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37 アカデミーにまつわる不思議話

 スレンとヨルヤの放課後の授業はずっと続いていた。スレンに語学の素質があるのか、あるいは教師役が優秀なのか、どちらにせよ存外努力家なスレンは、シフォニ語の習熟度をかなり向上させていた。シフォニ語がわかるようになればアグニア語にも手を付けることができる。魔導書から知識を得るためにはアグニア語の理解は必須。魔道師にとって当然の教養であれば、ヨルヤの授業を受けない手はない。


「フィラーで森、木はイディ、葉は……」


 シフォニ語とアグニア語の文法はほとんど同じだ。わずかに言い回しに違いがあるくらい。元となった言語が同じなのだから当然だ。だから学習のほとんどは単語を学ぶことに費やされた。


「ねえ、黄昏はなんていうの?」


 スレンにとって森という単語に一番親和性の高い言葉は、故郷を思い出す《黄昏》だった。


「ライアビュートね」

「ライアビュート!」


 スレンは嬉しそうにヨルヤの言葉を復唱し、反芻する。その様子にヨルヤも、微笑ましそうに目を細めるのだった。


 もうすっかり日が短くなったアニムの空。窓から差し込む茜色の光線もやがて黄昏へと移り変わるだろう。ほとんどの利用者が帰宅した図書館は、まるで世界にふたりだけしか存在しないような錯覚さえ覚えるほど静かだ。ふたりの声と息遣い、それに本を捲る音だけが時間の鼓動を証明している。いや、本当にそうだろうか。もしかしたらふたり以外の時間が止まっているのかも。ヨルヤの声に耳を傾けるスレンにそう思わせるくらい、この空間はまさに今、ふたりだけのものだった。

 それをぶち破ったのは、乱暴に開かれた会議室の扉と、およそ王女とは思えないほど貞淑さを欠いたミルレットの元気な声だった。


「ヨルヤ!」


 突然の訪問者にビクリと方を震わせるスレンとヨルヤ。驚かされたことに苛立ったのか、ヨルヤが咎めるように王女の名を口にした。


「ミルレット、図書館では静かにしてって言ったで――」

「あれ、ヨルヤ、スレンと知り合いだったの? いえ、やはりそうだったのねと言うべきかしら」


 ミルレットは、ヨルヤが職場実習の一環でアターシアに付き添い、カロア村へ赴いたことを知っている。


「ふたりは何をしているのかしら」


 ヨルヤの苦言など気にもとめずにミルレットは、ふたりの後ろから机に広げられた本を覗き込んだ。


「アグニア語? ヨルヤ、貴女はもう話せるでしょう?」


 ヨルヤは座学において学年主席。当然アグニア語も会話できるレベルで堪能だ。そのヨルヤがアグニア語の辞書など開くだろうか。しかし隣に座るスレンを見てミルレットはすべてを察した。


「あのヨルヤが他人にものを教えるだなんて、珍しいこともあるものね。その様子だと今日だけではなさそうだけれど、いったいどういう風の吹き回しかしら」

「別に、ただ気が向いただけよ」


 茶化すミルレットをヨルヤは動じることなく受け流す。しかし、


「ミルレット、邪魔しに来たんなら帰れよ」


 という無礼極まりないスレンの言葉には目を丸くせざるをえなかった。


「あら、ずいぶんね。せっかく楽しい話を持ってきてあげたのに」


 ミルレットも怒る様子はない。


「貴方たちこそ、いったいいつの間にそんな仲になったの」


 訝しげなヨルヤに、秘密よと笑ってみせるミルレット。そこへ水を差すようなスレンの「でかい魔法を見せたら誰も文句を言わなくなるって、ミルレットが言ったんだ」という言葉に、それで王女のミルレットに普段の調子で接しているのかと、ヨルヤはもはや呆れるしかなかった。


「知らないの? かなり噂になっているのよ」

「アターシアが可哀想だわ」


 ミルレット本人は気にしていないが、スレンの後見人であるアターシアにとってみれば冷や汗ものだろう。


「でも怒られなかったよ?」


 あっけらかんとしたスレンに、「それはもう手遅れだからでしょう」とヨルヤは諭すように答えた。スレンが自身の魔法の特異性を守秘したことが、彼女にとってかけがえのない救いになったに違いない。




