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29 ヨルヤ・ファーロラーゼ

 ヨルヤ・ファーロラーゼはファーロラーゼ公爵家の末娘である。つまり公爵令嬢というやつだ。王族とは親戚筋にあたり、低位とはいえ王位継承権保持者でもある。普通ならば取り巻きの五人や十人は引き連れていそうなほど高貴な身分だが、彼女に限ってはただのひとりもいない。入学当初はミルレット王女ほどではないが、ヨルヤの周りにもそれなりの数の取り巻きはいた。しかし、話しかけても反応のない人形の相手など誰もしたくない。打ってもイマイチ響かないヨルヤの反応に取り巻きたちは、ひとり減りふたり減り……やがて彼女の周囲から金魚の糞は綺麗サッパリいなくなったというわけだ。

 だが、ヨルヤがどういう人であれ、その身分と立場はどの貴族にとっても捨て置けないものだ。煩わしい取り巻きの排除に成功したヨルヤは、監視されるような視線から逃れるために、ひとりになれる図書館に逃げ込んだのだった。

 余談だが、以前ヨルヤは、従姉妹の王女に「よく平気ね」と尋ねたら「これも仕事だわ」と返ってきて感心したことがある。


 閑話休題、今日も彼女は放課後の図書館に籠もっていた。

 今、彼女が読んでいるのは『アグニア国の遺産』という学術書だ。アグニア語が堪能であることは、魔道師の必須技能。公爵家の潤沢な懐事情から、アカデミー入学以前より高名な魔道師を家庭教師につけられていたヨルヤは、すでにアグニア語をマスターしている。だが理解をより深めるうえで、アグニア国について知ることは、とても有効だろう。


 ヨルヤは図書館の最奥、赤々と灯るランプの下、長椅子に腰掛け『アグニア国の遺産』という本のページをめくる。遺産といっても金品財宝の類ではなく、アグニア国時代に誕生し、今なお存在し続ける被差別階級に関する本だ。


 《キャイル・イルーゼ》

 己の血を触媒に魔法を発動させる者たちのことだ。アグニア国の誕生には彼らの功績が大きかった。だが、魔法の氾濫を危険視した魔道師たちはキャイル・イルーゼに対して粛清を起こした。


「神々へ向けた祝詞なくして魔法を得ることは、神々の加護を姑息にも盗むことだ」

「ましてや血をもって悪事の手段とするなど、命の神イルスへの裏切りだ」


 これによってキャイル・イルーゼたちは禁忌を犯す異端者として扱われるようになった。裏切りとも取れる当時の魔道師たちの粛清は、五番革命――五は生命属性を表す数字だ――という誉れ高い名前がつけられている。


 異端者となったキャイル・イルーゼは、忌み嫌われ、蔑まれる身分として社会に組み込まれている。ルイルという略称さえあるほどに社会に定着している。魔法を独占したい魔道師たちの思いとは矛盾しているが、ルイルの子どもや犯罪者が新たにルイルとして登録され、ゆえに彼らはその数を減らすことはない。王国によって管理され、危険な石切場などで血を代償とした魔法の使用を強要されているのだ。当然、過去何度か反乱が起きている。だが、その度に鎮圧され、強化改善された管理体勢のもと、今では生きながらに死んでいるような、封建社会にあって唯一の奴隷として飼育されている。社会の生贄。市民への見せしめ。そして戦時には簡易な魔道戦力となるだろう。

 彼らを目撃した時、誰もが安堵する。自分でなくてよかったと。そして生活に余裕のあるものは哀れみの視線を差し向けるだろう。そしてヨルヤも、例外ではなかった。文字を追う彼女の瞳は、憐憫と軽蔑が入り混じったものだった。


 ふと、絨毯の上を歩く柔らかな音をヨルヤは遠くに捉えた。こちらに近づいてくる。普通の利用者か、はたまたマナー違反の監視者が探しに来たのか。平穏を乱されたことにわずかに不満をいだきつつもヨルヤは文字を追い続けた。

 ついに足音がすぐそこの角を曲がる。障害物を通さずに聞こえる来客の息遣いは驚きを顕にするもので、どうやら自分を探していたわけではないらしいと、ヨルヤは悟る。同時に、不思議に思った。来客が引き返したのだ。俯いた頭から垂れる前髪の隙間から来客の足元を見ると、どうやらアカデミーの学生――それも低学年だろうことがわかった。


「本を探しに来たのではないの?」


 そう言いながら本を閉じ、顔を上げたヨルヤは思わず瞠目した。来客は今年の職場実習で赴いたカロア村で出会った魔法使いの少年だったのだ。そういえば噂好きの従姉妹が何か言っていたことを思い出す。あの時、噂の的だった変態というのはやはり彼のことだったのだ。名はたしか……そう、スレンだ。


