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42 してぃーがーる 2

 ミザリさんが、歌う小麦亭を指して他とは少し違うと言った意味は、働き始めてすぐに知ることとなった。昼間は店内が薄暗くて気が付かなかったけど、お店には小さなステージが設けられていて、毎日、決まった時間に歌手が立つらしい。


 そして実際に働くようになって数日、私も彼女の歌声の虜になってしまった。


 歌う小麦亭の顔でもある歌手、彼女の名はレエラ。店主のハンスさんがまだ店を継ぐ前からこの店で歌手を務めているらしい。強面のハンスさんが、レエラさんにかかればまるで坊や扱いだ。とはいえそれが許されているのもレエラさんの人気があってのこと。レエラさんがステージに立つ時間の少し前から、お店は必ず満席になり、料理人も全員フル稼働。お店が一番賑やかになる瞬間なのだ。


「マリ、そろそろ休憩にはいっとけ!」

「あ、はーい」


 そんなお祭りのような時間を目前に控え、私はハンスさんに怒鳴られるように休憩を促された。はじめの頃は怒られたのかと思ってびっくりしたけど、今はもう慣れっこだ。私は用意された賄いを持って奥の休憩室へと向かった。


 休憩室へ入ると、ちょうどレエラさんが準備をしているところだった。艷やかなダークブラウンのロングヘアを後ろで束ねて、お客さんから贈られたらしい豪華な髪飾りで留める。スレンダーな体つきがとてもセクシーで、手も、農作業で豆だらけになった私のとは比べ物にならないくらい綺麗だ。


「レエラさん! おはようございます!」

「あら、マリ。おはよう」

「もうお店、満員ですよ!」

「ふふ、みんないつも聴いているのにね」

「そんな、レエラさんの歌なら何回だって聴きたくなりますよ!」


 扉から漏れる歌声に惹かれて、お店の前に立ち止まってしまう人がいるのを私は知っている。


「あら、マリもそう思ってくれるのかしら」


 レエラさんなりの冗談なのだろうか。信じられないことを聞くものだから、私は一拍、詰まらせてしまう。


「――っ、もちろんですよ!」

「ふふ、ありがとう。マリはいつも元気ね」

「レエラさんにもわけてあげますよ」

「いつも勝手に貰っているの、気づいていないのかしら」

「ならおあいこですね。私もレエラさんから勝手に癒やしパワーを貰ってるので」


 なんて冗談を交わし合う。もちろん癒やされているのは本当だけど。


「なあに? 癒やしパワーって」

「私、ここで働けて本当に嬉しいんです。だって、レエラさんの歌が聴けるから」


 本心なのに照れ臭くて面と向かって言えない私は、つい視線を伏せてしまう。これではレエラさんの反応は窺えない。けど、俯いた私の頭上から予想外の言葉が返ってきて、すぐに頭を上げることになった。


「いつも鼻歌歌ってるものね」


 その瞬間、顔から火が出た。本当に出たの!


「き、きき聞こえてたんですか?!」

「私、耳はいいのよ」


 茶目っ気たっぷりに耳をつまんでみせるレエラさんだが、私は内心それどころではなかった。すっかり覚えて空で歌えるほど大好きなレエラさんの歌。私は色んな所で口ずさんでいるけれど、まさか本人に聞かれるとわかっている状況で歌うなんてしない。だから私の鼻歌を彼女が聞けるとすれば、それは彼女がステージに立っている時しかないのだ。そして私は、レエラさんの艷やかな歌声と、少しの話し声が入り交じるお店の隅っこで、彼女の歌う姿を見つめながら、彼女の歌に合わせるようにほんの小さく口ずさむことがあった。まるで一緒に歌っているような気持ちになれる、私にとってとても幸せな時間。だけどそれがレエラさんに見られて――いえ、聞かれていただなんて!


「ごごごめんなさい! 邪魔してしまって」


 恥ずかしいやら申し訳ないやらで私が慌てて謝ると、レエラさんはふんわりお花のように微笑った。


「邪魔なんかじゃなかったわよ。デュエットしてるみたいで楽しかったわ」


 そして続けざまに「一度本当に歌ってみる?」と。冗談なのだろうけれど、今の私にとっては心臓に悪い悪戯だ。


「ごめんなさい……」


 穴があったら入りたいよ。





 だが、まるでレエラさんの発言が予言だったかのように、私がステージに立つ日はすぐにやってきた。


 ある日、出勤すると店内がどよめいていたので、何かあったのかと同じ給仕担当の先輩に尋ねると、信じられない答えが返ってきた。


「え、レエラさんが来れない?」


 思わず問い返す。しかし私の聞き間違いではなさそうで、つい今しがた、レエラさんのところへ向かわせた遣いが、ステージに立てなくなったという報告を持って返ってきたそうだ。


 レエラさんはこの店の顔だ。歌う小麦亭という店名の、歌というのはもちろんレエラさんのこと。それほどまでに彼女の歌を楽しみにしているお客さんは多い。


「なにかあったんですか?!」「ちょっとマリ、落ち着きなさい」


 思わず声を荒げてしまう。お店の顔だから心配なんじゃない。私だってレエラさんのファンなのだ。いったい彼女に何があったのか。今まで欠かさずステージに立ち続けた彼女が、自分勝手な理由で休むなんてあり得ない。きっと彼女の身に何かあったんだ。 

