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4 冷酷王の噂と令嬢の秘密

 国王エヴィルソンと生母ファミアとの間には、もう何年もほとんど交流はない。しかし、エヴィルソンの息子、王太子のイダートは祖母を慕っており、よく離宮を訪れた。

 侍女になってすぐ、リアンテはイダートに恋をした。

 ファミアの誕生日に何か驚かせるような贈り物をしたいと、イダートがリアンテに相談してきたのがきっかけだ。リアンテが祖母の気に入りの侍女と見て取ってのことだった。

 打ち合わせのために何度か二人で話すうち、祖母思いの優しい王太子にリアンテはどんどん惹かれて行った。

 今にして思えば、父がリアンテをファミアの侍女にと望んだのは、王太子との出会いの場を作るためだったのかもしれない。しかしリアンテは、自分は王太子にはふさわしくないという思いから、その恋を胸の奥深くに秘めた。そう思うだけのはっきりとした理由が、彼女にはあったのだ。

 贈り物について、病気がちの主人の負担にならず、なおかつ変化のない離宮暮らしに新鮮な風を……と、王太子と主人のために知恵を絞るリアンテ。そんな彼女を見つめるイダートの視線が、甘いものに変わったのはいつからだっただろうか。彼もまた、祖母仕えの気の利く侍女に惹かれていた。

 誕生日当日、ファミアは庭のあちらこちらに仕掛けられ吹き上がった花火に驚き喜び、「即位した日の祝典を思い出すわ」と涙ぐんだ。


 その夜――

 リアンテは、離宮に泊まったイダートに呼び出された。

夜の庭園、外廊下の壁龕(へきがん)に置かれたランプの明かりが、かろうじて池に届いて反射している。池にはボートが一艘、浮かんでいるのが見える。

 突然、ボートから光が吹き上がった。一つだけ残してあったらしい花火。光の花に吸い寄せられるように近づくと、池のほとりでイダートが待っていた。

 見つめるだけのはずだった彼に、星明かりの元で思いの丈を打ち明けられる。リアンテは戸惑いと幸福感と不安の渦に巻き込まれるように、初めての口づけを受けた。

 リアンテは思った。

 今、このひとときのために自分は生まれたのだ、もう一生独身でも構わない、と。


「はい?」

 シェラーサは首を傾げる。

「何でひとときなのよ。身分には何の問題もないでしょ? 結婚して、二人は王様と王妃様になって、いつまでも幸せに暮らしました、でいいじゃないの」

 森の奥、小さな谷川の土手に埋もれるようにしてひっそりと存在する、土壁の家。そこが、魔女シェラーサの住処だ。

 壁に石を埋め込むようにして作られた暖炉の前に、小さな木の机と丸太の椅子。壁には何かの草の束や木の実のついた枝が、逆さまにいくつもぶら下げられている。外に面した土壁の一部には穴が開けられ、時々リスが出入りしていた。

「私、リアンテの結婚式、出てみたいわ。こっそり出られるかしら」

 花嫁衣装を着たリアンテを思い浮かべ、うっとりするシェラーサ。

「私……私、イダート様とは結婚できない」

 昔と少しも変わらない魔女の家を懐かしむ余裕もなく、椅子に腰掛けたリアンテは声を震わせた。

「そんなことになったら、きっと命はないわ」

「えぇ?」

 木のカップに香草をちぎって入れていたシェラーサは、眉をひそめてリアンテに聞く。

「何で? ずいぶん大ごとね」

「シェラーサ。今の国王のエヴィルソン様がどういった方か、ご存知?」

 リアンテはあくまでも真剣だ。シェラーサは首を横に振る。

「知らないわ。森の奥までは、噂も届かないもの」

「エヴィルソン様は、国民の間ではこう呼ばれているの。『冷酷王』、と」

 リアンテはおびえるように唇を震わせた。

「お年は確か、三十九。……王太子時代、王太子妃殿下を、不義密通の罪で自ら処刑なさったの」

「……処刑」

 シェラーサの手が止まる。リアンテはうなずき、後は堰を切ったように話し始めた。

「ええ、お二人の私室で、切り捨てておしまいになったそうよ。でも、噂では不義なんて事実はなかったらしいって……陛下の一方的な疑いだって言われているわ。二番目の妃殿下は、イダート様をお産みになってすぐに遠くの離宮にやられ、少しずつ衰弱されて数年後に亡くなった。その後陛下は、先代女王ファミア様から王位を受け継いで、改めて王妃様を娶られたんだけど、その王妃様は陛下とご一緒の時、王宮の塔から落ちてお亡くなりに……。そして四番目の方はつい先日、湖の塔に突然幽閉されて、王妃の責務を果たせないからと離縁されたわ。連れて行かれた王妃様は半狂乱だったとか」

