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23 魔女、国王に挑む

 翌日、王太子夫妻は、湖の対岸のカトル侯爵邸で過ごしていた。

「侯爵家が国王の勘気に触れたために、国王とエヌイスの婚約が白紙に戻った」などと噂にならないために、王家と侯爵家との関係が良好であることを示す必要があった。そのためイダートが、自分たちを招くように侯爵に提案したのだ。王太子妃とエヌイスが元々の知り合いであったため、それは不自然なことではなかった。

 といっても、実際にエヌイスと話したのはリアンテに化けたシェラーサ。知り合いではなかったのだが、本物のリアンテが侍女としてついてきていたためにうまくエヌイスに合わせることができた。


 太陽(ソレス)が傾き始める帰還の時刻。

 湖に沿った道を馬車で王宮に戻りつつあった王太子夫妻だったが、もうすぐ到着という時、シェラーサがふと窓から外を眺めて言った。

「……なんだか、変ね」

「何がだ?」

 隣に座ったイダートが尋ねると、シェラーサは不思議そうに首をひねった。

「うーん、なんて言うか……王丘の地中深く、ところどころで感じていたざわざわするような感じが、今日はないの。聖樹の方に意識を向けてみても同じ。……まるで淀みが、一気に薄くなったみたいに感じるわ」

「本当に薄くなった……わけではない、よな」

「ない、でしょうねぇ。……ちょっと夜、猫になって聖樹を覗いてこようかしら。今夜は陛下とのお約束もないし」


 話しているうちに、馬車は王宮に入った。夫妻の住む区画の近くにある小玄関で降りる。後ろの馬車から、リアンテとニェーテも降りてきた。

「私は自分の執務室に行ってくるから、夕食までゆっくりしなさい」

 イダートはシェラーサにそう言って、立ち去っていった。

 そこへ、レイシアが急ぎ足でやってきた。

「お帰りなさいませ! 出迎えが遅くなり、申し訳ありません……!」

「いいのよ、何かあった?」

 シェラーサが尋ねると、レイシアは答える。

「先ほど、国王陛下の使いの方が見えまして。陛下が、リアンテ様にお話があると」

「私に?」

「はい。お帰りになり次第、謁見の間にお越し下さいとのことです」

 シェラーサは思わず、リアンテと目を見合わせたが、すぐに答えた。

「わかったわ。ということは、もう陛下は謁見の間でお待ちなのかしら

? 急がなくては」

「すぐにお着替えを」

 レイシアに促され、三人は急ぎ足で歩きだした。


 自室で外出用のドレスから夜用のドレスに着替え、シェラーサはリアンテを従えて謁見の間へと向かった。

「……陛下、何のご用かしら」

 ドレスの衣擦れの音が二人分響く静かな廊下で、リアンテがささやいた。

「…………」

 シェラーサは黙っていたが、階段を上って角を曲がり、謁見の間の扉が見えたあたりで立ち止まった。

「リアンテ」

「はい」

 誰かに見られてもいいよう、丁寧な物腰で答えるリアンテに、シェラーサはささやき声で言った。

「もし今、急に固定魔法が解けて、髪と目の色が戻ったらどうする?」


「え?」

 なぜシェラーサがそんなことを急に言うのか、リアンテにはわからなかった。しかし、魔法は絶対ではないので、そういった状況を予想してみたことはある。リアンテはひそひそと答えた。

「そうね、もうすぐシャンピの時刻だから、使用人の通路なら暗い場所はいくらもある。そういうところをたどって自室に戻るわ。一応、カツラなんかは置いてあるから。目も、蝋燭の明かりなら色味ははっきりとはわからないと思う」

「ん。それなら、後はどうとでもできるわね」

「……シェラーサ、もしかして魔法に影響が出そうなほど体調が悪いの? 気がつかなくてごめんなさい、入れ替われば良かったわね」

 心配になったリアンテが言うと、

「そうじゃないわ、大丈夫。……でも、そうね、もしかしたら明日は入れ替わることになるかも」

とシェラーサは言い、微笑んだ。


 そして、ふとリアンテに身を寄せた。

「優しいリアンテ、大好きよ」

 彼女のたおやかな腕が、リアンテを軽く抱きしめて背中を叩き、離れた。


「妃殿下」

 声がかかった。エヴィルソンの従僕の一人だ。

「陛下がお待ちです、どうぞ中へ。侍女の方は控えの間でお待ち下さい」

 シェラーサはリアンテから目を離すと、まっすぐに謁見の間へと歩き出した。扉が開かれ、彼女の姿が中に吸い込まれていく。

 その姿は堂々としていて、まるで女王が謁見の間に入場するようだった。


 急に、リアンテは不安な気持ちに襲われた。いや、いつも心のどこかに不安はあったのだが、それを思い出したのだ。

 もっとよく話しておくのだったと後悔しつつ、何か理由をつけてシェラーサを呼び止めなければと迷っているうちに、扉はしっかりと閉じられた。


(もしも固定魔法が解けたら、って)

 リアンテは胸の前で手を握り合わせた。

(急に魔法が解けるのは、どんな時? ……シェラーサに、何かあった時ってこと?)

