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88 師匠からの贈り物

 ノカの街が襲われたという話しを聞いた時、スレンはマルルダ伯爵とともにセレベセスを訪れていた。もちろんファーロラーゼ公爵を追ってのことだが、セレベセス城には公爵どころか公爵夫人すらおらず、いたのは城を維持するために残されたわずかな使用人たちのみ。城と市内をくまなく捜索するが、手がかりは見つからず、南進するか、西進するかを決めあぐねていたところに飛び込んできた吉報だった。

 吉報と称するのはあまりにも心無いことだが、「何ということだ」という嘆きのなかに、多少の喜びが混じっていたのも事実だった。


 捜索隊は南進を決める。セレベセスから南に進めばアニムに到着する。そこで補給を済ませ、西へ。

 情報を受け取ってから五日目。スレンたちがノカい到着した時、災禍の炎はすでに沈下していた。多数の全焼した家屋。石造りとはいえ、柱や梁が焼け落ち、倒壊したものも多い。死傷者も千人にのぼり、ノカの街は悲しみに暮れていた。


 スレンたちが立ち入って話しを聞いたところ、死傷者の多くは火災ではなく殺傷による犠牲者だった。実際の殺害数は不明だが、灰色の髪の青年ノアに関する目撃証言が圧倒的に多数を締めていた。


「騎士団は何をしていたのだ!」


 もぬけの殻と化した騎士団の詰め所で、マルルダ伯爵は怒鳴り声を上げた。

 死傷者の中には騎士の姿もあった。その数十三名。ジヤン街道の戦いのために出兵した騎士を除くすべてだった。


「内地都市の騎士団は腑抜け揃いか!」


 死者に暴言を吐くなど好ましいことではないが、この惨状を見れば嘆きたくもなるだろう。市民の盾たる騎士がその役目を果たせていないのだから。いや、如何に敗走中とはいえあの豪将ファーロラーゼ公爵が相手では分が悪いか。こんなことで怒りは収まらないが、現実である以上納得せざるを得ない。


「襲われてもう五日だぞ。他に都市や村落が襲われたという情報は入っていないのか?」


 傍に控えている騎士に尋ねるが、困ったふうに首を振るだけだ。だがそれならそれで考えようがある。


「ならばこの近くに拠点を構えているのだろう。洞窟か使われなくなった砦か。南部の盗賊はいなくなったのだろう? ならばそいつらが使っていたアジトが空いているはずだ」


 マルルダ伯爵はすぐさま情報収集に散っていた部隊に集結を命じた。



 マルルダ伯爵が編成した捜索部隊は五十名足らずだった。異教の魔道師として異端を気にすることなく無類の暴力を存分に発揮できるスレンが帯同しているのだ。たとえファーロラーゼ公爵が軍を再結成させようとも、数千程度の軍勢では――いや、万を揃えたところでこちらの戦力が劣るということはないだろう。むしろ多すぎる人員は補給の点で問題を抱えることになるし、足も遅い。王都ラミアンから辺境のノカまでたった五日で行軍できたのも少数ゆえの功だ。


 そんな少数精鋭の捜索部隊にアターシアの姿もあった。スレンが参加するからといって、彼女もそうしなければならないことはない。逃亡していた時とは事情が違うのだから。スレンも、アターシアの同道を願ったわけではない。むしろ今まで迷惑をかけた分、今回こそ安全な後方で朗報を待っていて欲しかったくらいだ。ではなぜアターシアが荒廃したノカの街にいるのか。それは彼女が志願したからだ。


 彼女の志願を聞いたマルルダ伯爵は当初、本当に良いのかと疑問に思ったものだ。護衛騎士アキュナとともに幾度となくフィールドワークを繰り返してきたアターシアは、研究者としてのみならず魔道師としてもかなりの練達。同年代でも相当の腕利きだ。だからこそその研究指向を残念がられているのだが。それにジフ・ベルディアージとの交戦経験もある。捜索隊に参加してくれれば、心強い味方となってくれるだろう。


