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46 ラベンヘイズの原色地

「ここまでくれば大丈夫かしらね」


 呪文の改変を試みる。それはスレンが思っているよりも重大で深刻な挑戦だった。だからこそアターシアは、冒険者はもとより魔法に一切関わりをもたない使用人たちにすら聞こえないほどの距離をとったのだ。いくら研究狂いと評されていても、その辺の自己保身くらいはアターシアだって心得ている。


 街道から少しはずれた草原に手頃な木をみつけ、アターシアは仰々しく向き直る。手には、何千回と振るってきた愛用の短杖。研究者にしてはすり減った柄は、フィールドワークに重点を置いている彼女の研究スタイルを如実に表している。


 深呼吸をして、短杖を構えるアターシア。


 大切なのは自分のなかの常識を疑うことだ。「研究者たる者、懐疑的であれ」とは師匠の言葉。十三歳、二年生の夏にヘズモントと出会い、彼の教えとともに歩んできた八年間。それでも抜け出せなかった常識に、今こそ抗う時。そう意気込んで、アターシアは短杖を振り上げた。


「来たれルート。水よりも冷たく、凍てつく氷が欲しい!」


 短杖の周囲に冷気が集まる。ペキペキという小気味いい音がして、やがて拳大の氷塊が現れた。


「……」


 だがそれだけだった。恐らく思い描いていた未来とは違ったのだろう、アターシアは焦ったように言葉を連ねた。


「ええーっと、尖る! ピンッって! それから、放たれた矢の如くあの木に刺され!」


 なんともまあぐだぐだな呪文だ。だが、氷塊は彼女の望んだとおり、氷柱となり、目の前の木に向かって射出された。木をなぎ倒すほどの威力はない。ただ突き刺さっただけだ。けれど魔法の威力が問題なのではない。改変した詠唱で発動することができたという事実がすべてなのだ。


「やった……やった、やった!」


 瞠目していたアターシアは、噛みしめるように歓喜を表した。だが対照的にアキュナはとても不安げだった。詠唱学の権威たる魔道師や神官が何十人も関わって、そして何年もかけてようやく一部を改定するようなものを、アターシアはたった一人ですべてを塗り替えてみせた。権威たちはこれを許容するだろうか。いいや、きっと彼らは糾弾する。なにせアターシアと彼らとでは研究の目的が違うのだから。彼らは詠唱学の発展と、自身の権威を誇示するため。新しく呪文を改定することで彼らが得られる評価は限りない。対してアターシアは、魔法の根源に迫るため。呪文の改変はその過程に過ぎない。アターシアが権威主義者であったなら、詠唱学の権威たちも彼女を取り込む頭を持てたかもしれない。しかし詠唱そのものもを破壊するようなアターシアの研究は、けっして看過しうるものではないだろう。


「アターシア!」


 そのことをアターシアはわかっているのだろうか。アキュナの悲痛な叫びにアターシアは、こともなげに答えた。


「そんな顔しないでよアキュナ。私だって異端者にはなりたくないわ。だからこのことは私たちだけの秘密よ」


 一方、スレンにとって、アターシアの成したことは、喜ばしいことなのかそうでないのか、正直微妙なところだった。せっかく覚えた呪文なのに、それじゃなくても良いよと言われたようなものだからだ。しかもアターシアが秘匿を命じたということは、これからも「これじゃなくてもいい」呪文をわざわざ覚えなくてはならないということに他ならない。考えるだけでも溜め息がでる。


 人間って面倒くさいなぁ……


 それがスレンの率直な感想だった。そんなわけでスレンの口からは、


「アキュナも大変だね」


 と、周囲を顧みず研究に邁進する友人を持つ彼女の心労を気遣う言葉が紡がれる。だが、これについてアターシアが「あんたに言われたくないわよ」と不機嫌顔で抗議したのだった。


