84 謁見
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たったひとりで二十万の軍勢を撃退してみせる怪物を、誰が蔑ろにできるものか。
マルルダ伯爵はそう思った。だが、戦場を見ていなかった者たちは存外その限りでなく、謁見の間にて跪くスレンには冷ややかな視線を向ける者も多かった。
そんななか、玉座に座る父に寄り添うミルレットは複雑な心持ちだった。ぎりぎりだがなんとか間に合った時は心の底から安堵した。だが城内のこの異様な雰囲気は何だ。たしかにスレンの魔法は味方でさえ震え上がるような代物だが、それにしてもまるで汚らわしいものを見るような諸侯らの視線は何だ。なかには純粋に恐れを示すものもいるが、それは騎士系の貴族に多く見受けられた。自分の父はどうだろうかと、ミルレットは横目で覗き込んでみる。が、流石は一国の王というべきか、権謀術数張り巡らされた王宮で生き抜いてきたというのは伊達ではないらしい。貼り付けられたような無表情の裏に隠されている感情を、ミルレットは何も読み取ることはできなかった。
「この度は、遅れて参上いたしましたことを、深くお詫び申し上げます」
事前に入念な入れ知恵により無事に定型文を述べきるスレン。
「…………よい」
許しを得られたと安堵し、嬉々として頭を上げかけたスレン。隣で跪くアターシアに押さえつけられた頭越しにシフォニ王の言葉を聞いた。
「それよりも此度の戦いぶり、誠に大義であった」
「畏れ多きお言葉、痛み入ります」
「……ふむ。遅参の理由はミルレットから聞いた。故に其方らを咎めはせぬ――が、ひとつ、問うておかねばならぬことがある。顔をあげよ」
何を聞かれるのか。スレンは何も考えていなかったが、保護者であるアターシアは代わりに回答するということで背筋を凍らせていた。というのも思い当たる節が多すぎるからだ。
「其方のその魔法は異端か?」
想定済みの問いに胸をなでおろしたアターシアは、頭を下げたまま会話に割って入った。
「国王陛下、発言をお許しください」
「其方は?」
「はい。わたくしはスレンの後見人、アターシア・モールでございます。アニムのアカデミーにて研究職についております。師は……ヘズモント・レンネタークにございます」
できるならば出したくはない名前だ。だが公式な場で魔道師として名乗る以上、誰に師事しているかを言い表すのは当然の作法。それに隠し立てすれば逆に怪しまれてしまう。幸いにもヘズモントの裏切りは宮廷に認知されていないようで、その部分に突っかかる者は誰もいなかった。
「許可する。顔をあげよ」
「はっ。わたくしがスレンの師ではなく後見人と申し上げたのは、わたくしがスレンを見つけた際、すでに彼が魔法を習得していたからなのです。魔法と言いましたが、彼の魔法は我々の魔法とは様式が違うものであり、異端かという陛下の問にお答えするのであれば、それは異端ではなく異教というのが正確かと存じ上げます」
「ふむ、異教とな。それはボアンドラ地方に伝わるルーテ教か、それとも遥か西はオズマニカに伝わる何がしかの宗教か」
「はい。いいえ陛下。そのどちらでもございません。スレンはオズミア山脈の大森林の奥深くで暮らしていたようです。私が発見した際には、王国の存在すら知らない様子でした」
「そうか。であれば、アーグ教の異端審問による裁きは不当に当たるな?」
シフォニ王の視線の先には年老いた神官が二名。歯がゆそうにしているが、彼らはスレンを異端審問にかけたかったのだろうか。だがシフォニ王が軍事力という実利をとったせいで彼らの面子は丸つぶれだ。
「……そのようで」
「ならばよい」
神殿を敵にして、陛下はちゃんと保護してくれるんでしょうね……
憎らしげにスレンを睨みつける神官たちを他所に、非常に機嫌が良さそうなシフォニ王。両者に板挟みにされ、アターシアは生きた心地がしなかった。
アターシアに向き直ったシフォニ王は続ける。
「ではこれからの話しをするとしよう。スレンよ、其方には壊走したイニピア王国軍の追撃隊の先鋒を担ってもらうぞ」
スレンにとってイニピア王国などどうでもいい存在だった。彼の国の兵士が何人死のうが、向こうが刃を向けてきたのだから後は殺すしか道はない。ただそれだけだ。下手に逃がせば報復が待っている。スレンが戦いにおいて一番最初に学んだことだ。まして、イニピア王国軍を撃滅することで、穏やかな日常を取り戻すことができるというのであれば、断る理由などどこにもありはしない。
「はっ、謹んで拝命いたします」
本当は今すぐにでも駆け出していって、イニピア軍に紛れ込んでいたファーロラーゼ公を探し出し、脅しでも何でもしてヨルヤを取り戻したかった。けれどヨルヤとともに帰還した時、ここが別の国になってしまっていては意味がない。生きてさえいれば良いだなんて、それでは死んでいるのも同然だ。スレンは、もう誰にもヨルヤの何も奪わせるつもりはなかった。そのために必要とあらば二十万人をその手にかけることすら厭わなかった。なのに、その思いと覚悟は踏み躙られることになる。
「うむ。では次にファーロラーゼ公の討伐だが、マルルダ卿に一任することにする。生け捕りが望ましいが、無理ならば首だけでも良い」
「はっ、ご期待に添えるよう微力を尽くします」
マルルダ伯爵の快諾を受けシフォニ王は鷹揚に頷いた。
「それで……」
シフォニ王は娘のミルレットに目配せをする。父の視線を受けて王女は黙って頷いた。
