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23 新生スレン

 シフォニ王国の暦は、古くからアーグ歴を使用している。神を信仰するアーグ教が誕生した年を元年とする暦だ。今は神歴一四三八年、冬の初め。王国の北部では、すでに雪がちらついているらしい。

 七柱の神が司る七つの属性は、そのまま曜日に当てはめられている。雷曜日、火曜日、土曜日、金曜日、木曜日、風曜日、水曜日といった具合に、順番に巡っている。それぞれの神を司る神殿が別々にあって、それぞれの属性に対応した曜日に例祭を行っている。例えば金属性の神ディアを奉る神殿では金曜日に例祭が行われる。だからディアを信仰している商人は、ほとんどの商人は例祭に参るため金曜日を祝日にしている場合が多い。同じようにパン屋は火曜日か土曜日、浴場は水曜日か火曜日が定休日だ。


 七つの曜日が一巡して一週間。スレンの訓練は約五週間続いた。たった五週間だと思うだろうか。しかしスレンにとってはまさに地獄のような五週間だった。アターシアは最初からスレンの教育の到達地点と期間を定めていたようで、スレンの成長速度によっては五週間を三週間にしたり、あるいはさらなる礼儀作法を身につけさせることも視野にいれていた。だがその逆はありえない。スレンが自分の予想を遥かに上回る世間知らずだったとしても、スレンの理解力がまさしく野獣と同レベルだったとしても、五週間で目標まで到達するという結果を、アターシアは変えるつもりはなかった。そして現実は後者に近いものだった。

 毎日毎日毎日毎日、服の着方、挨拶の仕方、食事の摂り方、立ち方、歩き方、座り方、笑い方、鞄や道具の扱い方、他にも様々な新しいことをスレンは教わった。また、してはいけないこともたくさん躾けられた。屋外を裸足で歩いてはいけない。服を着なければならない。スープを皿に口をつけて飲んではいけない。鼻をほじってはいけない。その辺で用を足してはいけない、などなど。嘘だと疑うほどのことでさえ教えた。そしてその度にスレンが驚いたので、あながち的外れでもなかったけれど。

 毎日毎日毎日毎日、スレンの仕草のなかに浸透するまで続けられた。自分のためとはいえ流石に疲労困憊だ。息抜きがしたいスレンは、アターシアに「研究はいいの?」と尋ねたが、「あんたが早く覚えてくれればできるんだけどね」と皮肉が返ってきたので諦めた。


 とはいえ、アターシアもそこまでハードルを高く設定したわけではなかった。最悪、無礼の言い訳に平民であることを持ち出せばいいのだから。礼儀作法や敬語については、そうあるように努力していることをわかってもらえればそれで十分。とにかく人間であれ。アターシアがスレンに求めたラインはその程度のことだった。教えることは手早く教え、後はひたすら反復させるだけ。寝る間も惜しんで反復。睡眠不足で思考が鈍っても、そんな時こそ、自然に人間として振る舞えるように反復させた。


 その結果がこれだ――




 朝、その日二度目の鐘が鳴る頃、コンコンとアターシアの研究室の扉が叩かれた。メイドが用意した熱めの紅茶をひとくち、アターシアは扉に視線を向けた。


「アターシア、スレンです」

「入りなさい」


 まるで儀式のように台詞然とした会話が交わされる。しっかりと油を挿してあるのだろう扉は軋みなくスムーズに開いた。そして訪問者の姿に、アターシアは笑みを見せた。


「すっかり服も着慣れたわね」


 真っ白のシャツに上品な刺繍入りのベスト、膝丈の細身のキュロットとジュストコールというコートは魔道師らしく黒を基調に細部に金糸の刺繍が施されている。胸には大樹の意匠が刻まれた真鍮のブローチが輝き、そこから垂れるのは紫の飾り紐の色。ショートブーツはしっかりと紐で編み上げられていて、意外とフィールドワークの多い魔道師を足元から支えてくれるだろう。


「ありがとう」


 手を胸に当て短く一言だけ答えて、後は軽く会釈をする。背中は伸ばしたまま、腕を曲げている方の肩を少し前に倒すようにずらすだけ。よく知る相手との他愛もない会話なので視線は外さない。そして最も大切なのは笑顔。口を閉じ、口角を上げてにこりと目を細める。このお面を常に貼り付けておく必要はないが、時と場合によっては取り繕った態度をとらなくてはならない。感情を表に出さない訓練は貴族社会では必要なことだ。如何にスレンが平民でも、周囲に平民は誰ひとりとしていない。すべてが目上。すべてに敬意を払わなくてはならない。これから行くところはそういうところなのだから。アターシアが満足気に頷いたことで、スレンは朝の挨拶が、彼女の設定した及第点を満たしたことを悟った。


「それじゃあ私は手続きに行ってくるから。今日一日は自由にしていて良いわよ。ただし、出歩くときはその服じゃない服でね」


 今スレンが纏っているのはアカデミーの男子の制服だ。これから先もっとも多く袖を通すことになる服ということで、アターシアが練習用に前もって用意したものだ。スレンにとってはすでに馴染み深い服装だが、まだアカデミーの学生というわけではないスレンがこの格好のまま出歩くのはまずかろう。


「はい」


 スレンの短すぎる返答にアターシアは苦笑いを浮かべ、スレンに退出を促す。自室に戻りひとりになったスレンが、今年一番の大きな溜め息を吐いたのはいうまでもないだろう。靴を脱ぎベッドに倒れ伏すが、全裸にならなかったことは大きな成長をいえる。

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