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58 路地裏での対話

 アニムに帰還しても、スレンはしばらく抜け殻のようになっていた。ヨルヤを探してくると嘯いた手前、ミルレットにもあわせる顔がなく、アカデミーの講義にも出席せずに自室に引き篭もっていた。あるいは女の子のことは女の子に聞いたほうが良いのかもしれない、とも考えたが、やっぱり話しづらい。


 どうにも行き詰まったスレンはアニムの城下町を散策することにした。引き篭もっていても気が滅入ってくるだけで、いい考えなど浮かぶはずもないからだ。アカデミーの制服はもちろん、普段身につけているような服は市街を歩くのに相応しくないので、いつかアルトセインとアカデミーを脱走した時と同じ装いだ。だが今度は正門から正式な届けを出しての外出。アターシアにも話は通してある。


 シフォニ王国は、北部と南部で同じ冬でも大きく気候が変わる。北部の、とくに西側は巨大なオズミア山脈の影響でレギニアでも豪雪地帯として有名だ。王都ラミアンは、北部でも東側に位置するため、積雪量はさほどでもないが、平均最高気温は氷点下を記録する。

 対して南部は、降雪など両手の指で事足りるほどの回数。積雪に至っては一冬に三度あれば異常気象だと話題になるほどだ。

 とはいえ寒さや暑さは体感的なもの。寒さに慣れていないアニム市民にとって、いかに雪の降らない冬といえども、寒いものは寒いのだ。


「くそぉ、もう少し着込んでくれば良かったな」


 ほんの半年前まで深い森で、あまつさえ全裸で生活していたというのに、今ではすっかり文明社会の一員である。……いや、そうではない。寒ければ火を起こすし、自然界の魔力を使えるスレンは周囲の魔力を使って、温かい空気の薄膜で身体を包んでいた。だから存外、森での生活も快適だったのだ。だが、それを知ったアターシアは、だから服を着ないのだと言って、無慈悲にも禁止したのだった。



 人々の行き交う大通りを、ひとり彷徨い歩くスレン。街角の雑踏をふらふらと覚束ない足取りで、しかし器用に避けながらアカデミーから離れていく。市場の賑わいも耳に遠く、被ったフードの衣擦れの音だけが耳元でガサゴソと煩く響いていた。


 これからどうしようか。


 答えの出ない思考は堂々巡りを続ける。スレンが陥っているのは、自分の成し遂げたいことが誰かを苦しめることに繋がるという状況だ。スレンは、初めての経験に、身動きの取れないもどかしさを感じていた。


 自分が関わることがヨルヤの望まないことだというのであれば、もはや結社などどうでもいい。公爵が何を企んでいるとか、原色地が破壊され、都市が廃墟になるとか、自分には関係のないことだとさえ思えた。


 ふと、気がつけば街角の喧騒がかなり遠くなっていた。いつのまにか大通りを外れ、裏路地に入っていたようだ。人気のない路地に入ると、途端に治安が悪くなるのはどこの街も同じだ。スレンのような子供がひとりで歩くべきではない。いや、スレンのようなという形容は間違いだろう。街の暴漢風情がスレンを襲ったところで、指一本触れることなく殺されてしまうだろう。そう、きっとスレンは殺してしまう。武装非武装という考えを持たない彼にとって暴力は、すべて同一の意味を持っているのだから。


 スレンが歩いている狭い路地には、道を横切るように何本かのさらに細い通路――道というよりも家の裏側といったほうが正確だろうか――が通っている。そこをひとりの男が通りがかった。ぶつかりそうになったスレンはとっさに避けようと身体を捻ったが、あえなくぶつかってしまう。


「すまない。大丈夫か?」


 スレンは見上げたが、男は帽子を深く被っていたため顔は見えなかった。だが、その声には確かに聞き覚えがあった。


 ジフ!


 男はスレンの返事を待たず、帽子の鍔をしっかりと抑えて足早に去っていった。


 男の顔は見えなかった。ということは、向こうもスレンの顔は見えていなかったはずだ。加えて声も出していないため、ジフはぶつかった子供がスレンだとは気づいていないだろう。

 両者、直接言葉を交わしたことはないけれど、スレンが向こうを認識しているように、ジフもスレンのことは記憶に留めているだろう。大事な計画の邪魔をする存在だと疎ましく思っているはずだ。だから、こんな人気のない路地裏でばったり出くわせば、何かしらのリアクションはあって然るべき。

 スレンは警戒し、しばらく立ち止まって様子を見てみたが、奴が何かをしてくる気配は感じられなかった。

 静まり返る通路。そしてスレンの足は自然に動いていた。



 ジフを追って曲がり角を折れる。すると細い道の先に小さく彼の背中が見えた。また角を曲がる。スレンもまた、その後を追った。


 騎士団に通報するべきだろうか。頭に過るが、しかしそんなことをしている間に見失ってしまうと、スレンは首を横に振る。それでは元も子もない。ならばジフの向かう先、アジトか仮宿かを突き止めた後でいいだろう。