「それで、楽しい話って?」


 ようやく触れられた話題に、待ってましたとミルレットは話を切り出した。


「スレンは知らないでしょうけれど、ヨルヤは聞いたことがあるわよね。アカデミーにまつわる不思議話」


 案の定スレンは首を傾げるだけだが、ヨルヤは肯定する。


「一応知っているわ。名前だけだけれど」


 叡智が結集する図書館の常連であるヨルヤが知らないはずがない。だが、詳しく知っているかは別だ。


「月夜の魅了薬、神と会える眼鏡、夜な夜な動くフィーロ像、光る石壁、失われた全の書、城壁上の踊る兵士、というのがあるわ」

「新しい不思議話が増えたのかしら。それともどれかの真相を突き止めるヒントを得たのかしら?」


 意気揚々と話を持ってくるのだから、どちらかだろうとヨルヤは予想する。すると水を得た魚のごとくミルレットは得意げに語りだした。


「後者よ。今言った話のうち、ここ図書館に関係しているのがふたつあるの。光る石壁と、失われた全の書よ。このうちのどちらかひとつの真相を突き止める手がかりを持ってきたわ」

「どっちなのよ?」


 もったいぶるミルレットは人差し指をぴんと立てる。


「当ててみて。アカデミーは最初要塞だったのだけど、その時この図書館はなかったの。知っているわよね。だからこの図書館が建設される時に、もともとあった部屋のいくつかが使えなくなってしまった」

「わかった!」


 話の途中でスレンがガタリと立ち上がる。


「その部屋の灯りが、窓から漏れて光ってるんだ!」

「正解。ほとんどの部屋の窓は封鎖されたんだけど、たったひとつだけそのままにされた部屋があったのよ」

「そうは言うけれど、光る石壁はアカデミーの城壁にあるはずよ。図書館はアカデミーの中庭のまんなかにあるのに、どう繋がるというの?」


 矛盾しているとヨルヤ。しかしむしろミルレットは、よくぞ指摘してくれたとニヤリと得意げに笑みを深めた。


「ある学生が……その部屋の付近を探したのだけれど、どこにも扉らしきものが見当たらなかったんですって。それでアカデミーの見取り図を探して調べたら、図書館の真下に謎の空間があることがわかったらしいの。部屋にしては狭いそれはいったい何だと思う?」

「何だったの?」

「それがわかる前に彼女は殺されてしまったらしいわ」


 思わぬ結末に絶句するスレンとヨルヤ。お構いなしにミルレットは続けた。


「わたくしはその隙間というのが光る石壁の部屋へと通じる階段かなにかだと思っているわ」

「……危険なんじゃないの?」


 穏やかでないキーワードが飛び出したことに警鐘を鳴らすスレン。しかしミルレットに怖気づく様子はない。


「その女生徒の失敗は、ひとりで謎に迫ろうとしたこと。そして王族でなかったことよ」


 王女の自分に危害を加えられる者など、このアカデミーには存在しないと自信満々にミルレット。たとえ事故を装い殺害に及んだとしても、王族が死んだとあれば、必ず調査の手は入る。であれば王族を殺してまで隠したかった秘密は白日のもとに晒されるだろう。つまり自分に目をつけられた時点で、謎は謎でなくなることが決定したのだと、ミルレットは嘯いた。それに――と、王女は続ける。


「麗しの図書館の君、ファーロラーゼ公爵家の令嬢ヨルヤ・ファーロラーゼと、今やアルトセイン・メイオールを追い落とし、実技において学年主席の地位を手に入れた大魔道師スレンが仲間にいるのよ」

「誰のことかしら」「誰だよそれ」

「というか、勝手に仲間にしないでもらえるかしら」「そうだ。こっちは王族でもなんでもないんだぞ」

「あら、貴方たちの実力なら自分の身くらい自分で守れるでしょう? ヨルヤだって、座学の成績が目立っているだけで、実技は次席じゃない。あ、今は三席かしら」


 スレンとヨルヤの抗議は、事もなげなミルレットにあっさりと跳ね返される。だがわかっている危険に自ら足を突っ込む馬鹿がいるだろうか。


「おれは手伝わないからな」


 断固として拒絶するスレン。ミルレットは、男子ならば冒険心に心躍らされるものではないのかと、意外そうな表情を浮かべた。


「あら、興味ないの?」

「そういう問題じゃないだろ」


 スレンの拒絶は、自分が参加すればヨルヤもそうせざるを得なくなると考えてのものだった。殺人が起きるようなことにヨルヤを巻き込ませたくない。だが、それは同時に、ヨルヤが抱き込まれてしまえば、スレンが参加せざるを得なくなるということを表していた。


「ヨルヤは手伝ってくれるわよね?」


 スレンに振られたミルレットは、言葉では懇願しつつも、目には少しの殊勝さも映し出していない。彼女には確信があるのだ。そしてヨルヤもそれをわかっている。だからヨルヤはやれやれと溜息を吐いたのだった。


「……どうせひとりでもやるのでしょう。放っておけないわ」

「ヨルヤ?!」


 当然、スレンには信じられない回答だ。だがヨルヤの琥珀色の瞳には微塵の躊躇も感じられない。ただ、その理由はすぐにわかる。


「従姉妹なの」


 ヨルヤのその言葉で、スレンは説得を諦めるのだった。

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