25.触りたいです
「あの、横に座ってもよろしいでしょうか」
ショーマは、どうぞ、と手で自分の横を指し示す。
大丈夫。馬車の中でも我慢出来たのだ。
隙を見て尻尾や耳をチラ見していたのもバレていないはず。
ちょいと横に座られたって全く問題ない。
ふわっ⋯
ヴァネッサが横に座った拍子に、ほんの少し、尻尾の柔らかな毛がショーマに触れる。
ショーマの身体がビクビクッと反応する。
「あっ、ダメだこりゃ」
「え?なんですか?」
「いえ、こっちの話です」
ヴァネッサが首を傾げる。
ショーマはヴァネッサの尻尾に触れないよう、座り直す。
なんてことだ、ヴァネッサ嬢のモフ力。
ラグビー選手にタックルされたような衝撃が脳に響いてきた。
1日を無事に乗り切ったことで生まれたショーマの自信は、一瞬で叩き潰された。
ショーマは密かにガルを握りしめ、心を落ち着ける。
「ショーマ様」
「は、はい!」
ヴァネッサの方を見ることができないショーマは、焚き火を見つめながら返事をする。
ヴァネッサは、そんなショーマの横顔に向かい、姿勢を正した。
「あの時はありがとうございました」
あの時、と言われてショーマが思い当たるのは一つしかない。
一応ショーマが助けたことは秘密にしていたが、ヴァネッサには初めからバレバレなので今更とぼける意味もないだろう。
「そんな、たいしたことはしていませんよ」
「いえ、謙遜なさらないでください。あの時ショーマ様にお助けいただかなかったら、私は今ここにいないかもしれません。」
ヴァネッサは礼を言いながらスっと頭を下げる。
ふわっ…
髪か、耳のモフモフか、とてもいい匂いがする。
というか、近っ。
ヴァネッサがショーマに向かって頭を下げた事により、ヴァネッサの狐耳がショーマの目の前にある。
ショーマは思わずそれを凝視してしまう。
恐らく、とてつもなくだらしない表情になっている。
「それで──」
ヴァネッサが頭をあげた瞬間、ショーマは真面目な表情を作る。
バレていない。
「なにかお礼をしたいのですが」
全神経を表情筋に集中させて、真面目な表情をキープしながら、ショーマは手でヴァネッサを制す。
「いえいえ、見返りを求めての事ではないので」
「お金や土地をお渡しすることもできますが」
「いや、結構ですよ」
「そういう訳には…」
ヴァネッサが目を伏せた瞬間、ショーマの目線がヴァネッサの耳に飛び移る。
見た目に分かる。ふわっふわのやつだ。
「あのっ」
ヴァネッサが急に頭をあげた。
しまったことに、ショーマの表情筋がそれに追いつけていない。
口は凄く真面目な一文字に結ばれているが、目は耳を凝視しデレっとしたままだ。
ヴァネッサはそんなショーマを見て、自分の耳に軽く触れた。
しまった、変態と思われる。ショーマは急いで表情を作り直すが、時すでに遅い感は否めない。
「もしかして…」
いえ、違うんです、耳を見て興奮してたのではないです。見て楽しむモフモフ、見モフをしていただけです、とショーマが弁明しようかと思った時、ヴァネッサは予想外の言葉を口にした。
「亜人がお嫌いでしょうか」
「ちがっ…て、え?」
ショーマは想定外の言葉に、返答に詰まった。
「私のコレを見ながら複雑な表情をされていたので」
と、ヴァネッサは耳に触れたままそう言った。
しまった、さっき耳を見ながら口が真面目を装っていたので、嫌な顔で耳を見ていた風になっていたのか。
「それに、馬車の中でも時々、耳と尻尾を気にされていたようですので」
バレていた。
チラ見してたのが完全にバレていた。
恥ずかしい。
しかし、恥ずかしがっている場合ではない。
狐耳族の耳や尻尾が嫌い、つまりモフが嫌いですかという疑いを持たれているのだ。
そんな不名誉はすぐに払拭しなければ。
「ち、違うんです!むしろ逆なんです!」
逆、と言われてヴァネッサはちょこんと首を傾げた。
亜人の尻尾や耳を忌避する人は結構いるようだし、そこまでではなくとも出来ればない方が良い、という人の方が多数らしい。
いらっしゃいませ喜んでなショーマの方が珍しいのだろう。
「ショーマ様は、この耳や尻尾がお好きなんですか?」
好きか、と聞かれれば、好きだ!と言いたい。
しかし、年頃の娘さんに向かって好きです、とも言いづらい。
「嫌いでは、ありません」
「それは好き、ということですか?」
ヴァネッサがショーマの顔を覗き込んでくる。
嗚呼、そんなに下から見つめないでほしい。
そんなショーマの煮え切らない態度に対して、ヴァネッサがたたみかけてくる。
「触りたいと思いますか?」
「触りたいです」
…はっ!しまった!!
