24 森の奥を訪ねて
暖炉で、炎がとろとろと燃えている。
火かき棒でつつくと火の粉が散り、ひっくり返った薪から新たな炎が上がった。
いつの間にか入り込んできていたリスが、机の上で木の実のかけらを食べている。扉の外では少し強い風が吹いているらしく、梢のざわめきが心地よい眠りを誘った。
しかし結局、眠りは訪れなかった。
ドンドンドン、という、性急なノックの音が響いたのだ。
「シェラーサ! シェラーサ、いるの!?」
ベッドの上で座り、堅い土の壁にもたれてぼうっとしていたシェラーサは、その声にはっとしてベッドを降りた。よろめきながら扉に近づいたとき、扉は向こうから開いた。
「……シェラーサ……探したわ……! きっと生きてると思って……!」
紫の瞳に涙をいっぱいにためたリアンテが、抱きついてきた。シェラーサは彼女を受け止めながら、よろめく。
「あ、っとっと」
「ごめんなさい! あっ、あなた、熱……?」
「大丈夫、もうほとんど下がったのよ。そろそろ体力を回復させなきゃいけないんだけど、食べ物が木の実しかなくて……困ってたところ」
シェラーサは言いながら、リアンテの手を借りてベッドにもう一度腰掛けた。
そして、外出用ドレスの上にマントを羽織ったリアンテを見つめ、にっこりと笑った。
「よく、ここにたどり着けたわね。……もう、魔法で道案内はできないのに」
森にあるシェラーサの家に、リアンテはシェラーサの導きなしでたどり着いたのだ。
「あなた、やっぱり魔法が」
リアンテは絶句し、一度喉を鳴らしてから、改めて言う。
「魔法を、失ったのね?」
「そうみたい」
あっけらかんとうなずくシェラーサに、リアンテはまた涙ぐみながら肘にかけていた布包みを机におろす。
「それなのに、あなたこそ、よくここに帰り着けたわね! どこかで倒れてるんじゃないかって探してたんだけど見つからなかったから、もしかしてここかもと思って……。ほら、少しだけど持ってきたわ」
リアンテは机ごとベッドに引き寄せ、食べ物を皿に出す。堅く焼きしめたパンのようなものだが、水でふやかして病人にも与えることのできる保存食だ。果物も少しある。
リアンテは急いで外に出ると、桶で清流の水を汲んだ。ちらりと見ると、家の脇にある小さな菜園は枯れた葉ばかり。シェラーサが身代わりのためにこの家を離れてから、一年ほど経っている。
家に戻り、リアンテは湯を沸かしながら言った。
「無事でいてくれて、本当に嬉しい。あんな大変な目に遭ったのに……それに、あんなに高いところから湖に落ちたのに!」
「私も、もう死ぬって思った。でも、偶然に助けられたわ」
シェラーサはリアンテを目で追いながら話す。
「あれはちょうど、黄昏の時刻……昼と夜、生と死が、入れ替わる時刻。死んで時を止めていた私の一部が、一気に生に転じた時、ものすごい力が沸いたのを感じたわ。あれがなかったらとても、あんな巨大な淀みを取り込みながら命まで助かるなんて、あり得なかった」
「生に、って、それじゃ……?」
リアンテは目を見張ってつぶやいたが、シェラーサは少しぼうっとした様子で果物を口にしながら話を先へ進めた。
「それに、落ちて助かったのもギリギリだったのよ。魔法を失う直前に、契約魔法がまた発動したの。ほら、高いところから落ちたら……」
「鳥が、助けてくれる?」
「そうそう。前にも乗せてもらったことのある大鷹が、受け止めてくれた。そのままここにつれてきてもらって、ずっと眠っていたわ」
「魔法をかけるように言って下さったご両親に、助けられたのね」
「ふふ、そうね。……あれから何日経ったの?」
「五日。ずっと探していたのよ、シェラーサ」
木の椀に湯を入れながら、リアンテは話し出した。
爆風の吹き抜けた謁見の間は、ガラスが割れカーテンは吹き飛び、絨毯も引きちぎれてひどい有様になっていた。その中に、弾きとばされたエヴィルソンの黒い姿が倒れている。
「父上!」
駆け寄り膝をついたイダートが、肩を支えて上半身を起こした。エヴィルソンは朦朧とした様子で、ゆっくりと呼吸をしていたが、やがて目に光が戻ってイダートを見た。
「……イダート」
「今、侍医を呼ばせています。どこかお怪我は」
「私はいい。魔女は。魔女はどうした」
エヴィルソンは自分で身体を完全に起こすと、窓の方を見た。
「シェラーサ! 嫌よ、どこなの!?」
リアンテが悲鳴混じりの声で、手すりの壊れたバルコニーに這いつくばるようにして湖を見下ろしている。
強い風が吹き上げ、リアンテの金の髪を揺らした。固定魔法が解けたのだ。それは、シェラーサに何か重大なことが起こったことを意味している。
エヴィルソンはよろめきながら立ち上がった。
「落ちたのか? ──すぐに魔女を探せ!」
謁見の間に駆け込んできた騎士に、エヴィルソンが命令を下す。リアンテが紫の目に涙をあふれさせながら、はっとして振り返った。
「陛下、やめて、シェラーサをお許し下さい! 悪いのは私なのです……!」
契約魔法も解けていることがわかり、イダートは急いで割って入った。
「お聞き下さい父上、シェラーサがリアンテの身代わりをしていたのは私も承知の上で……」
エヴィルソンが遮る。
