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八月十九日

 明け方二度寝してみた。

 そのまま普通に目覚めた。夢は見ていたような、見ていないないような。


 少し思い出してきた。黒髪ストレートの女の子が出てきてたな。知り合いかな? 顔は良く思い出せない。ただダイバーダウンには入れなかったみたいだ。

 ダイバーダウン、いったいなんなんだろう。なぜダイバーダウンに入らないといけないのか? これも僕の治療の一環なのか?


 朝食を食べ、ボーっとしていると、先生が入ってきた。

「その様子だと、今日は何も見れなかったようですね」

「ダイバーダウンって治療ですか?」

 先生は答えない。

「そういえば、僕は入院前のことを全く思い出せないんです。なぜ入院したのか、家族のことも」

 今日の夢に出てきた女の子は誰なんだろうと思いながら尋ねた。

「思い出すのではありません。目覚めるのです」

 先生の言っている意味がわからない。とはいえ、不思議とこの病室が心地よいから、このままでもいいかなって思えてしまう。

 先生はまた丸椅子に腰掛けて話し始めた。

「ダイバーダウンはただの夢ではありません。人類の可能性を無限に広げる入り口なのです」

 またまた大風呂敷を、と思ったけど黙って聞き流しておいた。

「もっとダイバーダウンを経験する必要がありそうですね。今日はこれをつけて昼寝してみてください」

 先生は黒いアイマスクを取り出した。

「アイマスクをつけていることを意識しながら眠ってください。無意識の海に潜っていくイメージで眠りに入っていきましょう。あとは、ダイバーダウンに入るんだと強く願って」

 先生からアイマスクを受け取ってつけてみた。当然だけど目の前が真っ暗になる。マスクが少し眼球を圧迫する。スポンジなのか布地なのかよくわからないけど、肌触りは不快じゃない。だんだん眼の周りがほのかに暖かくなってきた。なんだかこのまま眠ってしまいそうだと思って、ゆっくりアイマスクを外すと、先生はもういなかった。


 時計の針は十四時を示している。窓から見る外は、相変わらず熱気を感じる日差しだ。小高い山の木からは湯気が立ち昇っているようにすら見える。

 それにしても病室の中は涼しく静かだ。僕は、ほのかな眠気を感じはじめたので、先生からもらったアイマスクを脇の台から取り、頭からかぶってつけた。一瞬にして真っ暗闇になる。ただ、目をつむっていてもなんとなく外の明るさを感じるので不安はないな。そのまま身体をベッドに沈め、眠りに入った。


 このときの初めての感覚は日記に書ききれないような、言いようのないすばらしい体験だった。


 気が付くと目の前は真っ暗闇だった。身体が仰向けになって寝ているのを感じる。そうだった、アイマスクをして昼寝したんだった。そう思い出して、アイマスクを取ってゆっくり目を開けると病室の天井が見えてきた。とてもまぶしくて、すぐには目がなれない。じっとりと汗をかいた身体を感じながら、そのまま天井を薄目で眺めていた。額の上側の頭のなかがキーンと音が聞こえるかのように冷たく感じる。

 ようやくまぶしさがやわらいだので、ベッド脇に置いてある時計を見るとまだ十四時三十分だった。もっと向こうにいた気がする。

 そして思い出してきたんだ。ダイバーダウンのすばらしい世界を。次々に起こったことを思い出していく。色鮮やかな景色、まだ全身に残る現実と全く同じ感覚、そして、思い出す端から消えていく夢の記憶。僕は記憶が鮮明なうちにと思って、すぐに日記に書き始めた。ここからは思い出しながら書いていく。


 *


 僕はダイバーダウンを意識しながら、自分の無意識の中に潜っていくイメージを持ちながら眠りに入っていたと思う。アイマスクをつけていることは眼球へのほのかな圧迫で感じていた。

 最初(まぶた)の裏では、真っ暗のなかに光の輪が現れ、周期的に大きくなって消えて、また現れて消えるを繰り返していた。そのうち、外の景色がモノクロで見え始める。ここで記憶が消える。多分、一度眠りに落ちたんだと思う。

 次に思い出すのは、真っ暗のなかの光の輪、そして風景が浮かび上がってくる。また記憶が消える。

 何度繰り返したかわからない。なんだか無意識の海を泳いでいる感覚。浮かび上がってはまた沈む。無意識の海に。これがダイバーダウンの世界か。

 風景がだんだんはっきりしてきた。ここで僕は思い出したんだ。アイマスクをつけていることに。

 急に目の前が真っ暗になる。アイマスクをつけていることを身体が思い出した。僕は思い切ってそのまま目を少しずつあけていく。ゆっくりゆっくり。どうしてそうしようとしたのかはわからない。

 景色が目にはっきりと映ってくる。自分は病院の外に立っていることを身体で感じる。確かに立っている。でも頭の中では、今自分はアイマスクをしてベッドの上で寝ていることを理解している。つまり僕は夢の中にいる!

 すごい。現実と変わらない、いやむしろもっと美しい世界がそこにはあった。見上げると、真っ青な空に真っ白な雲、夏の昼下がりの日差しはとても黄色くまぶしかった。現実よりももっと夏らしい、黄色の日差し。下に目を向けると、どうやら砂地のグラウンドに立っているようだった。白い運動靴から固いグラウンドの感触が足の裏に伝わってきた。

 期待がどんどんふくらみ、僕はその場でジャンプした。すごい、現実と全く同じだ。ジャンプするときの足の筋肉を感じ、ジャンプしているときの視線の動き、着地したときの衝撃。全く同じだ。僕はうれしくてグラウンドを走り始めた。黄色い日差しと砂っぽい風を感じながら。

 一所懸命に走っている間、どうやら一瞬記憶がなくなったようだ。風景がいつの間にか住宅街になっていた。僕は見覚えのある住宅街の坂道を走って登っている。身体を見ると白の半袖シャツを着ている。足を見ると、黒い長ズボンを穿いていた。学生服だ。

 汗がにじんできた。夢を見ているはずなのに、暑い。

 誰もいない住宅街。音も聞こえず、とても静かな空間を一人で走っている。

 誰もいないのはさびしいな、誰かいないかなと思ったとき、いや、願ったとき、坂道の一番上、女の子が青空からとけだすようにうっすら現れてきた。今朝見た黒髪の女の子だ。目をらしても、向こうを向いているから誰かわからない。あっ、向こうに歩いていってしまう。待って!

 足がもつれて前に進まなくなってきた。早く前に行きたいのに! 足が重い、暑い、重い、もっと前に、あの子は誰なんだ……


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