 一瞬目が合う。しかしスレンはすぐに視線を下げてしまう。照れているのかと思ったが、自分の知っている彼は、物怖じしない毅然とした態度を崩さない人物だった。盗賊との戦いを控えて、アターシアの加勢の申し出を断るだけの自信も兼ね備えていた。だとすれば俯いた彼はいったい何を見ているのだろうか。思い当たる節はあった。彼との初対面はカロア村ではなく、その手前の滝だ。その時ヨルヤは沐浴をしていたため裸だった。迂闊だったろうか。同行者は全員女性だったし、最寄りの村からも半日は離れている山中で、まさか人に遭遇するなんて思ってもいなかったのだ。


 眼の前の女性の裸をその場で思い出して、服の上から想像するだなんて、これではスレーニャやミルレットの言う通り、紛うことなき変態だ。ずっと森で暮らしてきたために常識に多少のズレがあったとしてもこれは如何なものだろうか。

 ヨルヤはいつも物静かで、冗談なんて一言もいわない。強いて言うときがあるとすれば従姉妹のおふざけに対する皮肉めいた小言くらい。他の学生にも興味を示さないような淡白な性格――というより人を寄せ付けない雰囲気をいつも放っていた。だからこれは彼女にしては珍しい行動だった。


「……えっち」


 本を抱えて胸を隠し、まるで窘めるような視線でスレンを見上げる。ギシッという効果音でもなるように硬直したスレン。どうやら図星だったらしい。しかし顔を上げてくれなければ意味はない。ヨルヤが屈んで覗き込むと、驚いたスレンは大袈裟に仰け反った。


「あ、その……」


 吃るスレン。カロア村ではあんなに勇ましく戦い、あまつさえ身震いしてしまうほどの強さを見せたというのに、これではまるで可愛い子栗鼠だ。


「本を、探しに来たのではないの?」


 ヨルヤは再度尋ねる。


「あ、う、うん。辞典を……」

「辞典?」

「そう。文字を、覚えるのに便利だからって、アターシアが」

「ああ……」


 自分たちは半年も前からアグニア語を勉強しているが、スレンはつい先日から。授業についていくのも大変だろうとヨルヤは納得する。

「それなら……」と、立ち上がって書架から一冊の本を取り出した。


「これはどうかしら」


 以前、ヨルヤ自身もお世話になった辞典だった。神々について、アグニア語とシフォニ語のふたつの言語の説明が記載されているものだ。もちろん挿絵もある。ヨルヤはスレンに見せるように本を広げた。


「……」


 しかしスレンの反応は芳しくない。いったい何が不満なのだろうか。


「どうしたの?」


 首を傾げるヨルヤに、スレンは戸惑いながら呟くように答えた。


「違うんだ……その、シフォニ語がわからなくて」


 つい呆気にとられるヨルヤ。魔法の師匠は教えてくれなかったのかと疑問を浮かべるが、なるほど、無詠唱ならば文字など不要なのだろうと、すぐに思い至る。カロア村で会った時よりもずいぶん人間らしくなっていたので、当たり前のように習得したものと考えていたが、確かに礼儀作法や丁寧な言葉づかい――あとスレンに関しては服を着ることでさえ、この短期間で改善できたのは凄いことかもしれない。


「そういうことなら、ここにはないわよ。だってここはアグニア国の書架だから」

「え……」


 明らかに戸惑うスレン。きっと今、彼は途方に暮れていることだろう。文字がわからない図書館なんて、農民にウーフェ工房製の短杖を与えるようなものだ。物珍しさに目を奪われることはあっても、その価値を理解することはない。しかし彼は理解しなくてはならない。なぜなら彼は農民ではなく魔道師になるためにここにいるのだから。


「こっちよ」


 ヨルヤは本をしまうとスレンを横切り、図書館の入り口の方へ歩き出した。その足取りが軽やかであることを本人は自覚しているのだろうか。途中、書架から何冊か本を抜き取り、スレンに持たせていく。本の背表紙を彼女の白魚のような指がなぞる。柄にもなく鼻歌交じりなのを本人は気づいているだろうか。植物図、有名冒険者の旅行記、神学の研究書、解剖学の本も選んだ。そしてヨルヤはエントランスに近い部屋に入った。


 大きなテーブルが部屋の中央に設えてあり、その周囲に複数の椅子が並べられている。書物は、部屋の角の方に小さな本棚があるだけ。テーブルに持っていた本を置いたスレンが、部屋中を見渡してヨルヤに「ここは?」と尋ねた。


「会議室よ。個室でもよかったのだけれど、たくさん本を広げるから、こちらの方がちょうど良いわ」

「え?」


 その大きく見開いたスレンの目には、困惑とわずかな期待が映し出されていて、ヨルヤはそれが少し可笑しくて、


「ふふふっ」


 と、微笑わずにはいられなかった。

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