「……あの」

 リアンテは扉の外にいた従僕に言う。

「少し、用事を済ませて参ります。すぐに戻ります」

 そして彼女は身を翻すと、足早に謁見の間を離れた。



 謁見の間がまだ見えないうちから、シェラーサはその気配を感じ始めていた。

 静かだと思った王宮、薄くなったと思った呪いの淀み。それがなぜなのか、ようやく理解する。……一カ所に引き寄せられ、集められていたのだ。


 リアンテと別れ、謁見の間に入る。後ろで扉が閉まる。

 シェラーサはゆっくりと、謁見の間の中央に進み出た。左手の窓が開いており、湖に面したバルコニーに、黒いガウンの背中が見える。エヴィルソンだ。


 シェラーサは目を細めた。

 エヴィルソンはまるで、燃え残った聖樹そのもののようだった。黒く、虚ろで、淀んだものを内包している。地中に根を伸ばし、王丘中の呪いを少しずつ吸い上げていた。

 シェラーサが薄めたはずの、彼の器の中は、淀んだ呪いで再び満たされている。


「来たな」

 ふっ、と、エヴィルソンが振り向いた。

 やつれた顔をしていたが、その目は蒼く燃える炎のように、力に満ちていた。蒼の中に、赤い熾火がちらちらと見え隠れしている。

「はい、陛下。お待たせして申し訳ありません」

 王太子妃として、シェラーサはドレスをつまみ挨拶した。


 エヴィルソンはバルコニーから一歩、中に入った。

「なぜそなたを呼んだか、わかるか」

 冷たく凍り付くような、低い声。

「いいえ……。何のご用でしょう」

 答えるシェラーサ。

「そなたが、嘘をついていたことについてだ」

 もう一歩、エヴィルソンが近づいた。


「ナージュ連爵令嬢リアンテ──母ファミアの侍女となり、イダートに近づき籠絡し、今や王太子妃。しかしそなたは、己の素性を隠していた」


 シェラーサは、彼の言葉の続きを待ちながら考える。

(あぁ……とうとうバレちゃったのね。リアンテがナージュ家の娘でないこと。どこからわかったんだろう……でも仕方ないわ、予定通り『死んだ振りして撤退』するしかない。『治療』の方だけでも、どうにかして続けられたらいいんだけど)


「一体、何のお話ですか、陛下……私には何のことか」

 シェラーサはおびえた様子を見せ、後ずさりながら回り込む。開いた、窓の方へ。

(窓から湖に落ちるのが手っとり早い。亡骸があがらなくても、湖から川へと流れ出たように思われるだけだもの。陛下も、自らの手で殺めるよりは、まだ……。それにしても)

 疑問がぽつんと、心の中に落ちる。

(この、陛下の様子は……。妃たちに手をかけた時も、こんな風に王丘中の淀みを引き寄せていたの? いいえ、だったらその時、彼の心は『治療』どころではなくとっくに飲み込まれていたはず。今のこれは、我が子イダートが騙されたという怒りが……?)


 その時。


「王太子妃の地位だけでは飽きたらず、この私にまで近づくとは」

 エヴィルソンが、凄まじい笑みを浮かべた。

「父と子を手玉にとって、楽しかったか──魔女よ」


 ざわっ、と、シェラーサの背中を悪寒が駆け上がった。


 淀みを引き寄せてしまうほどにエヴィルソンが怒り狂うのも、当然だった。彼は、魔女がリアンテに化けて王太子を籠絡し、さらにエヌイスに化けて国王と結婚したと、そう思っているのだ。


「許さん……」

 彼自身の持つ呪いが、沸き上がる。それは王丘中の呪いを吸収し、今、エヴィルソンの身体の中でひとつになろうとしていた。

「許さんぞ、魔女め!」

 ドン、という鈍い音と共に、彼の身体から黒い煙が噴き上がった。それは謁見の間の高い天井にぶつかり、角度を変えて、伝説の生き物である龍のようにシェラーサに襲いかかった。