スレンはそのやり取りの意味を知っていた。「いい? スレン、貴方はお父様の言うことを聞いて。ヨルヤのことは許してもらえるように、わたくしがきちんと話をしたから」というのは謁見直前の控室での会話。シフォニ王とミルレットのやりとりを見て、ミルレットの言葉通り、ふたりの間で問題なく合意が形成されたことにスレンは安堵した。が――
「それで、公の謀反に関わっていると目される孫娘のヨルヤ・ファーロラーゼだが、彼女の処遇について貴公はどう思うかね。マルルダ卿」
「? おかしな事をお聞きなさる。慣例では連座と相場は決まっております。彼女のみならず、彼女の両親もまた処刑対象でありますれば」
ファーロラーゼ公爵家は当代限りで取り潰しとするのが良いでしょう、というマルルダ公爵の解答に、一番に声を上げたのは王女ミルレットだった。
「お父様! お話が違います! わたくしは――!」
「控えよ! 其方の発言を許可した覚えはないぞ」
だが彼女の異議申し立ては途中で遮られてしまう。
「聞けばヨルヤ・ファーロラーゼは、異端の聖女として信者を集めておるというではないか。そしてそれを反乱のための駒にすると。叛逆者であり異端者である者を赦すことなどできぬ」
「しかしお父様、ヨルヤは公爵に利用されていただけです!」
「そうであっても叛逆者の一族というだけで連座対象である」
「そんな!」
必死に食い下がるミルレット。もちろんヨルヤのことも心配だが、何よりスレンの動向が気になって仕方がなかった。ヨルヤの何がスレンを突き動かしているのか、彼女は知らなかったが、スレンのヨルヤへの感情が並々ならぬものだとうことは理解していた。直接スレンに理由を聞いたわけではない。だが彼がこの数週間の間で何をしてきたのかを聞けば、それがどれほど深いことなのか想像に難くない。
だから、スレンが音もなく立ち上がった時、ミルレットはひどく動揺した。
「貴様! 陛下の御前ぞ!」
スレンが無許可で立ち上がったことを咎める側近たち。完全に無意識だったのか、ハッと我に返ったスレンは慌てて跪く。だが彼は服従を示すために跪いたわけではなかった。
「ヨルヤ・ファーロラーゼは助けて下さい」
それは嘆願ではなく、条件の提示だった。いや、自分にしか解決できない国難への助勢と引き換えだと言われれば、それはもはや命令と同義。あまりに不敬な物言いだ。立場上取り乱すことができぬシフォニ王だが、流石に堪えたのか、肘掛けに置いた手がワナワナと震えている。そして傍に使える側近は顔を真赤に染めてスレンを責め立てた。
「ぶぶぶ無礼者! 立場をわきまえよ!」
「何度でも申し上げます。ヨルヤ・ファーロラーゼは助けてください」
「!」
いくら喚き立てられようとスレンの姿勢は崩れない。ヨルヤを救い出すことだけがスレンの戦う理由なのだから当然だ。だがそれを知らない側近たちが折れるわけもなく、
「国王陛下の温情を仇で返すというのか!」
さらなる加熱は必至だった。
このまま話していても埒が明かない。そう断じたスレンは再び立ち上がる。
「別に、王さまに恩を受けたつもりはない、です。おれはいつだっておれの守りたいもののために戦うだけですから。王さまがヨルヤを殺すっていうのなら、おれはこの国の敵になります。本当は嫌だけど、ヨルヤとは比べものにならないから」
それじゃ、とあっさり踵を返すスレン。その小さな背中が遠ざかっていく様に、シフォニ王は焦りを覚えた。
彼の失敗は、スレンに駆け引きを仕掛けたこと。ミルレットからスレンの大切なものの情報は得ていた。スレンにとってヨルヤ・ファーロラーゼという少女は、命を賭す理由になるほど重要な存在である、と。半分は本気で処刑したいと考えていたが、もう半分はスレンを好条件で従属させるためのカードにするつもりだったのだ。だがスレンはあまりに純朴すぎた。すでにスレンは王国の敵となってしまった。娘のミルレットを見ると、諦めたような表情をしている。だが、立ち上がって「待て」と声をかけることなどできやしない。ふたりきりの面会ならいざしらず、ここは多数の臣下たちが同席する謁見の場なのだから。
「待て!」
そんななか、焦るシフォニ王に救いの手を差し伸べる人物が。マルルダ伯爵だ。
「陛下! 今一度お考え直しください! たかだか娘ひとりに何ができましょうか!」
スレンを引き止め、シフォニ王に向き直ったマルルダ伯爵は請願した。スレンの魔法を目の当たりにした彼にとって、スレンを敵にするなどありえないことだった。あの死屍累々は今なおラミアン郊外に残されている。ヨルヤ・ファーロラーゼを処刑してしまった日には、あの光景がシフォニ王国全土に広がることになるだろう。
「何を申されるか、マルルダ卿!」
王の側近は叱責するがマルルダ伯爵が引くことはない。
「スレンよ! だが助けられるのはヨルヤ・ファーロラーゼただひとりだけだ! 謀反の目は出来る限り潰しておかなくてはならない」
「……わかりました」
この条件で折れてくれと訴えかけるような視線をシフォニ王に向けるマルルダ伯爵。王が鷹揚に頷いたのを確認した伯爵は、
「陛下、ファーロラーゼ公の捜索隊にこの者も加えとうございますが、こちらもよろしいでしょうか」
と、実務的な決定も促した。
「う、うむ」
「スレンよ、聞いていたな? この後、情報のすりあわせを行うゆえ、与えられた部屋にて待機しておれ」
「畏まりました!」
間髪入れずに返事をしたのは依然玉座の前で跪くアターシアだ。彼女の声は、誰かに言い聞かせるような、ひどく力強いものだった。




