49 帰還。そして……
森の手前に陣取っていた騎士や魔道師の集団は全滅した。残りはエルベストルの赤獅子と呼ばれたジフ・ベルディアージと数名の騎士のみ。
「ジ、ジフッ!」
悲壮感に満ちた騎士たちの叫びを受けたジフは、眼下の惨状とスレンたちを見比べる。逡巡した後、苦虫を噛み潰したような顔でスレンたちを見逃すことを決断した。
「聖女が気にかかる。捨て置け! 聖女を追うぞ!」
そう言って森へ馬を走らせていった。
聞きたいことは山ほどあったが、スレンもアターシアもアキュナも、誰も待てと叫ばなかったのは当然だろう。とにかく今は、奴らの気が変わる前にラベンヘイズへ、そしてアニムに帰還するべきだ。アキュアの提案にスレンとアターシアの二人は、二つ返事で頷いたのだった。
アターシアは、冒険者と使用人を先に出立させ、その数日後、彼らを追いかけるようにアニムに出発することにした。理由は単純。再び襲われた時、冒険者ですら足手まといになるからだ。足の遅い使用人を置いて逃げるわけにはいかない。逃走を選べないのなら迎え撃つしか無い。その時、スレンが戦力として数えられないのは考えられないことだ。
ラベンヘイズの宿屋で即席に連携を組み立てる。そして警戒を保ったまま出発。道中、特に何も起きやしなかったが、それでも精神を擦り減らして強行軍を敢行した三人は、アニムに着くなりベッドへ倒れ込み、泥のように眠りに落ちたのだった。
□
アニムへの帰還を果たした翌日、アターシアはアキュナとスレンを連れ、ヘズモントのもとへと向かった。今回は罰を受けるためではない。
「なに? あのジフ・ベルディアージが生きていたと?」
亡霊でも見たような顔で、エルベストルの赤獅子の名を口にしたのは、ヘズモントの護衛騎士であるラハベリクだ。
「ええ、四十名は下らない規模の騎士団を率いていたわ。ベルディアージ以外は無地のサーコートだったから、エルベストルの騎士団ではないでしょうけれど」
「当然だ。やつはエルベストルを追われた身。都市の騎士団を率いられるはずがない」
ラハベリクの言に深く頷くのは部屋主のヘズモント。
「うむ、市長とは昔から見知った仲じゃが、もう何年も奴の口から彼の騎士の名を聞いた覚えはない」
都市を追放され、すでに忘れられた騎士と成り果てたはずだとヘズモント老は語った。だがアターシアの見解は違っていた。
「しかし、彼のような英雄がなぜ我々を襲ったのでしょう」
一切の前触れなく、問答もなく、容赦もなく、彼はスレンたちを殺そうとした。アターシアの言に同意するアキュナ。二人にとって、彼が理由なく人を襲うというのは信じられないことだった。
スレンはジフ・ベルディアージという人物について何も知りはしなかったが、アターシアやアキュナは彼のことを知っていた。知っていたといっても顔見知りというわけではない。王国でも名のある騎士は何名かいるが、ジフはまさにその中のひとりだった。アターシアが呟いたとおり、彼は傑物としてその名を市井に知られ、親しまれているのだ。だが、アターシアの口ぶりにヘズモントは訝しげに片眉を上げた。
「英雄? ああ、アカデミーではそう教わっておるのじゃな」
含みをもたせた言い方にアターシアは反応する。
「どういう意味ですか?」
「奴は英雄などではないよ。確かにエルベストルの騎士団長をしていた頃の奴は英雄と呼ばれるに相応しい男だった。眉目秀麗で女性からの人気も高かったのぉ。謀反を企てさえしなければ、今でも彼は英雄として騎士や庶民たちの憧れとなっていたじゃろう」
「謀反ですか」
うむと頷き、ヘズモントは続ける。
「エルベストルの市長の悪事を暴いたのまでは良かったのじゃがな。それを利用して都市を乗っ取ろうとしたのはちと強引じゃった。奴の企ては中央騎士団によって未然に防がれてしもうた。市長は各方面に影響力のある伯爵でな、ただひとつ、ベルディアージの謀反を除いて、世間に出ることはなかったのじゃ」
「……初めて知りました」
同じ騎士であるアキュナでさえ初耳だという。
「騎士団は彼を追わなかったのですか?」
「探してはいたのじゃろう。じゃが、ベルディアージが一枚も二枚も上手だったということよの」
