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27 悪夢

 眩しい光が天井から降り注いでいる。壁は色鮮やかで、床はアカデミーの石畳よりも艷やかで滑らかだ。まるで巨大な黒曜石を薄く割って敷き詰めたような。しかし色はミルクのように真っ白だ。


 ふと騒がしさが気になって床から顔を上げれば、そこにはたくさんの人たち。老若男女が組を作って忙しなく往来を行き交っていた。かくいうおれもそうらしい。隣を見ると、アノ女だ。


 久しぶりだな。


 もうすっかり忘れていたはずなのに、いざ再び夢に見るとはっきりと思い出せる。いや、思い出せるというほど昔のことでもないような、そう思えるのは胸に渦巻く感情のせいだ。後悔、憎悪、悲嘆、すべてがおれの心を焼いている。


「さすが祝日、すごい人だね」


 右隣を見ると女が微笑っていた。顔も名前も、もう思い出せない。おまえ、誰だ? けれど誰よりも愛しく、大切な存在だという自覚があった。だから彼女に向く感情が不可解でもあり、しかしたとえ夢でも久しぶりに逢えたことがとても嬉しかった。幸福感を感じたのだ。

 とはいえ、いつまでも浸っているわけにはいかない。この夢があの悪夢と同じ結末を辿るとしたら、このまま進めばおれたちを待っているのは惨たらしい悲劇だ。おれはその場から離れようと女の手を強く握った。と、その時、


 パァアアン!


 乾いた破裂音が吹き抜けに木霊した。当然驚きなんてない。有るのは焦りだけだ。とにかく、あんな悲劇はもう見たくない。その一心でおれは彼女の手をぐいと引っ張った。

 わずかな間もおかず破裂音のした方から悲鳴が飛んだ。それが表す恐怖は次々と伝播し、広がっていく。狂乱が狂乱を呼び、人々が荒れ狂う海の大波のように押し寄せてきた。おれは悲鳴の先にいる男からというよりも、逃げ惑う人混みに飲み込まれないようにと走り出そうとした。だがそれは叶わなかった。誰かがぶつかった拍子に女が転倒したのだ。みんな死にたくなくて必死だ。それは彼らの表情を見ればわかる。他人のことなんて考えている場合じゃないのもわかる。追ってくるのは一撃確殺の魔道師なのだ。誰だって最後尾にはなりたくないだろう。ひとりでも追い抜かし、前に進むためには赤の他人の死など、歯牙にもかけない。いったいどこの誰が、殺人鬼から逃れるためにお行儀よく列に並ぶだろうか。そう思うことで必死に憎悪を殺す。とにかく立ちあがらなければ。


「逃げよう!」


 自分の声すら悲鳴にかき消されて酷く遠くに聞こえる。


「XXXくん……」


 不安げにおれの名を呼ぶ彼女の背中から脇の下に手を入れて身体を支える。背後から破裂音が何度もして、驚いて振り返れば、ほんのすぐそこで人が血を吐いて倒れていた。おれの目を見て縋るように伸ばした手は、為す術もなく地面に落ちた。


「大丈夫か? 立てるか?」


 なんとか立ち上がったおれは、その場から離れようと走り出した。


 ただ、すべてが遅かった。すでに男とおれたちとの間には遮るものがなく、人の波も去り、残されているのは逃げ遅れた愚図だけだ。


 ダンッ! 


 その音だけは、ほんの近く、耳元で聞こえた。突然彼女の身体が重くなる。見ると、彼女は胸から血を流していた。


「あ……コハッ」


 小さく咳をした彼女は血を吐いた。


「XXX!!」


 その場で崩れ落ちた彼女の身体には、すでに力は籠もっていない。くぐったりとして瞳も虚ろだ。それでも血の滴る口元を懸命に動かして、彼女は何かを言おうとしていた。


「ち……く、ん………………げ……」

「あ…………あぁああああ……XXX、XXX!」


 彼女の胸が上下する度に、ぜえぜえと喉から不自然な音がする。


「ゴフッ」


 咳き込んだ拍子に吐き出された彼女の鮮血が、おれの頬に斑点を作った。


「あ、あああぁああぁぁあぁぁ」


 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。死なないで、死んでほしくない! そう思いつつも、血の泡を吐く彼女のどうしようもない痛々しい姿に、もう助からないのだと思っている自分もいる。こんなにも苦しんで、辛そうなのに何もしてやれない。けれど、ならばいっそ楽にしてあげたいとも思えないおれは残酷だろうか。残酷なことだろうとも。けれどおれは望まずにはいられなかった。震える手を頬に当て、死なないで、と。溢れ出る涙は彼女の輪郭をぼやかして、最期すら見届けさせてくれないのか。懸命に目を瞑り涙を切る。まだ温かい彼女の手の温もりを感じても、それはもうただの名残にすぎないのか。急速に重さを増す彼女の手に、彼女の命が消えていく速度を感じた。


