54 ファーロラーゼ公
「遠いところよくぞ参られた。そちらがヨルヤの同級生のスレンで間違いないかな? それと……」
「お初にお目にかかります、彼の後見人のアターシア・モールと申します。本日は急な面会依頼にお応え頂き誠に有難う存じます。ファーロラーゼ公爵閣下におかれましては、ますますのご健勝のご様子、心よりお慶び申し上げます。末々にわたり精霊イルスの祝福が御身とともに在らんことを」
「うむ、其方も」
セレベセス騎士団の騎士団長も務めているらしいが、鎧姿なのは訓練上がりだからだろうか。公爵の普段着がプレートメイルとは、いささか考えづらい。形式的な時候の挨拶を終え、三人は向かい合う長椅子に腰掛ける。アキュナはアターシアの背後に立った。
「さてスレン。悪いが其方のヨルヤに宛てた書簡は読ませてもらったよ。率直に聞こう。貴様、ヨルヤとはどのような関係だ?」
わずかに空気がひりつくのをスレンは感じ取る。だがなぜ公爵がそのような空気を発しているのかは理解できなかった。
「アカデミーの友人です。私は、その、アカデミーに編入したばかりで、彼女にはアグニア語を教えてもらっていたんです」
今だけは咄嗟に出る些細な無礼も許されない。スレンは慎重に言葉を選んで話した。
「それだけか?」
「……彼女とともに、アカデミーの不思議話のひとつ、『光る石壁』の謎を暴きました」
「あれは王女とヨルヤと、あと貴様の研究室だとアカデミーから報告があったが?」
「それはっ! ……それは、その、私は、知りませんでした。ヨルヤさまも、ミルレットさまも、研究室を見た時は、とても驚いておられましたが……」
「……ふむ」
なにやら考え込むように顎に手をやる公爵。しばらくの沈黙の後、忌々しげに眉をひそめ口を開いた。
「何にせよヨルヤには会わせられぬ」
「なっ!」
思わず立ち上がりそうになるスレン。だが、威圧的な公爵の視線は、言葉を使わずともそれを許さない。
「わきまえよ、と言いたいところだが、そういう意味で言ったのではない。おらぬ者には会わせられぬだろう」
「……どういう意味ですか」
スレンに緊張が走る。鼓動は速まり、胸にもやもやしたものが蠢いた。これは不安か。嫌な予感が止まらない。そしてそれは的中した。
「アカデミーから帰省する馬車が何者かに襲われ、ヨルヤは拐われてしまったのだ」
絶句とは、頭が真っ白になり何も考えられなくことで発生するのではない。思うことが多すぎるために、正しく言葉にできなくなってしまうのだ。
公爵の言葉を受けアターシアはこう考えた。
セレベセスはシフォニ王国中部に位置する。南部の盗賊がいなくなったことで、以北に拠点を構えていた盗賊たちが縄張りを広げるために南下し、力をつけ、そして公爵家であるヨルヤを身代金目的で拐ったのかもしれない。あるいは結社の仕業かもしれないが……。しかしどちらが犯人であったとしても、疑問は拭えない。
対してスレンは別の考えを巡らせていた。
もしかしたら公爵が結社と結託しているかもしれないと思ったけど、どうやらそうではないようだ。南部に盗賊がいない以上、ヨルヤを拐ったのは結社で間違いないだろう。だったら、彼女がおれに秘密を明かした理由はひとつしかない。ヨルヤは、助けて欲しかったんじゃないか? ヨルヤはラベンヘイズでおれの魔法を見た。もしかしたらって思ったのかも。
「目下捜索中なのだが、いまだ手がかりすら使えておらん」
「そ、それは……けれど、そのような重大なこと、私共などに伝えて良かったのですか?」
これでは巻き込まれたようなものだ。なんということを教えてくれたのだと、アターシアは今すぐ逃げ出したい気分だった。
「なに、数少ないヨルヤの、しかもわざわざ見舞いにまで来てくれるような友人とあれば、何か知っているのではないかと思ってな。手がかりを得るための情報開示は厭わぬよ」
と言われてもアターシアには何の心当たりもない。結社の存在が脳裏にちらついたが、聖女とヨルヤが結びついていないアターシアにとって、結社がヨルヤを拐うメリットは無いと思われた。身代金目的にしても、公爵家というのはあまりに強大で危険な相手だ。
とにかく渦中から少しでも距離を取りたかったアターシアは、余計なことは何も話さないという選択肢を選んだのだった。だからこそ祈る。制止することの叶わないこの場所で、スレンが迂闊な発言をしないことを。
「いいえ……私は、なにも」
スレンも首を横に振った。アターシアが何も言わない以上、余計なことは言うべきではないと判断したのだ。成るべくして成った沈黙だが、アターシアは誰にも聞こえないように小さく息を吐いた。
とはいえアターシアはなぜ結社の情報を隠したのか、スレンは半ば不満に思っていた。結社のことを明かせば公爵の捜索活動が進展する。そうすればヨルヤの解放も早まるはずなのだ。人探しをするのだから、人手も情報も多いほうが良いに決まっている。
面会を終え客室に案内された後、スレンがアターシアに「どうして結社のことを言わなかったんだ」と尋ねると、血相を変えたアターシアは慌てて扉の外を確認し、しっかりと扉を締めてスレンに向き直った。
「どうして知ってるのか聞かれたらどう答えるつもりなの」
「え、そんなの、襲われたって言うしかないんじゃないのか」
「どうして襲われたのって聞かれたら?」
「さぁ……」
首をひねるスレンにアターシアは珍しく頷いてみせた。
「そうよね。私もわからない。でも、何もないのに襲うわけないでしょ。きっと理由があるのよ。そうね、例えば原色地を修復したから、とか。あんたの魔法に関係することだから先生にも話さなかったけど、体制の破壊がジフ・ベルディアージの目的なら原色地の破壊は理にかなってるわ。なんたって、都市を廃墟にできるんだから」
原色地の破壊なんて、自分で言っておきながらちっとも信じられないけれど、とアターシアは肩をすくめた。
「確かに」
「原色地の修復だって魔道師にしか……いや、魔道師でも普通は無理だけど、可能性があるとすれば魔道師だけよ。あの場にいた魔道師は私たちだけ。それだけで襲う理由としては筋が通る」
「じゃあ、それを言えば――」
「原色地を修復しましたって言うつもり? 信じてもらえたらまだマシだけど、信じてもらえなかったら、どう勘ぐられるか分かったものじゃない。それに本当に結社がヨルヤを拐ったって確証はないのよ。もしかしたら誤った情報かもしれない」
「いや、それはないと思う」
スレンの思わぬ言葉にアターシアは、聞き捨てならないとばかりに反応する。そういえば、と、ヘズモント研究室で行われた調査報告でのことを思い出す。スレンは何か知っているふうだった。
「どういう意味よ」
ヨルヤが結社に拐われた今、いずれ判るだろう真実を隠す理由はない。
「結社の聖女はヨルヤなんだ」
「あーあー聞こえなーい」