 いてもたってもいられなくなった私は、詳しい話を聞きたくて、着替えを手早く済ませた後、急いでハンスさんのいる厨房へ向かった。

 きっとハンスさんも頭を抱えているはずだ。思い浮かぶのは常連さんたちの顔。レエラさんが来れないと知ると、みんなにがっかりさせてしまうだろうから。


 厨房へと続くスイングドアをくぐると、頭を悩ませているハンスさんの姿が飛び込んできた。後ろでは忙しなくお弟子さんたちが料理を上げているというのに、店主であるハンスさんはすっかり座り込んで云々唸っている。まさか本当に大変なことが起こったんじゃ!?


「ハンスさん!」

「ん? ああ、マリか」

「マリか、じゃないですよ。レエラさんはっ……」


 言葉を詰まらせたのは、大丈夫じゃないと言われるのが恐ろしかったからだ。ハンスさんに慌てた様子は見られない。ということはもう手遅れなのか。すべてが終わってしまった後なのか。そう、文字通り《終わってしまった》後なのだろうか。彼の姿を見た一瞬で、私は青ざめ、いくつもの可能性を思い起こす。


 彼女は寡婦で、両親ももう他界しているらしいから弔事ということはないだろう。なら彼女自身に何かが起こったのだ。重大な病に侵されたのか。それとも大怪我を負った? 最近は空き巣が多いとお客さんが話していたのを思い出す。まさかレエラさんの家に強盗が押し入ったのだろうか。それで彼女に怪我を負わせた……。命に危険が及ぶような大事なら、そういう知らせが届くはずだ。でもそうじゃないということは、少なくとも彼女の命に別状はないだろう。けど、ステージに立てなくなったって……。


 絶望に苛まれる私にハンスさんは、深い溜め息を吐いた後、レエラさんの身に何があったのかを教えてくれた。


「大事な髪飾りを失くしたんだと」


 そんな……そんなことって!


「……え?」


 一瞬、心に雷が落ちたかと思った。本当にそれくらいの衝撃を感じたのだけど……。一拍遅れて追いついた頭が、私に取り乱す必要はないと教えてくれた。

 キョトンとする私を見て、ハンスさんはさらなる溜め息を吐いた。


「はぁ、だよなぁ。そうなるよなぁ。あんのババァ……」

「……はぁ」


 溜め息と一緒に愚痴を溢すハンスさん。髪飾りというのは、レエラさんがいつもしているあれのことだろうか。カロア村にいた頃は、弟がよく川縁に咲くたんぽぽで髪飾りを作って私にプレゼントしてくれたものだ。レエラさんの無くした髪飾りは、もっとちゃんとしたものだ。かなり高価なものなのかもしれない。けれど……


「あの、それで、お休みなんですか?」

「そうだよ。遣いの話じゃ、酷い落ち込みようだったらしい。昔馴染みだった客から貰ったものらしい。旦那が死んだ時でさえ、次の日から歌わせろって言って聞かなかったってのに」

「はあ……」


 呆れ半分、安心半分。肩透かしを食らってしまった気分だ。大事がなくてよかったけど、問題が解決したわけではない。


「あの、それでどうするんですか?」


 私が尋ねると、ハンスさんはこちらをじっと見つめて停止する。その視線が、なにか良からぬことをはらんでいるのは容易に想像できた。たじろぐ私。


「……いつか、こういう日が来るとは思っていた。いやいや、それにしてもしょうもない理由だがな。だが、これから先のことを思えば、この程度の理由でラッキーだったのかも知れない。それになるほど、レエラの話はこういう……」

「あ、あの、ハンスさん?」


 何がラッキーなんだろう。人を置いてけぼりにして勝手に納得しないで欲しい。

 腹を決めたような、深刻な決意をしたような、そんな面持ちでハンスさんは口を開いた。


「マリ、おまえ歌え」

「は?!」


 思わず飛び出た無礼な感嘆符に両手で自分の口を抑える。しかしすぐに思い直して手を口の前からどかした。


「ちょっと待ってください! どうして私なんですか。目の前にいるからって、そんな適当な……!」


 店の二大柱の一本を埋める人選だというのに、まるで他人事のように決めるハンスさん。しかし私の訴えは圧倒的無慈悲に退けられる。それもこの場にいないレエラさんの手によって。


「適当じゃない。レエラが、もしも自分に何かあったら、他の歌手を雇うよりマリ、お前を使ってやれと推薦したんだ」

「……っ!」

「なぜかは知らんが、お前はずいぶん買われているらしい。歌うたいの素質があるとすら言っていたぞ。お前の歌を知らない俺にとっては賭けでしかないが、レエラがあそこまで言うのなら、まあ、乗ってみるのも良いだろう」


 歌うたいの素質ってなんだろう。とにかく、ハンスさんの話を聞いてわかったことがひとつ。

 私に断る権利など、はじめから無かったとうことだ。

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