ヘズモントが悪いわけではないが、納得のいかない答えにアターシアは憮然とした表情になった。確かにエルベストルの市長はとんだ狸なのだろうけれど、それとこれとは別の話。犯罪者を捕らえるべき騎士団が仕事を果たさなかったせいで、あやうく殺されかけたのだから当然である。叶うならば今すぐにでも首都ラミアンの騎士団に怒鳴り込みに行きたい。そんな憤りをアターシアたちが覚えるのも仕方のないことだ。だが一応収穫はあった。
「ジフ・ベルディアージの目的は――」
「やはり、反体制か」
「馬鹿なことを」
アターシアは心底い嫌そうに顔を背けた。己の理想のために無関係な者を傷つけるのかと。
「いや、まだわからぬぞ。ベルディアージの目的が反体制であればお主らを襲った理由はなんじゃ?」
「わかりませんよ。あまりに突然だったもので。まともな問答もさせてもらえませんでしたし」
「ふむ、何か別の目的があるのやもしれぬ」
「先生……」
「儂の方でも探ってみよう。魔道師が襲われたとあっては、アカデミーとしては大問題じゃ」
不安がる愛弟子を安心させるためか、蓄えた自慢の白髭を撫でながらヘズモントはアターシアに笑いかけたのだった。
□
アカデミーに帰還してしばらくたち、スレンの謹慎期間も終わりを告げる。
「その腕、謹慎中にいったい何があったんだ?」
スレンが教室の自分の席に座ると、アルトセインが声をかけてきた。視線は腕の包帯だ。編入して、季節を一跨ぎしないうち謹慎を言い渡されるような不良学生に愛想をつかさず話しかけてくれることはありがたかったが、話の内容は言い辛いことだった。
「ああ、なんて言えば良いんだろう」
「別に、詮索するつもりじゃないよ」
「いや、まあ、ちょっとアターシアに連れられた先で怪我したんだ」
「アターシア? ああ、後見人の。じゃあ今度は王女殿下たちは絡んでいないんだね」
謹慎中だというのに、また彼女たちにまた振り回されたんじゃないかと心配したのだろう。アルトセインは安堵の色を浮かべた。
「はは、謹慎中だよ。会えるわけないだろ」
スレンは思い出す。謹慎中が刺激的すぎて忘れてしまっていたけれど、スレンには、ヨルヤとミルレットに問わねばならないことがあった。スレンにとってジフ・ベルディアージが何を企んでいるかなど、どうでもいいことだ。それよりも、一緒に『光る石壁』の正体を暴いたふたりが、本当に危険な研究をしていたのか。あの部屋の持ち主だったのかを確かめなくてはならない。そしてもしも本当なら、自分を巻き込んでいったい何を企んでいたのかを問いたださなくてはならないのだ。
この日、スレンは初めて授業中に居眠りをした。そしてその浅い眠りのなかで、例の悪夢を見た。
だが、いつもの夢とはずいぶん違っていた。まず、場所がショッピングモールではなく、アニムの商業区だった。アルトセインと一緒に行った大通りそのものだ。そしてもうひとつが、隣に並んでいる女がラベンヘイズ近くの森で見た白ローブの魔道師だというところだ。ほんのひと目見ただけなのに。なぜ彼女が? とスレンは夢の中にあって疑問に思うが誰も答えてはくれない。
ただ、あとの流れはだいたい同じだった。賑わう大通りに突如通り魔が現れ、無詠唱魔法で次々と市民を虐殺していく。スレンは彼女を叫んだが、結局、彼女の真っ白なローブが真っ赤に染まってしまった。
彼女が地に伏せる。その勢いでフードが捲れ上がる。長く艶やかな黒髪が扇状に広がって、スレンは彼女の琥珀色の瞳を見て酷く動揺した。
「――れん、スレン!」
「ん、んうん?」
「もうお昼だよ。今日は図書館へは行かないのか?」
揺り動かされ、スレンは目を覚ます。顔をあげるとアルトセインの顔が真正面にあった。
「酷い顔だな。真っ青だ」
「もしかしてうなされてた?」
夢の内容はあまり覚えていなかったが、感情はこびりついている。ただこの胸の澱みは、いつも目覚めに感じている絶望や憎悪というよりも不安に近い。ただ、相手が夢である以上その正体を確かめることはできない。スレンはただただ、それがもどかしかった。
「いや、嫌な夢だったのか?」
「どうかな」
嘘。酷く嫌な夢だった。だが言葉にしたくなかったスレンは、心配する親友にはぐらかすように苦笑いを向ける。
「とにかく図書館に行くよ」
そうして、逃げるように教室を後にしたのだった。