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02黎明期01

時代は50年ほどさかのぼります。ペトリ皿の使用と細菌の単離についてです。


ドイツ人医師ロベルト・コッホ。


1876年、彼は炭疽病で死んだ牛の血液を顕微鏡で観察していました。

そこには(さお)状のものやそれらがつながったものがたくさん見えていました。


これがアレ(細菌)だろうか?

当時は細菌が病気を引き起こすというセンセーショナルなニュースが人々の間で話題になりかけていました。


彼はそれを実験用マウスに注射し、といいたい所ですが注射器が無かったのです。

彼は代わりに木片を尖らせオーブンで焼灼(しょうしゃく)消毒したものを使いました。


それを実験用マウスに突き刺し感染させました。マウスは死にました。

マウスを解剖し脾臓を調べました。

脾臓は黒く変色して炭疽病で死んだ牛と同じ特徴を示しました。


彼はそれを実験用マウスに突き刺し感染させました。マウスは死にました。

マウスを解剖し脾臓を調べました。

脾臓は黒く変色し炭疽病で死んだ牛と同じ特徴を示しました。


ですが、たった一滴でも血液中には無数の細胞や細菌が含まれてました。

炭疽病を起こすたった一つの種類のアレ(細菌)を単離しなければならなのです。


純粋培養が必要でした。


彼は雄牛の眼球液を使ってアレ(細菌)を培養してみようと閃きました。

眼球液に死んだマウスの脾臓の一片を注意深く加えました。

数日後に眼球液はアレ(細菌)でいっぱいになりました。


彼はそれを実験用マウスに突き刺し感染させました。マウスは死にました。

マウスを解剖し脾臓を調べました。

脾臓は黒く変色し炭疽病で死んだ牛と同じ特徴を示しました。


結果は同じ炭疽病でした。


一細菌=一疾患。


ヒポクラテスの時代から千五百年間信じられていた体液病理説は覆ったのです。


彼は注意深く論理的に論文を書き発表しました。先駆者が学会の重鎮たちに非難され、学会を追放されるのを見てきたからです。

理路整然な論文に人々は驚嘆し、そして信じ始めました。

だが以前として多くの病原菌の単離は困難を極めました。

ビーカーの中の肉汁を煮沸消毒して病巣を一滴たらして培養するだけでも肉汁は濁り、病原体は混じった状態で繁殖しました。


どうすれば目的の細菌を単離できるのでしょうか?


この時、彼の弟子|(Julius Richard Petri)ペトリがペトリ皿を作りました。

密閉できるガラスの平皿でこの内皿に肉汁を混ぜたゼラチンを薄く塗りました。

それに細菌液を付けた白金耳を塗抹しました。

数回も左右に這わせるうちに液はなくなってしまいます。

このなくなる直前の細い細い線状の液体中には細菌は数種類になっています。

挿絵(By みてみん)

これを培養することで表面だけに目的の細菌のコロニーが出来ました。

これをすくう事で細菌の単離が可能になったのです。


単離して初めてただ一つの細菌の培養が可能となり、その細菌をやっつける抗菌薬の開発が出来るようになったのです。


この時開発されたペトリ皿は、現代の研究室でそのままの形で使われ続けています。

また素地のゼラチンは寒天に形を変えましたがやはり使われています。


このペトリ皿を実験に使用し、そこに生えたアオカビからペニシリンを発見するのはパスツールなのです。

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