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61 戦争にむけて

 イニピア王国が宣戦布告したという知らせを受けて三日。以来、アターシアは研究室に籠もり、ひっきりなしにペンを走らせている。大好きな研究であれば部屋に鼻歌でも響いているだろうけれど、そうでないどころか眉間にシワを寄せて酷く煩わしそうだ。


「ところでスレン、あんた、戦争の止め方、ちゃんと考えてあるんでしょうね」


 スレンは、アターシアの執務机の前で、彼女の代わりに各属性の幾何学模様をスケッチしている。こうと決めたら突っ走るスレンがなんとも珍しいことだが、最近の激動のなかで彼も成長したのだろう。成そうとする事が大きければ大きいほど、必要な準備にかかる時間も多くなっていく。その準備とやらが自分でできず、後見人まかせになる以上、彼女の頼みは聞くべきだろう。


「戦わせなければ良いんだろ。大丈夫さ」


 未然に防ぐということは、一人の死者も出さないということだ。スレンは強大な魔法使いで、魔法というのはまごうことなく暴力だ。強力な魔法で両軍を粉砕し、戦闘継続を不可能にしてしまう、なんていう暴挙もやろうと思えば可能だろうけれど、それでは元も子もない。


「へえ、どうするつもりなの?」


 だから当然、スレンの作戦とやらが気になるアターシア。まさか両軍の前に立ち、空を炎で覆って見せたあと「剣を抜いた方にこれを落とす」と言って脅す、なんてことは考えていないだろう。その場限りの愚策も良いところだ。その後の生活を一切考えないというのであれば話は別だが……。とはいえ、政治力を持たないスレンにとって、戦争を未然に食い止めるには、武力を抑止力として用いるしか方法はない。少なくともアターシアはそう考えていた。


「うーん……戦えなくすれば良いんだよな。だったら、戦いが始まる前に戦場を火の海にするとか。あとは嵐を起こすとか」


 戦闘中に恐怖心を抱いたことはあっても、怖いという理由で戦いを躊躇したことがないスレンにとって、抑止力という考え方は自分で思いつくものではなかった。だから「戦意を削ぐ」のではなく「戦場を物理的に壊す」という方向に考えが向かったようだ。そんな考え方があってたまるかと、アターシアは関心を通り越して呆れ果ててしまった。だがスレンなら不可能ではないのだろうと思えてしまうところが恐ろしい。


「ど、どっちでも良いけど、あんたがやってるってバレないほうが良いわよ」

「どうして?」


 戦場がめちゃくちゃになれば戦いは起きないかも知れないが、結局それも一時的なものだ。そこが駄目なら別の場所で戦えばいい。そしてまた同じように戦場を壊してまわるのか。それは酷く現実的ではない。だから、どうせ巨大な魔法を使うのならば最大限にその効果を引き出すべきだとアターシアは指摘する。魔法の使い手がわからなければ、両軍は敵国が開発した新しい極大魔法だと警戒するだろう。迂闊に進軍させることは戸惑われるはずだ。


「そんなものかな。怖いから戦わないって……、それで譲れるくらいのものなら最初から戦わなきゃ良いのに」

「あんたは自分の強さをわかってなさすぎ」

「流石にわかってきたよ。けど、おれだって無敵じゃない。カロア村でも冷っとすることはあったし、ジフには怪我を負わされた。街で会ったときは、もしかしたら死んでたかもしれないんだ」


 それでもおれには戦う理由があるから、とスレンは静かに呟いた。


「そんなことよりアターシアは何してるんだ。研究より大切なことがあるのか?」


 ペンを置けば紙を丸めて封緘していくアターシア。それが山積みになれば使用人に手渡して、また山積みになるまでペンを走らせる。その行動パターンから書いているのが手紙だと言うことがわかるが、内容も宛先も理由もスレンには想像もできなかった。まして研究のためなら人の命さえ天秤にかけ、策謀を巡らせ、莫大な金貨を費やし、自らの危険すら顧みない狂研究者のアターシアが、研究よりも優先して執り行うことなどあるのだろうか。


「あんたねえ、私をなんだと思ってるのよ」

「みんなは研究狂いって言ってるけど」

「優先順位は時と場合によるでしょ。ミザリからの連絡はまだ来ないんだから、後々、心置きなく研究するために、今済ませられることは今済ますのよ」


 つまり、長期休暇の課題を先に済ませるか、後に済ませるかという話らしい。アカデミーに編入して半年にも満たないスレンには、どうにも共感できないことだが、あと一年もすれば彼が「先にする派」か「ギリギリまで放置する派」かはわかるだろう。