ヴァネッサからの攻勢にショーマはつい本音を口にしてしまった。
本人を前にして身体を触りたいです。
しかも耳や尻尾を、なんて特殊性癖の変態と思われるのではなかろうか。
ショーマは、恐る恐るヴァネッサの反応を確認するが、ヴァネッサは少し考えているだけのように見える。
ヴァネッサとしては、これまで糸口の掴めなかった"ショーマの望むお礼"のヒントをようやく得られた形だ。
このチャンスを逃す手はない。
「ショーマ様」
「はい!」
「触っても良いですよ」
「はい!?」
ショーマの顔が赤くなるのが分かる。
よく見るとヴァネッサも少し恥ずかしそうにしている。
そんな、恩に着せて身体を触らせることを要求するなど鬼畜の所業だ。
断固、断らねば…
「ぜひお願いします」
…ならないはずなのだが、どうも今、頭と口が別々に動いている。
なんなら、かなり恭しく頭を下げて懇願してしまっている。
「…分かりました」
そういうとヴァネッサはショーマの耳元に顔を近づけてきた。
ショーマの顔がさらに熱くなるのを感じる。
「外では恥ずかしいので、どこか部屋で、2人の時にお願いします」
ヴァネッサは、少し恥ずかしそうな声でそう囁いた。
そんなヴァネッサの様子だけで、ご飯3杯くらいいけそうだ。
「でも、もう少し凄い事を要求されると思ってドキドキしていました」
そう言いながらヴァネッサは胸を抱き寄せるような仕草をした。
否が応にも、ショーマの頭の中に“大人な凄い事“が連想されてくる。
「す、凄い事って?」
「今、ショーマ様が考えているような事ですよ」
そう言われて、ショーマの方がドキッとする。
ヴァネッサに、ショーマ様もちゃんと男の人なんですね、と笑われた。
からかわれたショーマだったが、悪い気はしなかった。
本当にそういう要求をしていたらどうしていたのか、と聞くと、
良いですよ、ショーマ様ならと返された。
そんなに何度もからかわないで欲しい。
ヴァネッサさんみたいな美人さんに言われると、冗談と分かっていてもドギマギする。
────
それからヴァネッサはすぐに寝床へ戻っていった。
それと入れ違いに、アリスターさんが戻ってきた。
空気を読んだ見事な従者っぷり。
アリスターはショーマに暖かい笑みを向けながら「青春ですなぁ」と呟いた。
そう言えば、狐耳族に詳しいであろう、アリスターさんに聞きたいことがある。
狐耳族の女性にとって尻尾を触られるという事は、貞操観念的にどういう事なのだろうか。
「そうですねぇ、頭を触られるのと尻を触られるのの中間ぐらいですかね」
どちらかと言うと尻寄りでしょうか、とアリスターさんが言う。
そうですか、とショーマは何でもない風を装ったが、内心かなり焦っていた。
頭を下げて、尻を触らせてください!と懇願したようなものか。
「良かったの、ショーマ。下手をすれば牢屋行きになるところだったの」
「そうだね、取り敢えず明日ヴァネッサさんと会うのが気まずいよ」
そうこうしているうちに、見張りの時間は終わり、ショーマの長かった旅の初日が終わった。