「話は後で聞く。湖に落ちたのだろう、助けなくては。私に医者は必要ない、魔女に部屋を用意せよ」
「父上!」
イダートは驚き、エヴィルソンを見上げた。国王の顔つきはまだ硬かったが、今までとは違い目元にはっきりとした感情を表していた。
「私の中に集まった呪いを、魔女が全て引き受けたのだ。魔女の中の器が壊れたのも感じた。おそらく今、彼女は魔法を使えない。助けなくては命が危ない」
「陛下」
リアンテは両手を口に当てる。エヴィルソンが彼女を見つめた。
「お前が、リアンテ本人なのだな」
「はい……はい」
リアンテは背筋を伸ばし、侍女のドレスをつまんで頭を下げる。
「魔女シェラーサは、私のために、私の身代わりをしてくれておりました。全て、お話します」
「そうして私、騎士たちがあなたを捜している間に、今までのことをお話ししたの」
リアンテは話しながら、ベッドの縁に腰掛けているシェラーサを少し斜めに座らせ、後ろに回ってシェラーサの髪をほどいた。数日寝たきりで乱れていた髪を、櫛でとかし始める。
シェラーサはふやけたパンを口に運びながらも、心配そうに尋ねた。
「あなたがナージュの血を引いていないことがわかっても、陛下、お怒りにならなかった?」
「複雑そうな顔をなさってたけど、お怒りにはならなかったわ。これから王太子妃としてふさわしくない行動をしたら、その時は覚悟しておけ、とおっしゃって、それから『人のことは言えないが』なんて」
笑うリアンテ。シェラーサは、ほうっ、と息をついた。
「よかったわね……! やっぱり、呪いから解放された陛下は、少なくとも非情ではないんだわ」
「ええ。それに、あなたのこともちゃんとわかって下さった。いえ、私などがご説明申し上げなくても、シェラーサが淀みを全て引き出した時に気づいたみたい。あなたが何のために今まで行動していたのか」
シェラーサは目を閉じる。
「そう……良かった。それじゃ、魔女の役目も終わって、めでたしめでたしね。イダートとリアンテ、王子様とお姫様は、結婚していつまでも幸せに暮らすんだわ」
リアンテは、頬をシェラーサの頭に寄せて言った。
「シェラーサのおかげよ。本当に……ありがとう」
ばさばさだった髪をきれいに結い直すと、リアンテはシェラーサの顔をのぞき込んだ。
「イダート様も、王宮で心配なさってるわ」
シェラーサはうなずいたが、内心少しがっかりしていた。イダートとリアンテ、二人が連れ立ってここにやってきて、並んでピヨピヨと自分を心配する場面を見たかったのだ。
「なのにリアンテだけ来させるとは……友達のくせに薄情なやつ」
「え? 何か言った?」
何か作業を始めたリアンテが聞き返し、シェラーサは首を振る。
「何でもない」
彼女はエヴィルソンに、思いを馳せる。国のために淀みを引きうけようとしてきた国王だ、今度こそ過たず国を導くだろう。
(もう、私は助けてあげられないのだから、どうか元気で……)
シェラーサはそんな風に思いながら、ふと顔を上げた。
「そういえばリアンテ、まさかあなた一人で来たわけじゃないでしょ?」
「ええ、もちろん。この場所を一人で見つけるのは無理だもの。探してくれた騎士たちが、大勢外にいるわ」
「まるで包囲されてるみたいね」
「ふふ、傍目から見るとそうかもね」
リアンテは沸かした湯を桶に移し、水でちょうどいい温度にすると、布を浸して絞った。そして、食事を終えたシェラーサの顔や首筋を、きれいに拭く。
「あ、痛っ」
続いて手を拭こうとしたとき、シェラーサが顔をしかめた。やはり怪我をしているのかと、リアンテはあわててシェラーサの手を見る。
「指先が赤いわ。……深爪?」
「えっと、そう。伸びてきたから気になって、でも削るものがないから切ってみたんだけど」
シェラーサはもじもじと言う。
「私、一人で爪の手入れってしたことないのよ……森で暮らし始めたときには、時間が止まってて爪は伸びなくなってたから。それで失敗しちゃって。痛くても、魔法がないから治せないし」
「……何を使って切ったの?」
「ナイフで。果物の皮を剥く要領で」
「怖……! 自分で不器用だって言ってたのに、よくやったわね!」
リアンテは言いながらも、泣き笑いしてしまった。
「あなた、生き返ったのね……シェラーサの時間、動き出したのね」
「なんだか今さらで、戸惑ってるけどね」
シェラーサも笑った。
「……さあ、きれいになった。着替えも持ってくればよかったわ、気が回らなくてごめんなさい」
リアンテがシェラーサに肩かけをかけると、シェラーサは嬉しそうに笑った。
「ううん、すごくさっぱりしたわ!」
リアンテはシェラーサを見たまま後ずさり、扉のレバーに手をかける。
「じゃ、お呼びしてもいい?」
「え?」
シェラーサは首を傾げる。
「誰を?」
「エヴィルソン陛下よ。女性には準備が必要だからって、待って頂いたの」
ぎいっ、と扉が開く。
「え? 待ってリアンテ、だってここ? 森? あばらや? だめ、だめよそれはだめ」
うろたえて立ち上がろうとするシェラーサに、リアンテはいたずらっぽく笑いかけると、外に出ながら声をかけた。
「陛下、お待たせいたしました」
──リアンテと入れ替わりに、大きな身体が屈むようにして、扉をくぐり抜けてきた。