 さっとそれを避けながら、シェラーサはもはや意味をなさない変身を解いた。交換した髪と目の色だけはリアンテのもののまま、草色のドレスのシェラーサの姿になる。

「ふふっ。陛下、来て?」

 シェラーサは『魔女』らしく、笑ってみせた。


 エヴィルソンはもはや、説得でどうにかなるような状態ではない。それならば、シェラーサの取れる手はただ一つ。

 彼を煽り、全ての呪いをシェラーサにぶつけさせること。


「あなたが欲しいの、本当よ? 魔女は貪欲なの」

 シェラーサは、普段は余計なものを取り込まないようにしていた

自分の器を、解放した。

 エヴィルソンをも上回る、魔女の巨大なミシスの器。それを感じ取った彼の中の淀みは、歓喜した。

 かつての聖樹のような、そこへ帰るのだ、と。


 エヴィルソンの手が、シェラーサに伸びた。シェラーサも、ゆっくりと後ずさりながら、誘うように手を伸ばした。

「私に全部──ちょうだい」


 その時、バン、と扉が開いた。

 シェラーサの視界に、イダートとリアンテが飛び込んできた。


「父上!? 何をしているんです!」

 エヴィルソンの身体から沸く闇がシェラーサに近づくのを見て、イダートが叫ぶ。エヴィルソンはイダートを見ずに言った。

「この女は、リアンテ・ナージュに化けてお前を騙していたのだ。今、私が殺してやる」


「陛下、ちが……!」

 続いてリアンテが叫ぼうとして、うぐっ、と喉を押さえた。何度も口を開き、何か叫ぼうとするのだが、声にならない。

「……っあっ、あ、イダート様!」

 リアンテはイダートにすがりついた。

「陛下の誤解を解かないと! お願いです、『鍵』を外して下さい!」


 イダートは目を見開いた。

 リアンテの出生の秘密がばれてシェラーサが危機に陥ったとき、リアンテが魔女の身を案じて身代わりの件を明かしてしまわないよう、シェラーサがかけた契約魔法。それが、発動したのだ。

 イダートが契約の『鍵』となる言葉を唱えなくては、リアンテはエヴィルソンの前で正体を明かすことはできない。


「イダート様、早く!」

 リアンテの涙混じりの懇願。しかし、シェラーサが、きっ、とイダートを睨んだ。

 イダートはその視線を受け止め、顔をゆがめたが、やがて小さくうなずいた。そして、エヴィルソンとシェラーサから目を離さないままリアンテに言う。

「だめだ」

「どうして!?」

「今、父上の意識をそなたに向けさせるわけには行かない。父上の怒りがそなたに向き、呪いが襲ってくれば、シェラーサの足手まといになるぞ」


 現状を理解しているその言葉に、シェラーサは内心小さく喜ぶ。

(さすがは賢い私の友人。リアンテは、イダートが守ってくれる。私は陛下とだけ、向かい合えるわ)


 直後、再び鈍い音がして黒い煙の柱が立ち、そのままシェラーサに襲いかかった。シェラーサの姿が飲み込まれる。リアンテの悲鳴が響いた。

 黒く染まる視界の中、シェラーサは意識を集中した。自分の中に呪いを取り込みながら、ミシスで急激に浄化していく。しかし追いつかず、彼女の内に呪いがどんどんたまっていく。

 それでも、彼女はやめなかった。

(王丘中の淀んだ呪いが、今ここに集まってる。最初で最後の、絶好の機会だもの……逃すもんですか! ギリギリまで集めて、道連れにしてやる!)


 その時、がっ、と、彼女の首を大きな手がつかんだ。

「は……っ」

 口から吐息が漏れ、喉が詰まる。

 エヴィルソンだった。彼はシェラーサの首を両手で締め付けながら、のめりこむように顔を近づけてきた。

 シェラーサは彼の手に自分の手を添え、視線を合わせた。お互いの存在がミシスと呪いを通じてつながり合う。


(……ああ)

 彼の中から引きずり出し、飲み込みながら、シェラーサはうっすらと思った。

(私、このために、王宮に戻ってきたのかも。現国王に代わって国を救うなんて、女王らしいことができそうじゃない?)

 固いものが、背中に当たった。バルコニーの柵のようだ。

 エヴィルソンの瞳の中に、シェラーサは彼の心のかけらを見つけた。それは、まるで彼女を愛するかのように、彼女を欲している。呪いが彼女の器を欲するのと同時に、エヴィルソンは彼女自身を欲していた。

(ずいぶん激しく求められてると思ったら、呪いと彼の願望が重なってるんだわ。ふふ、そんな風に見つめて下さるなんて。──ああ、ずっと私、死んでなんかいなかったんだ。今、生きているから、この人を救えるんだ!)


 そう思った瞬間、(たが)が外れた。

 彼女の身体の中で、器が砕け散った。


 身体の中に、彼女自身も知らなかったほどの大量のミシスが溢れ出し、呪いと混ざり合って奔流となった。奔流は帰る場所を、天を求め、彼女の身体から突き抜けた。


 シェラーサは目を閉じ、力を抜いた。身体がぐらりと傾ぎ、のけぞる。


 イダートの叫びと、リアンテの悲鳴が長く尾を引くのを聞きながら、シェラーサの身体と意識はゆっくりと落ちていった。

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