「本当に構わないのかね。すでに其方が危険を冒す必要はないのだが」

「私には義務があります」

「義務?」

「異端者と成り果てた我が師、ヘズモントの最後を見届けたいのです」


 それが、マルルダ伯爵との面談で彼女の告げた答えだった。


 当然それは真っ赤な嘘である。

 ノカの瓦礫のなか、彼女が血眼になって探しているのはヘズモントの研究の痕跡。ただそれだけだった。もちろん手がかりなどありはしない。ただ闇雲に探し回るだけだ。だから、怪しげな魔法研究室を発見したという報告を耳にした時、彼女は歓喜に包まれた。


「いやあ、其方が同行していてくれて助かった」


 当然ながら捜索隊に加わっている研究職の魔道師はアターシアひとり。怪しげな研究室とやらの検分は彼女に任されることになる。アターシアは大手を振って研究資料に目を通せるというわけだ。異端審問官の派遣を待つ? これがヘズモントの研究室なら、これから行く先で戦闘になった時、例の赤子の化け物が――あるいはその完成形の魔人とやらが投入されるかもしれないのに? エルベストルの廃城で起こった出来事を話せば、マルルダ伯爵の方から検分の必要性を説いてくれた。アターシアにとってこんなにありがたいことはない。


「何かわかったかね」


 アターシアの眺める資料を横から覗き込みながらマルルダ伯爵が尋ねてきた。


「そうですね……やはりここは彼の研究室のようです。とりわけ人体に関する研究をしていたようです。ほら、資料にも挿絵が」


 だがこれはいうなれば二次資料だ。ヘズモントが研究するための一次資料がない。


「――だから、きっとどこかにこの資料の作成に使った資料があると思うんです」

「資料?」

「ああ、つまり解剖された人体。あるいは人体を解剖するための部屋ですね」


 なるほどと頷く伯爵。だが彼は理解していなかった。魔人の研究をしていたヘズモントが求めていたのは生命属性の魔力。そして生命属性の魔力は死体には宿らない。つまり、ヘズモントの研究の犠牲者は、生きながらにして解剖されたということ。


 アターシアの読みどおり、研究室の地下には実験室があって、そこには放置された死体がいくつか腐乱した状態で遺棄されていた。


「これは酷いな、まるで拷問の後だ」


 そう、まさに拷問だったろう。手足を固定され、開胸される。どれだけ叫んでもその声は分厚い鉄の扉より外に漏れることはない。


 アターシアは足元に紙切れが落ちているのを見つけ、拾い上げた。そこには各属性の記号が描かれており、その下に○とか×とかが書かれていた。


「それは?」

「さあ、どういう意味でしょうか」


 多くの属性が×や△のなか、火属性だけに○印がつけられている。火属性だと都合がいいことがあるのだろうか。アターシアは転がっている死体に目を向けた。そして切開されている胸部を注視する。


「これは……」

「焦げ跡ですね」


 マルルダ伯爵も気づいたようだ。臓器が腐ってカビが生えているだ胸部だが、よく見ると半分近くが黒く焦げ付いている。


「死者への冒涜ではないか……異端者め……!」


 憤る伯爵。だがその横でアターシアは、その胸部が示す内容に大きく目を見張っていた。


 これは人体における魔力の分布図だ。分かり辛いが身体の中央部分は全く焦げていない。そこだけ燃えなかったということだ。つまり炎から身を護るだけの魔力があったことを示している。

 生命属性の魔力を宿す人間の身体。しかし満遍なく魔力が広がっているわけではない。濃い場所、薄い場所がある。魔道師は幼い頃の魔力操作の鍛錬で自分なりのイメージをもつようになるが、誰も具体的で一般的なことを知ることはできなかった。それは知る方法がなかったという側面もあるが、実際は、知る必要がなかったというところが大きい。魔道師は戦力たり得ていればそれでよかったからだ。

 だから、この死体の示す真実も、おそらくほとんどの魔道師には評価されないことだろう。しかし魔力の真実を追い求めているアターシアにとっては、何より嬉しい師匠からの贈り物だったのだ。

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