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60 事件の報せ

 スレンがアニムの路地裏でジフと口論を繰り広げた十日後、ある噂が魔法都市アニムに飛び込んできた。


「イニピア王国の王子さまが暗殺された?」


 アカデミーに通わないのなら研究に付き合いなさいと言われたスレンは、訪れたアターシアの研究室でその噂を聞かされた。


「ええ、ミザリの話では、王都は市民を巻き込んで大変な騒ぎになっているそうよ」


 真剣な顔つきでペンを走らせるアターシア。今日の研究内容は、魔力を圧縮した際に浮かび上がる幾何学模様についてだ。スレンが、原色地を修復した際のことを話すと、アターシアが爛々と目を輝かせて見せろとせがんだのだ。火属性の魔力の幾何学模様を掌に浮かべたスレンは、アターシアの呟きに顔を上げた。


「イニピア王国って、隣の国だよな」


 ええ、と短く肯定するアターシア。

 スレンの言ったとおり、イニピア王国はシフォニ王国の東側に国境を接する国だ。彼の国とシフォニ王国はもともと同じ国だった。すなわち古代ネユタであり、その後成立したアグニア国だ。そしてアグニア国が崩壊する際、袂を分かった四つの国の二つがこれらに当たる。魔法の得意な兄が初代国王となったイニピア王国、魔法の苦手な次男が初代国王となったシフォニ王国。今ではシフォニ王国の方が魔法大国として栄えているのは皮肉な一面だろう。当時の兄弟間の確執は、それぞれの王族の血が薄くなるにつれて忘れられていき、両国の政変などによって完全に歴史上の事実――つまり過去のものとなってしまった。だが、いや、だからこそなのか、地政学的な敵対感情はけっして解消されることなく、深く根づいている。

 断続的な紛争の絶えない国境付近の情勢を憂いた先々代シフォニ王の提言によって、両国間に和平条約が結ばれ、それ以来、国家間の交流もずいぶん増えてきていたのだ。


「どうしてそんなことをしたんだ?」

「……誰のことを言ってるのよ」

「え……」


 誰だろう? と首をひねるスレンにアターシアは呆れた溜め息を吐いた。


「シフォニ王や、他の王族の方々も関与を否定しているわよ。むしろイニピア王族内の王位継承争いに巻き込むなと非難しているみたい」

「なんかややこしいな」


 ただでさえ身分制社会に疎いスレンにとって、権謀術数など理解の範疇を越えているのだろう。


「ま、そもそも真実がわからないしね。私たちが考えることじゃないわよ」


 権謀術数といえば……と、アターシアには思い当たる人物がいた。だが確実にそうだとは言えない。思い当たる節はあるが関わり合いになりたくないし、口にだすことすらしたくない。だからアターシアは放っておきなさいと、暗に諭す。自分から話題を振ったのは、知らないところでスレンが首を突っ込まないように釘を差しておこうという意図があった。

 アターシアは市街から戻ったスレンから、ジフに会ったと報告を受けた。どうやら何か企んでいるらしいとも。そしてその二週間後の今、王都よりイニピア王国第一王子の暗殺という知らせが舞い込んできた。王都ラミアンから魔法都市アニムまで、普通に馬車を走らせれば二週間以上かかる。ことの重大さを察知したモール商会が、各支部に『準備』を促すために早馬を走らせた。その迅速な手際があればこその、この情報伝達速度。スレンの話しでは、ジフは「事が動き出した」と言ったらしい。過去形だ。スレンがジフと遭遇した時、すでに暗殺計画は動き出していた、という仮説に時系列的矛盾はない。

 アターシアは頭を振る。矛盾がないだけ。ただそれだけで断定するのは早計過ぎる、と。あるいは、自分が関わった連中がこんなだいそれた事をしでかしたなんて信じたくないという願望か。


