬鹿め! まだ防壁は有効だ!」


 何もできずに弾き飛ばされるだけだと確信しただろう。しかしそうはならなかった。男は肩に違和感を感じる。何をされたかは一瞬で理解できた。


「剣だと?!?!?!」


 剣身の細い刺突剣ならば確かに暴風の影響を受けにくい。風の防壁を抜く難易度もロングソードでするよりも下がるだろう。だが、スレンが剣を持っていることなど知らされた情報にはなかった。ましてや、一息で間合いを詰め、自分たちの頭上に躍り出るなんて! 


 動揺した魔道師は事もあろうに防壁の維持を乱してしまう。魔道師の肩に着地したスレンは、今度こそ敵部隊の中心で氷柱の雨を降らせたのだった。


 スレンの攻撃で半数近くの敵兵士が戦闘不能に陥った。前衛も捜索隊の突撃によりすでに瓦解している。アプローチでの勝敗はすでに決したかのように見えた。


 だが、側面から百を超える増援が突如現れた。包囲される形となった捜索隊。形成はいっきに逆転した。


「そんなもの!」


 だがそれはスレンがいなければの話だ。スレンは両手に火属性の魔力を集める。そして敵増援部隊を焼き払おうとしたその瞬間、


「スレン!」


 と、頭上から怒声が降った。

 スレンが咄嗟に見上げると、砦の塔の上にジフ・ベルディアージの姿があった。ジフはスレンが自分を見つけたのを確認するとすぐにマントを翻し、姿を消した。逃がすものかと、咄嗟に足に魔力を集中させるスレン。だがここは戦場真っ只中。スレンがジフに抱いたのと同じように、逃がすものかと息巻く騎士のロングソードがスレンを捉えた。


 ギイイン!


「行きたまえ!」


 騎士の剣を弾いたのはスレンのところまで突貫してきたマルルダ伯爵だった。


「で、でも!」

「なあに、行きがけに軽く一発、敵後方に落としてくれればいいさ」


 不敵に笑うマルルダ伯爵。視線を上げると懸命に剣を振るうアキュナの姿が。後方に防壁を展開していたアターシアとは目が合った。飛び交う怒号に邪魔をされて、声は届かないだろう。だが、肩越しに振り返ったアターシアもまた深く頷いて見せた。行きなさい、と。



 スレンは跳ぶ。風の防壁を一段、二段と蹴って。上昇気流がマントを翻す。裾から覗くグリーヴはこのときのためのものだ。


 スレンの放った火炎が敵増援を包み込む。立ち昇った火柱は一瞬で霧散したが、すでに上空にスレンの姿はなかった。

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