 ラベンヘイズへは、アニムから東に三日ほど馬車を走らせれば到着する。人口数千人規模の地方都市だ。そこで使用人と冒険者を置いて、スレンとアターシアとアキュナの三人は、馬で半刻ほどの距離にある原色地へと向かった。この三人なら冒険者は居ないほうが戦力が上がる。なぜならスレンの無詠唱や自然界の魔力を使った魔法が解禁されるからだ。獣相手ならば、たとえ接近されても気兼ねなく魔法をぶっ放すことができる。盗賊? それはスレンによってすでに全滅させられている。


 三人はなんの憂いもなく草原を駆け、ほどなく原色地の端へと到着する。だが馬を停めたアターシアは訝しげに地図を広げた。


「おかしいな……」


 アターシアの後ろに座っていたスレンが地図を覗き込んだ。


「どうしたの?」

「もう原色地の魔力を肌で感じられても良いころなのに」

「もう少し進んでみる?」


 アキュナが提案する。虎穴に入らずんば虎子を得ず。アターシアは頷き、馬の腹を軽く蹴った。





 だが、どれだけ行っても一向に魔力は濃くならなかった。かといって薄くなるわけでもなく、ラベンヘイズから全く変化を感じられないのだ。もっとも肌で感じられないだけで、微々たる変化はあるのかもしれない。しかし、どのみち肌で感じられるほどの変化が無いのであれば、それは原色地とは呼べはしない。

 ただ、魔力的にはこの場所に原色地があったなんて、知らなければわからないような有様でも、目に映る風景は、まさに原色地のそれだった。といってもスレン以外の二人は原色地の深部に入ったことはないのだが。それでも、来た道とは明らかに違う光景に、二人はこの場所が紛れもなく原色地の跡地であることを確信した。


 そこら中に野生動物の白骨死体が見られるようになったのだ。これは濃すぎる魔力に当てられたせいだ。魔力中毒とでもいうべきか。強い魔力に惹かれ、不用意に近づきすぎたために掴まったのだろう。


 さらに深く進むと、白骨死体すらも姿を消す。草木もなく、生物の気配が消えた。


「不気味ね」


 そして一行は原色地の中心部へ到達した。というのも、スレンが馬を飛び降りたのだ。そして地面に転がっているそれを拾い上げて、


「これ、魔力の結晶だよ」


 と告げた。


「魔力の結晶?」


 アターシアも、アキュナも、初めて聞く言葉だった。


「黄昏の森にもあった。魔力がすっごく濃くなると目で見えるようになるんだ。それが固まったのが結晶」


 そして掴んでいる球体に目を落とし「これはもう駄目だけどね。魔力が少ないし、それに、いろんな魔力が混ざってる」と溢した。


「もとは何属性の原色地だったの?」

「火属性よ」


 しかし、スレンの抱えている球は灰色に濁っている。原色地の中心に座する魔力の塊とはとても思えない弱々しさだ。スレンの話が本当なのであればと、アターシアは溜め息にも似た息を吐いた。


「これはもう駄目ね。ラベンヘイズも」


 濃すぎる魔力は有害だが、魔力がなければそれはそれで生きられない。もちろん、原色地の魔力が消失したわけではない。だが、豊かではないのだ。ただそれだけで、人が都市を放棄する理由としては十分なのだ。


「どういう意味だ?」

「あんただって、その、黄昏の森っていうのは原色地だったんでしょう? 原色地に住んでいたっていうのはこの際おいておいて、魔力に満ちた土地っていうのがどれだけありがたいかわかっているでしょう?」


 スレンは頷く。頷き返したアターシアは続ける。


「魔力の痩せた土地の都市が朽ち果てるのは当然だわ」

「街を捨てるってこと?」

「そうね」

「簡単に言うなぁ」

「重々しく言ったって結果は一緒でしょ」


 手をピラピラと振るアターシア。


「まあ、そうだけど」


 スレンは肯定すると、球を地面に置く。そして手をかざし、


「捨てないで済むならそれに越したことはないんだろ? なら、やるだけやってみるよ」


 と呟きつつ、残滓のように残った魔力を抜き取った。そして、まるで編入試験の時に使った水晶玉のように無色透明になったそれに、火属性の魔力を注ぎ込み始めた。

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