「まさかジフの言っていた『事』っていうのは、このことだったんじゃ」


 スレンの呟きにアターシアはギョッと顔を上げる。ねえ、アターシアはどう思う、と尋ねてくるスレンのつぶらな瞳がどこまでも憎らしい。スレンとアターシアとでは結社に対するスタンスが真逆といって良いくらい異なっていた。アターシアは自身の平穏のために無関係でいることを望んでいるが、スレンはヨルヤが救済されるのであればどんな自己犠牲も厭わないだろう。だから、スレンがアターシアの意を汲むなどということは根本的にあり得ないことだ。アターシアに出来ることといえば、せいぜい話の流れを変えることくらい。


「それにしても情報が早すぎるのは妙ね。人の口に戸は立てられぬとは言うけど、箝口令が敷かれれば、情報が下に降りるのもそれなりに時間がかかるはず」


 だがそれが彼女にとっての墓穴だった。


「そんなの、結社の奴らが言いふらしたに決まってるだろ」


 一体何のためにと反論しかけたアターシアだが、公爵とジフの目的を思えばスレンの言葉も納得できた。彼らの望む未来を実現するためには、国王陛下のスキャンダルは公に晒されなければならないからだ。

 王位簒奪のためには王家の持つ様々な力を削ぎ落とさなければならない。武力、財力、政治力、影響力など、力にはたくさんの種類がある。もはや戦争は避けられない。であれば財力と武力を削ることができる。さらに戦いの中で国王陛下の信頼する重鎮貴族も二、三人始末すれば政治力を。そして敗戦によって影響力を削ぐ事ができる。そうなれば戦後、公爵はずいぶんと動きやすくなることだろう。

 スレンが公爵の思惑に思い至ることはないだろう。だがそれは自分自身に必要ないからだ。スレンに必要だったのは両国間で戦争が起こるということだけ。


「やられたのはイニピア王国の方なんだろ? だったら、報復しにくるんじゃないのか?」


 戦争という言葉を知らなくとも、当事者の規模が大きくなれば、争いの規模も大きくなることはスレンでも想像できた。今まで見てきたどんな争いよりも悲惨なものになるだろう。ただ、そんなことはスレンにとってどうでもいいことだった。彼は誰より純朴で、だからこそ博愛主義者ではなかったのだ。


「国と国が争うんだよな。いっぱい人が死ぬんだよな」


 それは悲しいことだという価値観はスレンにもある。ただ、スレンの行動の主眼はヨルヤにある。だからこの状況で彼の思考が、


「そんなことにヨルヤを加担させたりしない」


 となるのは必然だった。


「そんなこと言ったって、別にヨルヤが暗殺したわけじゃないでしょうに」

「そうだろうけど。でも、な、仲間、だ」

「……それも、結社がやったとはまだ決まってないわ」

「だったらなおさら確かめなくちゃ」


 スレンの真剣な瞳を見つめるアターシアの視線もまた、真剣なものだ。真剣にどうすればスレンを思いとどまらせることができるかを考えていた。達成するには、結社が王子暗殺に関わっていないことを証明できれば良いのだが、それは今のアターシアには不可能だった。どう考えても公爵の差金で結社が動いたとしか考えられない。確かにその証拠はないけれど、完全に否定しきれない以上、スレンの言うとおり「確かめなくちゃ」わからないのだ。


「今度はどこに行くつもりなの」


 恐る恐る尋ねてみるアターシア。


「とにかく戦いを止めなくちゃ。イニピア王国に報復させることが目的なら、それを止めれば結社の企みを潰せるってことだろ」


 そんなことどうやって、と言おうとしたアターシア。だが彼女の開いた口から言葉はでてこなかった。原色地を作ってしまうほどの魔力を扱えるスレンなら、それも可能なのかもしれないと思ってしまったからだ。


「で、でも本当に戦争になるかはまだわからないから」


 国王陛下がうまく戦争を回避してくれることを祈るしかない。希望的観測でもそれにしがみつくしかなかった。だが強く望むものほど、なかなか手に入らないというのは世の常。数日後、イニピア王国がシフォニ王国に対して宣戦布告したと知らせが届いたのだった。

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