 おれは懸命に彼女の名を叫んだ。しかし、呼びかけ虚しく彼女はゆっくりと瞑目してしまった。おれは冷たくて硬い床の上に彼女の手を降ろす。どうしてだ、どうしてこんなことにならなきゃいけない。ただ平穏を望んだだけなのに。悲しみに痛めた胸を憎しみで焼きながら、おれは彼女を殺した男を睨みつけた。男は、手に持った妙な形の短杖をおれに突きつけていた。まるでおれがこちらを向くのを待っていたかのように、口元を邪悪に歪め、そして詠唱もなしにおれの頭を撃ち抜いた。







 夢の中で殺されたスレン。しかしその目覚めは穏やかなものだった。ただ気分がいいわけではない。目の端を擦ると少しヒリヒリして、寝ている時に泣いていたことを知った。落ち着いているのは二度目の夢だからか、しかし自分が死ぬところまで見たのは今回が初めてだった。

 そうか、おれはあの後殺されたのか。自分の結末など頭になかったが、なるほど確かに当然のなりゆきだ。

 むくりと身体を起こし、桶に張られた水で顔を洗う。そしてアカデミーの制服に袖を通し、スレンは部屋を出た。


 向かった先はアターシアの研究室だ。すぐ隣に専用のダイニングがあるが、物置と成り果てて久しい。スレンがともに食事を取るようになってから多少ましになったものの彼女の研究室は依然散らかったままだ。かろうじて整えられたテーブルで、向かい合って食事を摂る後見人と被後見人。無言の室内にカチャカチャという食器が擦れる音だけが聞こえていた。


「……アターシア」


 静寂を破ったのはスレン。話題はもちろん夢のことだろう。最近になって獣を辞めたスレンは、人間らしく紡ぐ言葉を探していたが、自分でも良くわからないことを他人に説明するなど、人間見習いの少年には荷が勝ちすぎる。だから獣だった頃のように、端的な言葉を、顔を上げたアターシアの前に並べることにした。


「夢を、見たんだ」

「夢? ああ、あんたが前に言ってた?」


 もう何週間も前のことだが、覚えていてくれたようだ。スレンは頷く。


「そう。今朝見たんだ」

「それで、どんな夢だったの?」


 その問いかけに、スレンはすべてを詳らかにした。一切言葉を選ぶことなく、ありのまま、感じたままを答えた。あと一年、いや半年も経っていれば、夢の中で抱いていた感情を照れ隠しで誤魔化し話していたかもしれないけれど、ある意味生まれたてに等しいスレンは、十二歳の少年にありがちな恥じらいというものを持っていない。ただスレンは、あれらの感情の名前を知らなかった。だから説明はひどく拙いものだった。だが故に、何度も詰まりながら懸命に話すスレンの姿は、アターシアに真剣さを感じさせ、彼女にフォークを置かせたのだった。


「ふうん……それで、他にも夢は見るけど、その夢だけはどうしても気になる、と」


 スレンは沈黙でもって肯定する。顎に手を当てて考え込むアターシアの結論は意外と早かった。


「結論から言えば、正直わからない、よ」


 魔道師に会えばあるいは――というカロア村の村長の言葉は誤りだったのか? スレンはあからさまに落胆した。とはいえアターシアにしても知らないものは知らないのだから仕方がない。ただ真剣なスレンの求めを無碍にするほどアターシアは人でなしではない。仮説などという上等なものではないが、いわゆる所見というやつをアターシアは口にした。


「神殿の連中なら、神々のお導きだとか言うんでしょうけれど、どうだろうね。私は意味を探すよりも見出すべきだと思うわ」


 魔道師には二種類いる。信心深い者と信仰に懐疑的な者だ。中道はいないといっても良い。魔力という魔法の源を研究するアターシアは後者だった。当然、おおっぴらに口にはしないが。


「見出す……?」


 例えば《神々の御意志》のような、計り知れないものが関与したと考えるのではなく、自分のことなのだから自分で意味をつけろと。


「あんた自身、神々と言われてもピンと来ないんでしょう?」


 スレンは頷く。


「そんな超常の者に答えを求めても仕方がないんじゃないかってこと」

「……そうか、確かに……そうだな」


 まだ釈然としない様子のスレン。だが、慌ただしいアカデミーの生活の中に身を置けば、やがては疑問も薄れていくだろうか。

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