04臨床試験
ペニシリンの初の臨床試験を受けたのは末期の乳ガンで危篤状態の女性でした。
ペニシリンは注射されたのですが注射後一時間もしないうちに患者の容態は悪化してしまったのです。臨床試験は失敗に終わりました。
分析の結果、ペニシリン培養液に毒性がある事が分かりました。原因は残存する不純物である事も分かりました。
運よくこの原因物質はアルミナ・クロマトグラフィーによって除去される事が判明したのです(アルミナ:酸化アルミニウム)。
クロマトグラフィーはロシアの植物学者が1906年に原理を発明したのです。
しかし1930年代まで忘れられていました。
以下にクロマトグラフィーの原理を示します。
50cmから1mの立てたカラム(ガラス管の中にアルミナを詰めたもの)を用意します。
①これに上から試料を入れ液体(移動相)を入れて圧力を加えます。
②固定相(充填剤:アルミナ)と親和性の大きい物質はゆっくり溶出します。
③移動相(液体)と親和性の大きい物質は速く溶出します。
この親和性の違いにより各成分を分取します。
これにより、まがりなりにも純度を高めたペニシリンが精製されました。
第二回目の臨床試験はオックスフォードに住む警官でした。
彼は薔薇の木を刈り込んでいた時の小さな傷が原因で、連鎖球菌とブドウ球菌に感染して、全身が化膿していたのです。
1941年ペニシリンが投与されましたが、量が少なすぎました。尿に排出されたペニシリンを再精製してさえも足りませんでした。驚くほどの回復を見せたにもかかわらず患者は亡くなってしまったのです。
第三回目の臨床試験は子供でした。十分な量のペニシリンが準備され投与されたのですが、やはり亡くなってしまいました。ブドウ球菌感染により、脳の血管が弱くなっていたのです。
しかし臨床試験を続けた結果、10件の成功例を得たのです。
これらは1941年に英国の科学誌に発表され「人命を救う驚異のカビ」として一般紙にも報道され、医学会のみならず一般にも知れ渡るようになったのでした。
ただし抽出が困難であること、もっと安価に生産されるようにならなければ一般患者には手が届かないことも報道されたのです。
一方、大西洋の向こうの国アメリカでもペニシリンの研究は始まっていました。
病院で大学の研究室でペニシリンは製造され抽出され精製されていました。そして思いがけずある大火事によってペニシリンの臨床実験の機会が巡ってきます。
1942年ボストンのナイトクラブで大火事があったのです。
1500人が焼け出され500人が死亡したのです。
この火災事件はいわば戦闘における急性外傷の際の処置を学ぶ実地訓練になったのです。第一民間防衛地区の地区マネージャーはドイツ爆撃によるボストン空襲のために備蓄していた非常用医療品を放出しました。空襲救助隊も出動しました。ボストンの病院は非常警戒体制下におかれました。こうしてペニシリンを研究していた
医療機関にもどんどん患者が運び込まれてきたのです。ペニシリンは熱傷には効きません。しかしやけどの後の感染症を治すのです。
記録には従来の薬では治せなかったと記録されています。
しかしCMR(医学研究委員会)はメルク社に大量にペニシリンを注文しています。
ペニシリンは軍事機密扱いになったのです。




