82 軍議
ジヤン街道の戦いで敗北したシフォニ王国軍は王都ラミアンに撤退した。途中、ローロー橋の戦いで、名将ビオード・ロッカン伯爵を殿として失い、さらに敵の王都侵攻を阻止すべく挑んだノーグ・オルダンの戦いで兵力の三分の一を失った。壊走した王国軍がラミアンに到達する頃には、ジヤン街道の戦いで二万だった兵力は、五千にまで落ち込んでいた。対して、イニピア・ファーロラーゼ連合軍は二万の軍勢をほとんど失うことなく維持し、シフォニ王国王都ラミアンの包囲に成功したのだった。兵力差は四倍。いかなる攻め方をしても勝算があるといえるだろう。数多ある戦略のなかで、イニピア王国軍総司令官とファーロラーゼ公が出した結論は、強攻策で一致した。理由も同じ、ニーザ平原の戦いを滅茶苦茶にしたスレンがラミアンに到着する前にかたをつけてしまおうというものだ。
ラミアンに至る六つの街道と、ラミアンに寄り添うように流れているソーン河の運河を封鎖して、後は攻城兵器の到着を待つばかりだった。
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一方、ラミアン王宮の会議室では、連日にわたって軍議が開かれていた。敵の攻城兵器が到着するまでもういくばくの猶予もないということで、早急に対応を決めなければならないというのに、一向に決まる気配がない。というのも、籠城戦とはいえ彼我の戦力差は明白で、敗戦につぐ敗戦で騎士団や兵士たちの士気も地に落ちてしまっている。この絶望的な状況のなかで、会議室に集まった諸侯たちの考えることは少しも一致していなかった。ある者は敗戦後の立ち位置が少しでもましになるように苛烈な戦闘が予想される箇所の持ち場にならないよう他を牽制したり、またある者は、どうすれば国王陛下に降伏を決断してもらえるかを考えた。皆が及び腰になっているかというとそういうわけでもなく、特に国境から離れた地域の領主たちはこぞって好戦的な態度を示した。ラミアンの遥か西、北部ベント地方の穀倉地帯に領地を構える古貴族であるマルルダ伯爵もそのひとりだった。
「ラミアンから出て再び正面からぶつかるべきだ! 今度こそイニピアの雑魚どもを裏切り者もろとも葬り去ってくれる!」
故国の窮地とあれば、いかなる劣勢にあっても勇み立つべきであると主張するマルルダ伯爵。
「ばかいえ! 兵力差は四倍だぞ。会戦となれば勝てるわけがなかろう!」
「マルルダ卿は我らがシフォニ王国の王都であるラミアン市を戦場にするつもりか?」
「仕方なかろうよ」
「ふん、話にならん!」
「何だと!?」
諸侯たちの醜い言い争いをシフォニ王は、最奥に座し、ひとり黙して聞いていた。平時ならば有り得ないような言葉遣いで罵り合う諸侯たち。やがて、あまりに無意味な罵詈雑言が飛び始めた頃、さすがに見かねた側近のひとりが貴族たちを諌めた。
「陛下の御前ですぞ。わきまえられよ!」
流石に反論の余地もなく、静まり返る貴族たち。その静寂のなかで、シフォニ王にとって聞き捨てならない一言が発せられた。
「そもそも例の魔道師とやらは本当に来るのでしょうか」
言葉遣いは丁寧なものだが、内容はまさに王への批判だった。
「どういう意味かね、マルルダ卿」
シフォニ王は発言主をジロリと睨みつけた。会議室でも上座よりに座るマルルダ伯爵は、由緒ある貴族であり、それだけにシフォニ王国への忠誠心は高い。ただ、王家にとってこの男の難点は、忠誠心の向かう先が王家でなく王国であるということだ。王家との関係はまさに封建貴族のそれ。契約によって保たれた主従関係であれば、苦言を呈することも躊躇わない。
「言葉通りの意味です陛下。まともな神経の持ち主なら陛下から要請があった時点で即刻出頭するでしょう。まして大敗を期してしまった今、どのような顔をして我らの前に現れるというのですか」
次々と肯定する貴族たちの声を背にマルルダ卿は不敵な笑みを浮かべる。それは主君へと向けられるが、シフォニ王は伯の言葉を肯定しなかった。頑なな王の姿勢を見て、マルルダ卿はふっと息を吐いた。
「まだそこまで堕ちてはいませんか」
「この無礼者め」
頭に疑問符を浮かべる者たちを他所にふたりの会話は続く。
「とはいえ奴の心境としては大いに有り得る話かと思います。あるいは、別の理由の線もあるかと思います」
「別の線とは?」
「ニーザ平原で見せた極大魔法。シフォニ王国民であれば、敵陣へ落とすでしょう。けれど奴はそうしなかった」
「何が言いたい」
イニピア王国の間者かもしれないと疑っているのだろうか。だとすれば魔法はシフォニ王国軍に落ちただろうに。だがマルルダ伯爵の考えは別のところにあったようだ。
「あの極大魔法。やつの制御下にはないのではないでしょうか」
ざわめき出す会議室をマルルダ伯爵は声を張って制止する。
「制御下にないのであれば、あのような中途半端な位置に落ちたのも納得できます。また、今なお顔を見せないのも、心情としては理解できます。期待されているものを差し出せないわけですから」
だがマルルダ伯爵の言説はシフォニ王によって即座に否定された。
「マルルダ卿はもともと騎士だったか。ならばわからぬのも無理はないが、魔法というのは術者が己の魔力を操り発動させるもの。そもそも魔力を操りきれなければ魔法は発動せぬ。神々からの加護も得られはせぬだろう。だからいかなる魔法であっても、失敗して発動するというのはありえないのだ」
魔道師にそう言われてしまえば、魔道師でない伯爵は黙するしかない。
「ならばもう、青臭い博愛主義者としか思えませんね」
「愚かしいな」
「しかしどのみちこの包囲ではラミアンに入ることは叶いますまい」
と、ここで今まで時間が止まっていたかのように静かだった諸侯たちが再びどよめき出した。
「そうですぞ! 今はそのような胡散臭い輩のことを考えている場合ではありませぬ!」
「いつ敵の攻城兵器が到着するか!」
「そうなる前にこちらから打って出るべきだ!」
「何を愚かな! 先程から申し上げている通り、兵力差は四倍なのですぞ!」
――と、また同じ議論を繰り返す諸侯ら。ウンザリしつつも、ろくな解決策が浮かばないのは自分も同じ。シフォニ王は深い溜息を吐いた。