「…………」

 シェラーサはしばらく黙り込み、暖炉にぶら下げていた鉄鍋から大きな柄杓で湯をカップに移した。香草の清涼な香りが立ち上る。

「……それでどうして、リアンテが死ぬの? イダートに隠れて浮気してたのがバレそうとか?」

「そんなことするわけないわ!」

 真面目なリアンテはシェラーサの冗談を真に受け、強く首を横に振って否定した。そしてまた、うなだれる。

「私ではなくて……母が」

「リアンテのお母様?」

「ええ」

 リアンテは顔を上げ、シェラーサを見た。

「ずっと隠してきたけれど……私は、母の不義の子なんです」

 シェラーサは顔をしかめた。

「不義って?」

「私の両親は、結婚当初からうまくいっていなかったの。母は庶民の男性と関係を持ち、私を産んだのだそうです」


 幼かったリアンテにとって、別邸の母の元を離れて王丘で暮らせ、という父の命令は絶対だった。状況を理解しきれないまま支度をさせられ、別れの挨拶をする八歳のリアンテに、母は泣き腫らした目で言った。

『あの男の(むすめ)でもないお前を、あの男に渡さなくてはならないなんて』

 母を問いただす言葉など、あろうはずがない。受け止めきれない衝撃に立ち尽くすばかりのリアンテに、母は血走った目で微笑んだのだ。

『リアンテ、自分で選ぶのよ。ナージュ家の血を引いていないことを周囲に告白して、家を捨てるか……全てを秘して、連爵令嬢として生きるか』

 母が罪を犯したこと、そしてそれが明らかになれば家名が傷つくであろうことだけは、リアンテも理解した。


 どうすればいいのかわからず、リアンテは王丘の本邸で塞ぎ込んだ生活を送った。しかし、何も知らない人々は「母と離れて寂しいのだろう」と彼女をいたわり、ますますリアンテを萎縮させた。本邸の父の元には多くの重要人物たちが訪れ、それを目の当たりにすれば真実を告白する勇気などとても持てず、月日ばかりがいたずらに流れていく。

 王丘を離れてファミアに仕えることになり、正直なところリアンテは隠れ家を得たようでホッとしていた。

 しかし彼女は、王太子との恋で再び混乱の渦に巻き込まれてしまったのだ。


「本当はナージュ家の血を引いていない、そういう罪を、私は負っているのです」

 脳裏を一瞬でよぎった過去に、息苦しさを感じながら、リアンテはうつむく。すぐにシェラーサが答えた。

「それはお母様の罪でしょ。生まれた子には罪はないわ」

「でも、知っていながら王太子妃になって、もし後で発覚したら……エヴィルソン陛下がお許しになるはずはないわ」

 リアンテが瞬きをすると、涙が一粒こぼれ落ちた。 

「ナージュ家は昔、聖樹の管理を拝命していた名誉ある家。だからこそ連爵位を賜り、王丘に本邸を構えているのだもの。そこから妃になった娘が、本当は連爵家の血を引いていないなどとわかったら……きっと私も、処刑される」

「……イダートは、そのことを知っているの?」

「ええ」

 リアンテは小さくうなずくと、目を閉じてそっと自分の唇に触れた。

「あの夜、私への気持ちを打ち明けて頂いた時に、すぐにお話ししたの。恐れ多くも王太子殿下に恋をして、そして気持ちを返して頂いて、もう十分だと――これ以上の幸せはない、もう秘密を打ち明ける時だと思ったわ。今後どんなご迷惑をかけるとも知れないのに、平気な顔で恋人になんてなれないもの。でも……でもイダート様は」

「そんなの関係ない、リアンテじゃなきゃだめだ! と?」

 シェラーサが微笑むと、リアンテも泣き笑いのような表情になってうつむいた。

「ええ……何度も離宮においでになるうちに、お心を固めておしまいになったの」


 王太子イダートは、自分の妃はリアンテしかいない、発覚しても必ずリアンテを守ると彼女に言った。

 しかし、それが無理なことは二人ともわかっていた。イダートがリアンテの側にいない時もあろうし、イダートの反対を押し切って四人目の妃さえ幽閉した国王が、王太子妃の偽りは許すだろうなどという期待はとても持てない。

 それほど冷酷な王ではあっても、イダートにとってはただ一人の父であり、愛する女性のために父と争うようなことは、優しいイダートには考えるのも辛いことだった。もちろんリアンテも、そのようなことは少しも望んではいなかった。


 リアンテは彼に言った。

 自分は王太子妃になどならず、今まで通りでいい。ファミアの離宮で時々イダートに会い、言葉を交わせれば、それだけで幸せなのだと。

 イダートは苦悩した。王太子である彼は、いつかは結婚しなくてはならない。リアンテはその時、身を引くつもりでいる。彼女のいない人生など考えられないイダートは、どうにかして他の手だてを探そうとした。


 しかし、事態は二人が思ったよりも早く進んだ。

 イダートがリアンテと恋仲であることを、エヴィルソンが知ってしまったのだ。


 薄れゆくミシスに国民が不安を感じている中、ファミア元女王とその前の王が身体の不調で短い在位だったため、エヴィルソンは自身の在位を揺るぎないものにすることに心を砕いていた。

 王太子が結婚し、さらなる世継ぎが生まれれば、国の空気も安定するだろう。

 そう考えたエヴィルソンは、王太子と連爵令嬢の結婚準備をなるべく迅速に進めるよう、臣下に命じた。


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