 ジフはどんどん人気のない方向に向かって歩いていった。国家転覆を狙う大罪人なのだから身を隠そうとするのは当然だが、どうにも誘い込まれている気がするのはスレンの気のせいだろうか。街のチンピラなら大したことはない。だが、あのジフ・ベルディアージと事を構えるとなれば、一筋縄ではいかないのは身をもって経験している。とはいえ進むしかないのだ。虎穴に入らずんば虎子を得ず。スレンはジフを追った。


 スレンは警戒していた。当然、尾行経験などない。森での狩りでさえ、獲物が気配さえ察知できないような遠距離から一撃で仕留めてきたため、スレンは気配を消すというような器用なことはできなかった。できるのは精々息を殺す程度のこと。だからといって、ずっと前を歩いていた相手に背後を取られるだろうか。スレンは、経験というものは、かくも偉大なものなのかと思い知らされるハメになったのだった。


「止まれ」


 どれだけ暴力に優れていても、所詮スレンは素人で、英雄とまで謳われた騎士を出し抜くなどできるわけがなかった。ジフが角を曲がったほんの一瞬、見えなくなったその間に、スレンは彼を見失い、慌てて周囲を見渡した。その無防備な背中を突かれたのだ。


「ゆっくりこちらを向け。おかしな真似をすれば殺す」


 唸るような低い声で警告するジフ。背中に突きつけられた切っ先の感触に、スレンは従うことを余儀なくされた。


「貴様……やはりあの時の」


 振り返ったスレンを見て、ジフは目を見張った。


「どうしてここにいる」


 ジフがスレンをすぐに殺さなかったのは、なぜ自分を見つけることができたのかを聞き出さなければならなかったからだ。まさか仲間に裏切り者がいるのか。それだけでも知らねばならない。

 だが、偶然居合わせたスレンにとって、ジフの抱く深刻さなど理解できるはずもなかった。


「ヨルヤをどうするつもりだ」


 ジフを威嚇するように睨みつけるスレン。だが当然ジフには何の効果ももたらさない。


「黙れ、質問に答えろ。どうしてあの場所にいた」

「そんなのどうだって良いだろ。それより――」


 煩わしそうに誤魔化そうとしたスレンの喉元にジフのナイフが走た。だがそれは、密かに身体強化を施していたスレンに届くことはなかった。


「ヨルヤをどうするつもりだ!」


 飛び退いたスレン。ナイフから身を離すことができた彼は、一層声を上げてジフを問い詰めた。切ったと思ったが避けられてしまったナイフを一瞥し、ジフはスレンに向き直った。


「奴が望んだことだ。貴様が口を出すことなど何もない」

「原色地を壊して、街を廃墟にすることをヨルヤが望んだっていうのか!」


 掴みかけた彼女の想いは、まるで砂のように手からこぼれ落ちてしまった。けれどこれだけは断言できた。悲しい夢に涙を流すヨルヤが、人々を悲しませるような、苦しませるようなことを望むものか。


「奴は結社の聖女だ。組織のために尽くすのは当然のことだ」

「組織のため? お前たちは何を企んでる! ヨルヤに何をさせるつもりだ!」

「犠牲を払ってでも成さねばならぬこともある」

「犠牲? それはヨルヤのことか? それとも廃墟になる街の人たちのことか?」

「貴様からすれば両方になるだろうな」


 事もなげに言ってのけるジフ。


「知っているぞ。そういうのはワガママっていうんだ。ズウラが言ってた」

「ズウラ? 我儘だと? 馬鹿を言え。行動なき理想など、それは掲げるだけで罪なのだ。一度光を見せたのならば、それは達成されなければならない」

「お前が何を目指しているのかなんてどうでも良い。ただそれにヨルヤを巻き込むことは許さない!」


 依然、獣のように睨みつけるスレンに、ジフはまるで勝ち誇ったように吐き捨てた。


「愚かな。奴自身が貴様の手を払い除けただろう」

「! そっ、それは、それは本心じゃない!」


 もはやスレンは、そう言い張ることしかできなかった。それを知ってか、ジフはさらにほくそ笑む。


「奴は自ら救われるために結社に身を置いているのだ。貴様にはわかるまい」

「……!」


 ジフの言い様に奥歯を噛みしめるスレン。苦しみの元凶は貴方なのだと当人から突きつけられた身としては、反論したくてもできやしない。


「お前はわかってるっていうのか!」

「去れ。もはや貴様にできることはない。事はすでに動き出した」


 ジフの言葉に顔を上げたスレンの目の前には、とても大きくて分厚い壁があった。目に見える現実の壁ではない。超高密度の魔力の壁でもない。魔法で作った防壁でもない。どれだけ這いつくばって手を伸ばしても、ジフの足の爪先にさえ触れることさえ叶わないような気がした。


「それは、どういう意味だ」


 なけなしの気力で問い詰めてみても、スレンの言葉はすでにジフには届いていない。外套を翻し、肩越しにスレンを一瞥した彼の視線は、とても冷たいものだった。

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