「そうね、こういう世界もあるってことを知っておくのも良いかも知れないわね」


 キョトンと首を傾げるスレン。ペンを置いたアターシアは、すっかり冷めてしまったティーカップに口をつけ、ふうと一息吐いた。


「戦争っていうのはね、たくさんお金がかかるのよ。騎士は剣や鎧を身につけるし、魔道師だって小さな円盾くらい持つわ。チェインシャツを着込む人もいる。装備には手入れが必要よ。蝋に油、破損箇所の修繕に必要な道具、急いで新調しなくちゃならないものもあるかもしれない」

「普段からしておかないのか?」


 スレンの言ったとおり、治安維持任務や定期的に実施される演習に不足なく参加するためには、日頃の装備の点検を怠ることなどできない。職業軍人とは、いつ何時起こるかもしれない戦闘に向けて常に備えておかなければならないのだ。だから、いざ戦争となればすぐにでも騎乗して駆け出していけるはずだ。


「まあ、それが理想だけどね。最近暇だったから、みんな完璧な戦支度なんてできてないわよ。いざとなったら、アレが足りないコレが必要だってなるものよ」

「なんだかなーだね」

「ふっ、そうね。それに戦うのは騎士や魔道師だけじゃないわ。数でいえば平民が一番多いのよ」

「平民って、マリとかミザリとかのことだよな。あいつらも戦うのか?」

「女子供は戦わないわ。基本は男だけ。彼らは普段の生活で戦闘なんてしないから、武器も防具も準備しないといけない。お金がない人は普段使ってる農具や包丁なんかを武器にすることもあるけど、やっぱりちゃんとした装備があったほうが生きて帰れる確率は上がるわ。特に防具を買える人は絶対買う。領主に駆り出されて戦いたくないのに戦わされて、挙げ句死んじゃいました、なんて馬鹿みたいでしょ」


 アターシアの丁寧な説明を黙って聞いていたスレンは、何か引っかかるところがあったのか、いつの間にか眉間にしわを寄せていた。


「え、ちょっとまって、戦いたくないなら戦わなきゃ良いじゃないか」


 理解できないといった様子のスレン。伝えたかったこととは別のところで躓かれたアターシアだったが、今回初めて戦争を間近で見るスレンにとっては、なるほど確かに想像もできないことだろう。


「……あんたにはまだ理解できないだろうけど、兵役っていうのがあって、領主が戦争に行くって言ったら、そこに住む平民は一緒に戦うためについていかなきゃならないの」


 スレンの眉間の皺はさらに深まる。


「あんただって、魔法を使うなっていう私の指示には従ってたでしょ」


 アカデミーに通うことになって曖昧になったけれど。


「でもあれは命をかけたものじゃない」

「程度が異なるだけで本質は同じよ。定められたルールに従って平民たちは戦争に行かなきゃならないの。あんたみたいに交渉できる人は交渉するし、そうでないのに逆らえば殺されるだけね」

「そんなの、あんまりだろ」


 でもそれが今の社会よ、と言えばスレンは結社に同調するだろうか。


「変えたいと思う?」


 体制に興味のないアターシアだからこそできた問いかけだった。もしもスレンが頷いたなら、きっと彼は成し遂げてしまうだろう。ヨルヤを救うという目的にしたって、スレンが協力すると言えば、きっと公爵は一も二もなくヨルヤを差し出すだろう。さあどう答える? と好奇の視線をスレンに向けるアターシアだったが、スレンから返されたのは意外にも冷静な回答だった。


「おれには変えられないよ。おれにできるのは壊すことだけだ。でもそれはきっとヨルヤもマリも望まないことだと思う」


 思わず関心するアターシア。


「同情してたわりに、意外と淡白なのね」

「そう、なのかな。酷いとは思うけど、おれにはおれの戦う目的があるし、その人たちにだってどうせ命をかけるのなら自分の目的のために戦えば良いと思う。別に戦争に行くのがいやならみんなで逃げればいいじゃないか。弓を射ればうさぎぐらい捕まえられるだろ?」


 生きる方法なんていくらでもあると、スレンは続けた。


「この野生児」

「え?」

「……ちょっと話がそれたわね。とにかく戦争っていうのはお金も物もたくさん動くの。てことは商人にとってこれほどの好機はそうあるものじゃない。私はもう商人じゃないけど、ミザリには借りがあるからね。騎士団への紹介状を書いてあげてるのよ」

「商人は戦わなくていいのか?」

「いなくなってほしくない人には商会が兵役免除のお金を建て替えてあげてるはずよ」

「それってずるくないか?」

「どうして? 自分を守るためにみんなで集まったのが組織よ。その力を利用して何がずるいっていうのよ」


 アターシアは懸命に説明したが、結局スレンの眉間のしわは取れることはなかった。

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